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2007年10月22日 16:12

五輪マラソンの世界最長記録は54年8ヶ月

 
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オリンピックの男子マラソンでもっとも遅かった公式記録は、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。

日本人の金栗四三氏が記録したものです。

なぜそんなあり得ない記録になったのかは後述するとして、一般にスポーツの最低記録や珍記録といったものは恥ずかしいことが多いものですが、この記録が生まれた背景を見ていくと、実に誇らしく、粋な記録だということがわかります。

金栗四三氏が出場したのは明治晩年にあたる1912年のストックホルム・オリンピック。これが日本のオリンピック初参加で、前年の国内予選では30分近くも世界記録を更新するという、名誉と期待を背負ったものでした。

ところが、北欧の大会にもかかわらず異常気象のため40度近い猛暑に襲われ、68人中34人が棄権するというサバイバルレースになってしまい、彼もまた日射病で棄権してしまいます。しかしながら、連絡ミスによって「棄権」の報告が伝わらずに、「行方不明」という扱いになりました。

そして彼はその後、日本のマラソンの発展に尽力します。

ストックホルムでの敗因を分析、考え出した真夏の房総海岸での「耐熱練習」、心肺機能の充実をはかる富士登山競争、高地トレーニング、そして、孤独な長距離の練習をチームでやろうという箱根駅伝の企画、さらには、女子体育の奨励など、現在のマラソン界につながるあらゆる試みが金栗四三の発案でなされました。
(via: 熊本・いいねっと!

その後マラソンの父と称えられた彼の、唯一心残りだったことはオリンピックの棄権でしたが、晩年にオリンピック委員会からスウェーデン・オリンピック記念行事の招待が届きます。

「あなたはマラソン競技で行方不明になったままなので、ゴールしに来てください。」

オリンピックの記録には「棄権」はあっても、「行方不明」は無いための処置でした。その粋なはからいに応え、スーツ、ネクタイ、コートといういでたちでゴールを果たします。75歳でした。

五輪マラソンの世界最低記録は54年-金栗四三ゴール
54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールを果たした瞬間、「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年…。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされた。これに答えて四三は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とユーモアあふれるスピーチをした。
(via:熊本県教育情報システム:金栗四三展・図録

日本のマラソンが発展した礎や、正月の風物詩である箱根駅伝などを作り上げた偉大な人物の、破られることの無い誇らしい記録ではないでしょうか。

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