事例・ルワンダ
ルワンダでは放牧民のツチ族が財産たる牛を保有し農耕民のフツ族が牛を借りて
農業を営むなど一種の共存関係にあった。
また牛と言う資産を持つツチ族が支配する王国が存在していたがツチ族とフツ族
はそこまで厳密に区別されておらず、民族間の結婚や財を成したフツ族がツチ族
の仲間入りする事もあった。
あの日までは…
4 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:50:46 ID:oTB [3/5回]
(*^O^*)「ルワンダを支配するベルギーなんだ」
彡(゚)(゚)「?」
(*^O^*)「お前なんて下品で醜いんだ!フツなんだ!」
彡(゚)(゚)「ファッ!?」
(´・ω・`)「…どうしたの?」
(*^O^*)「お前は肌の色も薄く上品なんだ!ツチなんだ!」
>>1933年、ベルギー当局は植民地のルワンダにて全国的な身体測定を実施。
やせ形、肌の色が薄く、唇が薄い、つまり白人に近い特徴を持つ者をツチ族とし
ずんぐり、肌の色が濃い、唇が厚い、つまり黒人特有の特徴を持つ者をフツ族として身分証を発行、
人種的にルワンダの人々を完全に分断した。
6 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:52:20 ID:l2q [2/4回]
白人が最も偉いという観念、まだまだ強い時代だかっらて他民族にまでそれ適応すんのか・・・7 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:53:26 ID:oTB [4/5回]
その後、人種的に優れているとしてツチ族に高等教育や行政の要職を提供した。
一方、フツ族は二級市民として扱われ強制労働と重税に苦しんだ。
彡(。)(;)「ハァ…ハァ…こんな重労働きついわ…」
彡(>)(<)「少し休ましてクレメンス」
J(´-`)し 「きびきび働かんかいゴルァ(ごめんなさいね、これも仕事なの)」
彡()()「あああああああああああああああああああああああああああああああ」
(´・ω・`)「ベルギー様、今月の分でございます。」
(*^O^*)(憎まれ役はツチ族に押し付けて楽ができるんだ。)
ツチ族とフツ族の共存関係は消え失せ、ベルギーの代行人たるツチ族がフツ族を搾取し
ベルギーに利益を献上する間接的支配体制が確立されたのである。
8 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:55:55 ID:l2q [3/4回]
離間の策は、現代でも有効なんやなあ11 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:57:47 ID:lse [1/1回]
ベルギーくんはコンゴでもひどいことしたよね12 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:59:38 ID:l2q [4/4回]
>>11
ダイヤモンド採掘のために、時代的にはあまり容認されなくなっていた、
奴隷を酷使したんだっけかベルギーはフランスと共に虐殺中のルワンダで政府軍つまりフツ族側を支援して
たからな、ヨーロッパは基本的にどこも畜生やで10 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/09(月)23:57:12 ID:oTB [5/5回]
1959年
彡(●)(●)「ルワンダはフツ族の国や!ツチ族は皆殺しじゃ!」
(´×ω×`)「ぎゃー」
(*^O^*)「に、逃げるんだ!」
フツ族の怒りが遂に爆発しフツ族を中心とする暴動がルワンダ全土で発生。
さらに植民地維持の困難もありベルギーはルワンダの独立を容認した。
ベルギー人が撤収する事になりツチ族は後ろ楯を失う事になり
1962年の独立後もフツ族によるツチ族への虐殺事件が相次ぐ。
13 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:02:20
ID:cwI [1/9回]
1973年
彡(゚)(゚)「ワイが新しい大統領や、フツもツチも仲良くするんやで。」
(´・ω・`)(助かった…)
彡(゚)(゚)「忘れてるもんあるやる…」
(´・ω・`)つ$(仕方ないよね…)
混乱が続く中、フツ族出身のハビャリマナ国防大臣によるクーデターが発生。
ハビャリマナ大統領はツチ族との融和を呼び掛けてツチ族からの支持を得る一方で
腐敗した独裁体制を20年維持した。
ハビャリマナがツチ族を擁護した理由の一つは経済である。
植民地時代、高等教育を受ける機会のあったツチ族には優秀な人材が多い。
今までの騒動の混乱で優秀なツチ族の人材は欧州などに移住した。
彼らからルワンダの親族に送られる仕送りがルワンダの数少ない外貨獲得の手段であった。
15 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:04:52 ID:tY8 [1/6回]
教育格差か、現代じゃ、教育の有無は、何をするにも大きい影響あるよなあ14 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:04:39
ID:cwI [2/9回]
1990年代
