色々考えてみた。
結論から言うと、
「快感」と「不快感」を意図的にコントロールする事なのではと思う。
ジョジョでも言ってたよね
恐怖を克服する事こそが生きるという事って
これが人間にしか出来ない
恐るべき能力なのだと気づいた
17/01/08 02:09 ID:kMMh2+t/0.net
色々考えてみた。
結論から言うと、
「快感」と「不快感」を意図的にコントロールする事なのではと思う。
ジョジョでも言ってたよね
恐怖を克服する事こそが生きるという事って
これが人間にしか出来ない
恐るべき能力なのだと気づいた
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詳しく説明します。
まず、全生物には生まれながらにして持っている本能(プログラム)がある。
例えば、空腹を感じた時、美味しいと思うものを口に入れれば満腹感という「快感(報酬)」を得ることができ、
高い所へ行けば、恐怖という「不快感(罰)」を感じるようになっている。
逆に空腹を感じても、何も食べていないと当然その生物は死ぬし、
高い所へ行っても何も感じなければ、高い確率で転落死してしまうだろう。
そんなん永久に快感えとけばいいってことになるじゃん
薬でもやれってか?
つまり生物は「快感」という報酬を求め、「不快感」という罰を避ける事で、
より長い間生存し、より多くの子孫を残せるようになっているのです。
現在の生物の「快感・不快感」は、その祖先が長い間積み上げてきた経験であり、バイブルなのです。
ただ生物の中でも「人間」の場合、事情が少し変わってくる。
生まれが8割
分かりやすいぞ
色々言いたいことはあるでしょうが、ちょっと待って
とりあえず聞いてくれ
まず「人生の成功」が何なのかを提示しろよ
それがわかってないから突然成功させる方法を説明し出しても意味不明だぞ
いいところ突いてる
高い知能を持った人間は、
その生まれ持ったプログラム通りに行動することが、
必ずしも生存し、繁殖するための最善の方法とは限らない事を知っているのです。
例、ダイエット(未来にある大きな報酬(モテる)のため、あえて目の前の報酬(食事)を放棄し、空腹という不快感に耐える。)
つまり、人間の持つ偉大な能力とは、
生まれ持った快・不快のプログラムに「反抗」できるということ。
そしてさらに賢い人間は、そのプログラムを自分の人生において有利なように、
意図的に書き換える(アップデートする)ことが出来るのである。
・「プログラムを書き換える」とは
生物の生まれ持ったプログラムは、
生まれた後の環境や出来事によって変化することがある。
例えば、川辺が好きな野良猫がいたとしよう。
川辺にいれば、飲み水だけでなく、食料である魚をいつでも捕獲することができる。
その野良猫にとって、川辺とは快感の宝庫である。
しかし、ある日いつも通り水を飲もうと川に近づくと、一匹のワニが急に野良猫に襲い掛かる。
野良猫はなんとか逃げ切ったが、前足の片方を食いちぎられてしまった。
さて、それから野良猫はどうするだろう。
おそらくその猫はワニどころか、その川辺に近づくことすら恐怖に感じるだろう。
つまり「川辺に行けば快感を得られる」というプログラムから、
「川辺に行けば恐ろしい不快感に襲われる」というふうに上書きされたのだ。
こういう話は好きなのでどんどん書いて
多くの生物にとって、快から不快(或いはその逆)に変化する(プログラムが書き換わる)というのは受動的な事象である。
しかし人間は違う。
意図的に自ら快や不快のプログラムを書き換えることができるのだ。
例えば、筋トレがそれである。
ある男が、より多くの女性と性交することを夢見て、筋トレを始めたとする。
当然、自分の身体に負荷をかけ、疲労するという行為は大変不快なことであろう。
しかしその筋トレを一年も続ければどうなるか。
ある日、ある事情で一週間筋トレが出来なかったとしよう。
その男は筋トレをしない事により、「今まで鍛え上げた筋肉が衰えてしまうのでは」という強い不安感に襲われ、身体を動かしたくてムズムズするだろう。
つまり、身体を痛めつけることが「不快」から「快感」と変わっていたのだ。
多くの人間は、このようなプログラムの変化を後から偶然に発見する。
しかし、賢い人間は既にこの能力を知っていて、
自分が生きやすいように、快と不快を自由に書き換える。
自分に有利な方に快不快を書き換える
これでいいんだろ?
