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彡(゚)(゚)によるプロ野球事件簿





事例1



彡(゚)(゚)「痛っ!てめぇ!何するんや!」

(●▲●)「ちょっとぶつかっただけじゃないか(左フック)」

彡(゚)(゚)「そんなノロまなパンチなんてこうだ!(右ストレート)」

(▲)「」

(*^○^*)「あいつ、暴力振るったんだ!なぜ退場にしないんだ!」

(´・ω・`)「いや、パンチが速すぎて見えなかった」

(*^○^*)「意味分からないんだ!」




大杉勝男、ボレスをKOする


>>1970年、東映フライヤーズの大杉勝男が
西鉄ライオンズのカール・ボレスと揉めた際に右ストレートのパンチでKOさせた事件。

原因はタッチアップを図ったボレスとベースカバーに入った大杉が
強く接触したことで揉めてしまったことによる。

大杉が掴むとボレスは左フックを放ったが、
喧嘩に一番強い男と呼ばれていた大杉は躱して右ストレートを浴びせたところ、ボレスはそのまま倒れてしまった。
なお、大杉は退場になることなく、その理由として二塁塁審は「大杉のパンチが早過ぎて見えなかった」という迷言を残した。







6 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)21:54:06 ID:Wok [2/11回]




事例2

彡(゚)(゚)「くそ!もう何球投げてたか分かってんのか、あいつらは!」

彡(゚)(゚)「もう165球投げて、それで追い付かれたから交代とかやってられへんわ!」

彡(゚)(゚)「だいたい、あの監督はワイが言う事全然無視やんけ!」

彡(゚)(゚)「ベンチがアホやから野球でけへん!アホ!」




ベンチがアホやから野球でけへん


ご存知、江本孟紀の迷言。

>>1981年、8月26日に事件は甲子園球場で起きた。
ヤクルト戦に先発していたエモやんは4-1でリードしていた8回にヤクルト打線に捕まる。

連打で4-2になり、エモやんがベンチを見ると全く動かず。ここまでで143球も投げていた。
なんとか2アウトまで持ち込むも、ヤクルト水谷に打たれてしまい同点に追い付かれたエモやんは、
ここで投手を交代させられる。165球が水の泡になった瞬間であった。

これに面白くないのが、いつものエモやんである。
裏でクソ!ボケ!と独り言を放っている際に、この言葉が一緒に出てきたと言われているが、
エモやん自身は最初は否定しているが、今は肯定も否定もしていないという曖昧な立場を取っている。

元々、中西監督は反りが合わず対立していたこともあり、この首脳陣批判と取られた発言は翌日の新聞に載ってしまった。
そのため、エモやんはこの年限りで引退を表明している。
なお、この事件があった日、ナゴヤ球場では宇野勝(うーやん)がヘディング事件を起こしている。




7 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)22:11:32 ID:Wok [3/11回]




事例3



彡(゚)(゚)「9回2アウト満塁2-3、1点ビハインド。よっしゃ、ベンチから打者に応援や!」

彡(゚)(゚)「フレー!フレー!」

(´・ω・`)「空振り」スカッ

彡(゚)(゚)「よくやった」




高橋ユニオンズ、最後の試合


>>1954年、パリーグは7球団になってしまったために、
端数を防ぐという目的である球団が作られた。それが高橋ユニオンズである。

ユニオンズという名前は、高橋が戦前に販売していたユニオンビールの名前から取っていたが、
逆に寄せ集めという皮肉めいた名でもあった。

その名の通り、選手たちは他チームから弾き飛ばされた選手達の集まりであった。
そのため弱く、さらに川崎球場を本拠地にしているチームの定めか球場では閑古鳥が鳴いていた。

>>1955年、トンボ鉛筆との提携を受けて「トンボユニオンズ」と名前を変えるも、
圧倒的に最下位に終わり勝率が3割ぴったしに。そして制裁金500万円が課される。

>>1956年、提携が終わり高橋ユニオンズに戻るもやはりチームは弱く、
最下位のまま最終戦を迎えた。この試合に勝たなければ、再び制裁金になる状態であった。

気の毒に思ったのが相手の毎日オリオンズである。
先発の中川はど真ん中一辺倒の投球をするもあえなく打てない。
仕方なく、リリーフに変わるとなんとか打って4-1になり、9回を迎えた。

だが、ここで毎日打線が突然打ってしまい、
4-3になって2アウト満塁フルカウントに。フォアボールになりかねないのを見た毎日ベンチは「フレー!フレー!」と叫ぶ。

そして、最後のバッターは空振り三振。そう、つまり「フレー!」は応援でなく、八百長示唆であったのである。

なお結局高橋ユニオンズは大映スターズに吸収されてしまい、チームは無くなってしまうのである。




10 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)22:30:09 ID:Wok [4/11回]