アメリカ松「民主主義が一番だぞ」
国際世論「Vやねん、民主主義!世界制覇まったなし!」
ソ連崩壊後、勢いに乗る西側はアフリカなど第三世界にも民主化推進を呼び掛け
援助という飴と経済制裁という鞭で民主化を迫った。
ハビャリマナ独裁体制のルワンダも国際社会の圧力から
民主化を受け入れる姿勢を表面的に見せる事にした。
具体的には政治活動の規制緩和や報道の自由の容認である。
16 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:07:02
ID:cwI [3/9回]
彡(●)(●)「今度こそルワンダをフツ族の手に取り返すんや!」
新聞社「フツ族は、ツチ族にこれ以上情けをかけてはならない。」
(´・ω・`)(…あかん)
ルワンダの人口比はフツ族約85%、ツチ族約14%とフツ族が圧倒的である。
またハビャリマナ独裁体制をツチ族が支持していた事もあって
フツ族の政治活動はツチ族叩きに向かう。
当然、新聞社やラジオもツチ族叩きを行った。
フツ族のツチ族への不満が民主化を契機に爆発したのである。
さらに民主化を受け入れ始めたハビャリマナ政権は
圧倒的多数のフツ族に媚びるように反ツチ族的な政策を実施し始める。
不穏な状況がルワンダ全土を覆う。
17 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:09:36 ID:tY8 [2/6回]
新聞までもが敵に回ったのか
これはまずい18 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:10:41
ID:cwI [4/9回]
1994年
彡(゚)(゚)「ワイはルワンダ大統領のハビャリマナや。」
彡(^)(^)「隣国ブルンジの大統領と同じ飛行機に乗ったろ!」
┏━━━━━┓
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┃ (゚) (゚)ミ ┃
┃ 丿 ミ ┃
┃ つ ( ┃
┃ ) ( ┃
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ルワンダとブルンジ両大統領が乗った航空機が何者かに撃墜される事件が発生。
大統領の暗殺は当然、ルワンダ情勢の不安定化を意味した。
19 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:12:40 ID:tY8 [3/6回]
ブルンジの大統領、とんだとばっちり20 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:13:35
ID:cwI [5/9回]
彡(゚)(゚)「ラジオでもつけようか。」ッポチ
ラジオ「ツチ族はゴキブリや!駆除せなあかん!」
彡(゚)(゚)「…最近のラジオは過激やな。」
彡(^)(^)「ほなツチ族のカス、殺しに行くか!」
J( 'ー`)し「ムッスコよ!クズのツチ族の首もって帰ってくるのよ。」
彡(^)(^)「任しとき!」
>>94年の春から初夏にかけて
フツ族系のラジオ局がルワンダ全土でツチ族の虐殺を呼び掛けるようになり、
これに呼応して大規模な虐殺がルワンダ全土で発生。
わずか百日でツチ族はもちろんツチ族のシンパとされたフツ族の市民、
約80万人が虐殺されたと言われる。
また虐殺の間、ツチ族の首を売りさばく行為も横行、キャベツ売りと呼ばれた。
これが教科書にも記載されているルワンダ大虐殺である。
21 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:15:10 ID:suf [1/1回]
こんな大虐殺が平成に起きてた事実23 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:15:46 ID:tY8 [4/6回]
>>ツチ族の首を売りさばく行為も横行、キャベツ売りと呼ばれた。
キャベツ?なんでキャベツなんやろ
でも売り捌くって、怖すぎやろ
積年の恨みって感じがするわ人の頭がキャベツみたいに見えるからな。25 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:19:13 ID:tY8 [5/6回]
その理由でええのか
キャベツのように売り買いされるのが、豚や牛の頭でも怖いのに、
人の頭とはなあ・・・
食ったり、ボールのように使ったりしたのかな・・・・22 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/10(火)00:15:35
ID:cwI [6/9回]
この虐殺は隣国ウガンダの支援を受けるツチ族主体の反政府勢力が
首都キガリを制圧するまで頻発する事となる。
虐殺の要因となった航空機撃墜に関してツチ族主体の反政府勢力の犯行説または
フツ族過激派の犯行説があるが犯人は不明なままである。
ルワンダ編~完~
27 :
名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2015/11/10(火)00:22:34
ID:cwI [9/9回]
実はルワンダ編しか用意してなかったんや
最後まで読んでくれた人ありがとうございました!
ネタができたらまた書き込むで