>>23
(もしそれが正解だと仮定すれば)それでいいけど、
そう思う根拠も必要だと思う
根拠が必要だと思わない人はそこらへんのビジネス書読んどいてどうぞ
つまり成功出来る人間とは
生まれ持った「快と不快」のプログラムに反抗し、
そのプログラムを自分の夢や目標のためにアップデートする事が出来る人間なのではないか
>>24
なっが、それだけを最初に言えよ
それから継続するってのはみんなやっていることで、どういう努力をするかのほうが大事なんだが
以上です。
僕はそんなに賢くないので、
これが正しいとかは言えません。
反論があればどうぞ言ってください
俺は努力しようとすると頭痛がして不快感しかないんだけど
>>28
俺だってそうだよ。
努力というのは大抵の場合不快感を伴う
でもそれを快感に置き換えることだって可能って言いたいの
賢い人はそれを知ってて実践できてる
出来ないのなら賢い人間ではないってことだ
>>33
どうやって置き換えてるの?
簡単な方法だけでも教えてよ
それが俺に合う合わないは別として
>>34
俺の場合、
勉強は嫌だった、つまり勉強すると非常に不快なわけ
でも勉強すると色々な話題を話せるようになる
さらに人によっては「話してよかった」「もう一度会って話したい」と思ってもらえる
俺にとってこれは非常に快感
だからもっと勉強する 快感だから
こんな感じだで
まあダイエット成功してもモテなかったけどな俺は
あんた痩せてもキモイわねって言われただけだ
苦しい思いをしても欲しい物は手に入らない
>>32
モテるのが目的ならほかにもやり方があるだろ
「社会的地位」「権力」「お金」とか
不快なものはどこまで行っても不快だよ
快感に変わるわけないだろ
不快を無視して行動し続けるだけだよ
それが平気でできるのがサイコパスと言われている
だから座禅とかやって悟り開くと様はサイコパスになるんだよ
自分の感情を無視して行動できるようになるってだけ
それでも不快の先に報酬が無ければ人間壊れるよ
サイコパスだって結果に恵まれなければ壊れる
壊れたサイコパスは目的のために手段選ばなくなるだけ
自力で生み出せないなら横取りするモードに入るからな
まともな人間は疲弊して無気力になる
>>38
うむ
俺はそう思わんな
例えば「パブロフの犬」っていう有名な実験あるじゃん
あれでは犬にとってなんの意味もない「音」が、
人間に手によって意図的にだが、犬にとって大変な意味のある「音」に変わった
もっとしっくりくる事象はあると思うが(また思いついたら書きます)
不快感だってきっとやり方次第で快感に変化させることはできるよ。と思います。
仮にそうでなくても、先の報酬のために目の前の不快なものを無視する(あえて耐える)ということが出来るのは
人間のスゴイところだよ
不快が快感に変わったんじゃなくて、不快の代償を支払って快感を買ってんだろそれ
>>40
最初の段階はみんなそう。
先の快感のために不快に耐える
でもそれを続けていくうちに、目的を達成する為の手段ですら快感に変わるのではないか
ということや
俺は子供のころ歯磨きが嫌いやったけど、今は歯磨きせんとむしろ気持ち悪いで
>>42
慣れただけじゃね
歯磨きしないのが当たり前、筋トレするのが当たり前、当たり前の普段の事が変わることが不快
その不快も次第に慣れてなんとも思わなくなる
もしその不快が自分で何かの為にやってたのなら結果的に快感とやらだけになるんじゃないか」
学校の勉強は努力を裏切らないんだよ
頑張れば平等に点数がもらえる
テストという自分を試す目的も与えられるしね
努力そのものも評価してもらえる
だから学校行かせてもらえるってありがたいことなんだよ
勉強できる奴程それが当たり前になっちゃうから
大人になってから心が折れやすかったりするんだけどな
人生の成功はもっと難易度高いよ
>>41
その通りです
目標によっては、非常に複雑で、その努力方法すら導き出すのが難しいものが沢山ある
むしろそんなものばっかり 株とかもそうだよね
その目標に合った、「適切な努力を導き出す為の」努力をしないといけないですね
筋トレもダイエットも
肉体を変化させるという結果に関しては裏切らないな
ただそれが幸せをもたらしてくれるという結果にはつながらない
>>45
一例ですよ
「筋肉を大きくする」という目的なら当然、筋トレだけで済みます。(そんな人はいないと思うが)
「女の子にモテる」という目的なら、当然筋トレだけじゃなく、その他色々な努力が必要になる
「社会的地位」、「権力」、「お金」等々
「不快」は「快感」に変わるは確かに議論の余地はありそうですね
興味ある人は脳科学とかで調べてください
言及してるお医者さんがいるはずです
ただ、少なくともその逆は確実にあるから
起っても不思議ではないと僕は思うのだが
脳を“だます”とすべてがうまく回り出す
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歳を取った今、痛いほどわかったな
結果が違う形になろうとも、あきらめないことが大切