事例4



彡(゚)(゚)「大洋にドラフト1位指名?いや、ヤクルトか巨人に行きたいんや」

彡(゚)(゚)「拒否するで」

(*^○^*)「許さないんだ!」

彡(゚)(゚)「脅迫なんて大したこと無いやろ」

(*^○^*)「ボコボコにするんだ!」

彡()()「」



荒川事件


>>1969年のドラフト会議で、
大洋に1位指名された早稲田大の荒川尭が入団拒否を表明していたところ、
大洋ファンと思われる暴漢に襲われた事件。

巨人・荒川博の養子であった尭は、
長嶋2世との愛称もあるほどの実力者で、この年のドラフトの目玉であった。

ヤクルトや巨人以外お断りを明言していたが、
大洋がなぜか強行指名した。お金を出せば入団するという怪情報を信じての事であった。
まぁ、いつもの大洋・横浜である。

だが尭は入団を拒否。その中で家にカミソリなどが送られるなどしていたが、
どうせ口だけだろと思っていたところ、1970年1月5日夜に暴漢に襲われてしまい、
選手生命を奪われてしまうほどの怪我を負ってしまった。

結局、一時的に入団した形を取って、
ヤクルトへと金銭トレードに出される形になったが、
ボールがはっきりと見えない中で2年目には18本塁打を打つものの1975年に引退してしまい、
その損失は計り知れないものであった。

事件の犯人は分からずに時効を迎えている。

なお、この事件以降大洋・横浜は2008年の松本・細山田まで早稲田大の学生をドラフト指名が出来ない状態が続いた。




11 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)22:32:48 ID:cob [1/1回]



昔の野球ファンて頭おかしい


12 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)22:50:08 ID:Wok [5/11回]




事例5



(´・ω・`)「オールスター3試合全部投げろ」

(*^○^*)「了解なんだ!」

その後…

彡(゚)(゚)「おい哲!てめぇうちの江夏をどうしてくれるんや!」

( ω )「す、すみません」



藤本定義、川上哲治を説教


昔は鬼監督であった藤本は、その頃は好々爺な阪神の監督であった。
特に江夏は藤本に非常に可愛がられており、師匠と弟子を超えた存在でもあった。

その江夏が、オールスターで3連投した。
これはセリーグ監督の川上の指示によるものであり、江夏は嬉しく思っていた。

しかし藤本は激怒していた。
シーズンが再開され、次の阪神巨人戦にて川上を阪神ベンチに呼び、激しく叱ったのであった。
うちの江夏を乱暴に扱いやがってと。

あの川上が直立不動で説教を受けていたことに、
当時の江夏は非常に驚かされただけでなく、藤本をさらに慕うようになり、移籍後も交流は続くのである。

なお、藤本は戦前から監督を務めていたが、
その頃から「30勝をする投手がいるのは監督の恥」と唱えており、先発ローテーションの考えを持っていたのである。
鶴岡御大、見習え。




13 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:10:05 ID:Wok [6/11回]




事例6



(´・ω・`)「ファウル!」

彡(゚)(゚)「おい!ファウルゾーンに行く前にサードが触ったやろ!」

(´・ω・`)「触ってないね」

彡(゚)(゚)「なんやと!舐めんじゃねぇ!このアホんだら!」ボコボコ

(´・ω・`)「やってられない、帰るね」

彡(゚)(゚)「ファッ!?」



横浜スタジアム審判集団暴行事件


>>1982年8月31日、横浜スタジアムでの阪神・大洋戦でファウルの判定に対し、
抗議した阪神コーチが審判団を集団暴行した事件。

大洋の三塁手・石橋がベイスらしいプレイでサードフライを落球し、
ボールがフェアゾーンからファウルゾーンへと転がった。

石橋が触ってないとして、三塁審判がファウルと判定。

これに対し阪神ベンチは石橋が触ったとアピールしたが認められず、
阪神ナインとコーチが塁審の鷲谷を囲み、柴田・島野両コーチが暴力行為を行った。

止めに入った岡田球審も暴行を受け、審判団は激怒し引き上げてしまった。
阪神の安藤監督が審判団に謝罪し、なんとか試合が再開されたが、没収試合も考慮されていた。

柴田・島野両コーチが退場になったが、
この事件はテレビ神奈川で生中継されており、
警察が事件として捜査。罰金刑に処され、一時的に無期限出場停止処分に処された。

なお、この暴力行為に及んでいる中、唯一止めに入ろうとしていた阪神の選手は真弓であった。




14 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:15:38 ID:TDn [1/2回]



やっぱ真弓ってスゴイわ


15 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:15:47 ID:Wok [7/11回]




事例7



彡(゚)(゚)「雨やな…今日は試合中止か」

(*^○^*)「晴れてるのに、選手が来ないんだ!」

彡()()「」



セネタース・阪急、雨天中止と思い込んで放棄試合に


>>1946年のセネタース・ゴールドスター戦(西宮)及び
1947年の阪急・南海戦(後楽園)での放棄試合の原因は、
セネタース及び阪急が宿舎付近で雨が降っていたために中止と思い込んだためであった。

特に処分はされなかった模様である。




18 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:26:11 ID:Wok [8/11回]




事例8



彡(゚)(゚)「ワイはチームが好きなんや!ここで優勝したいんや!」

彡(゚)(゚)「ただ、このままでは選手がダメになるんや!だからこそ選手会を社団法人化させるんや!」

(*^○^*)「あいつ活動しまくってて、邪魔なんや!トレードさせるんだ!」

彡()()「」



松原誠、涙のトレード


>>1962年に入団以降、大洋一筋の松原は打撃タイトルを獲得することは叶わずも、
1980年に2000本安打を達成し、さらに通算330本塁打という大洋一のスラッガーであった。

さらに松原はプロ野球選手会の活動もしており、社団法人化させるための活動もしていた。
しかし、それが大洋球団に嫌われてしまい、この年のオフにトレードに出されてしまった。
なお、相手は古賀投手で彼は3年連続のトレードであった。

TBS時代に圧倒的に魅せられた横浜の謎トレードであるが、
大洋時代もかなり酷いトレードをしており、松原のケースもその一つと言えよう。




19 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:28:02 ID:WMH [1/3回]



大洋の頃から暗黒気味だったからね、しょうがないね


20 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:29:53 ID:TDn [2/2回]



王がおったおかげで守備の名手なのに守備タイトルを1つも取れなかった選手やね


22 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:34:17 ID:dxq [1/1回]



ワイのマッマの同級生やな


23 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:37:19 ID:Wok [9/11回]




事例9



彡(゚)(゚)「今日はダブルヘッダー、絶対に2勝するんや!」

彡(゚)(゚)「あぁ負けた…しかし1試合目やっと終わった…17回とか…もうすぐ17時やんけ!
     第2試合出来んな…よっしゃ、試合の代わりにホームラン競争やるで!」

(*^○^*)「負けてさらに第2試合なしなんて、ふざけるななんだ!金返せなんだ!これでも喰らえなんだ!」

彡()()「」



ラムネ瓶飛ぶ平和台


>>1953年9月15日、西鉄と阪急のダブルヘッダーは
第1試合目が17回の激闘の末に阪急の勝利で終わった。

しかし、すでに16時42分になっており、西鉄サイドが第2試合の実施が不可能と判断。
代わりにエキシビションとしてホームラン競争をするというアナウンスを合図に観客が激怒し、
ラムネ瓶が大量に投げ込まれた。

結局、半券で3日後の試合観戦を可能にするという事を発表して暴動は沈静化された。
この事から、観客のマナーの悪さを指して「平和台、一見の要あり」と言われるようになる。




24 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:42:28 ID:WMH [3/3回]



実際その場にいたらワイもラムネ瓶ぐらい投げそうやわ


25 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:48:35 ID:Wok [10/11回]




事例10



(*^○^*)「これでも喰らえなんだ」ビール瓶ポイッ

(´・ω・`)「うちの木戸投手が投げ込まれたビール瓶で負傷した…。もう広島では試合しないよ」

彡()()「ま、待ってくれ…許してーや!」

(´・ω・`)「ダメ」

彡(゚)(゚)「ど、どないしたら…しゃーないとりあえず、適当に誰かを出頭させるんや!」



木戸投手負傷事件


>>1956年、当時のカープの本拠地・広島総合グランド野球場で
広島・巨人戦でのダブルヘッダーは、2試合とも広島の大敗であった。

ボロボロの成績に激怒した観客が、ビール瓶を投げ込みそれが巨人・木戸投手の右足に命中し負傷した。

この事に巨人サイドは激怒し、今後の広島での試合をしないと表明。
球団社長が謝罪したり、代議士を介したりしても巨人は許さなかった。

リーグ脱退の可能性もある中、「犯人」の2人の男が出頭。
「とにかく投げた」と主張したが、証拠不十分で彼らは説教のみで釈放された。

実はこの2人、広島球団が用意した替え玉であった。しかも、最初は兄弟にしようとしたりと念の入れようであった。
しかし、この出頭を評価した巨人サイドは広島での試合を許すこととした。

この事件以降、球場での飲料物の販売は全て紙コップへとすることになった。




26 : 名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/02(月)23:49:13 ID:Wok [11/11回]



とりあえず、ちょっとクスッとするものを上げてみました。

面白くなくてごめんね。ではまたいつかどこかで。














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[ 2015/11/05 00:28 ] 学ぶ系 なんJ&おんJ学ぶシリーズ | TB(0) | CM(9)



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