○
扉を開ける。
博司が自分の部屋に帰ってきた。
外を走る電車の音が聞こえており、窓を閉める。
冷蔵庫を開け、缶ビールを出して、飲む。
何となくTVを点ける。
お笑い番組をやっており、笑い声が聞こえる。
すぐに消す。
泉水の言葉を思い出す。
泉水の声「わたし、あなたに電話なんかしてない。どうしてわた
しの声じゃないって気付かなかったの?」
博司(M)「毎日のように僕に声をかけてくれた留守番電話は泉
水からのものではなかった。だったら、あれは一体、誰
からの電話だったんだ?」
博司、留守番電話の再生ボタンを押す。
留守電の声「伝言、十二件です」
再生がはじまる。
女の声「もしもし、野々村くん? もしもし、いませんか? 留
守ですか? ええっと、泉水です。また電話します」
博司(M)「菜々──。今度こそすぐにわかった。これは菜々の
声だ。何のためにこんなことを──?」
番号を押し、伝言を飛ばす。
菜々の声「もしもし、野々村くん? 泉水です。今日も留守みた
いね。ええっと、あの──きっと心配してるよね。ごめ
んね。今はまだ上手く話せないの。とりあえずわたしは
元気にしてます──また電話するね」
番号を押し、伝言を飛ばす。
菜々の声「もしもし、野々村くん。泉水です。元気ですか? わ
たしは、野々村くんに会えなくて寂しいけど、でも元気
です。今日、あの日のことを思い出しました。いつか一
緒に台風を見に行った日のことです。またあの台風が来
ます。もう一度あの場所で会えたら──。野々村くん、
わたしは今でもあなたのことが好きです。信じてくださ
い。また電話します」
留守電の声「伝言、以上です」
短い発信音と共に、留守電が切れる。
博司(M)「どうして気が付かなかったんだ、どうして気付いて
あげられなかったんだ。菜々は自分の思いを話していた
んじゃないか──」
部屋を出て行く博司。
扉が閉まる。
博司(M)「あてもなく、僕は菜々を探しに街に出た」
誰もいなくなった部屋で、電話が鳴りだす。
留守電に切り替わる。
留守電の声「もしもしただいま外出しております。御用の方は発
信音のあとメッセージをお願いします」
発信音が鳴り、
菜々の声「もしもし、野々村くん──菜々です」
○
夜の街。
繁華街の喧騒の中を歩く博司。
不安げに救急車が走っている。
博司(M)「思えば、僕は彼女の住所も電話番号も聞いてなかっ
た。もう二度と彼女には会えないんだろうか」
時計の音が鳴りはじめる。
博司(M)「もしも、もう一度あの時からやり直せるのなら、も
しも、あの夏に帰れるのなら──。会いたい。菜々、君
に会いたい」
時計の音が止み、放課後のベルが鳴る。
○
帰り道の、少年(幼い頃の博司)。
誰かが走って来る。
少 女「野々村くん──!」
少 年「え?」
息を切らし、追いかけて来た少女(幼い頃の菜々)。
少 女「ふう、追いついた。ねえ、帰り道こっち?」
少 年「う、うん」
少 女「わたしもこっちなの。一緒に帰らない?」
少 年「おまえ、誰だよ?」
少 女「今日転校してきたの」
少 年「転校生? ああ」
少 女「役場の人が仲良くしてねって言ったら、野々村くん、う
んって言ったでしょ?」
少 年「言ったよ」
少 女「一緒に帰ろ? いいでしょ?」
少 年「いいけど──あんまりくっつくなよ」
少 女「どうして?」
少 年「なんか、女くせえ」
少 女「当たり前でしょ、女なんだから」
少 年「おまえ、親は? 今日、転校してきたんだったらお母さ
ん来てるだろ、一緒に帰れよ」
少 女「お母さん、いないの」
少 年「お父さんは?」
少 女「いないの」
少 年「出掛けちゃったの?」
少 女「ううん、ずうっといないの」
少 年「ずうっといないって?」
少 女「わたし、生まれてすぐよそに預けられちゃったから」
少 年「え──」
少 女「野々村くん、転校したことある?」
少 年「ううん」
少 女「今までね、色んなとこ行ったのよ。だから転校するの慣
れてて一人でも来れるのよ」
少 年「ふーん」
少 女「今はね、おじいちゃんとこにいるの」
少 年「ふーん」
少 女「ねえ、いい物見せてあげようか?」
少 年「何?」
少 女「あのね──」
鳥の鳴き声。
少 年「鳥?」
少 女「うん、ツグミ」
少 年「何でそんなのポケットに入れてんの? 学校に動物なん
か連れて来たら、先生に怒られるぞ」
少 女「怒られるかな? でも、これね、わたしの星座なの」
少 年「星座?」
少 女「そう、星座」
少 年「星座って?」
少 女「あのね──(と、笑ってしまう)」
少 年「何笑ってんの?」
少 女「だって──あのね、わたしの本当のお母さんって、すご
く、おっちょこちょいだったの。だってね、何でかって
言うとね、わたしには誕生日が無いの」
少 年「え──」
少 女「なんかね、施設にわたしを置いてっちゃう時にね、施設
の人に誕生日教えるの忘れてっちゃったんだって。おっ
ちょこちょいでしょ?(と、笑う)」
少 年「う、うん──」
少 女「だからね、わたしの誕生日ってね、施設のおばさんが適
当に作ってくれたんだって。でもさでもさ、そういうの
嫌じゃない? 本物の誕生日じゃないし。だからね、思
い切って誕生日は無いことにしたの、わたし」
少 年「ふーん」
少 女「だけどほら、学校のみんなとかって、星占いとかするで
しょ? 自分の星にお祈りしたりとか。そういう時、星
座が無いと不便なのよね。だから」
少 年「そ、そっか──」
少 女「野々村くんもさ、この子にお願いすれば、何かいいこと
あるかもよ?」
少 年「いいよ、それは君のだし」
少 女「うん。でもね、今日先生に言われたの、明日から学校に
動物持って来ちゃいけないって──どうしよう──」
少 年「──」
少 女「しょうがないか──」
少 年「──チュンチュン」
少 女「え?」
少 年「チュンチュン、チュンチュン」
少 女「どしたの?」
少 年「明日から、学校にいる間だけ、俺がそいつの代わりして
やるよ、俺がおまえの星座になるよ」
少 女「野々村くん──」
少 年「チュンチュン、チュンチュン、チュンチュン──」
少 女「でも、それじゃ雀よ?」
少 年「そっか、じゃあ──ピヨピヨ、ピヨピヨ」
少 女「それじゃ、ひよこみたい」
少 年「そっか──今日帰って研究しとくよ」
少 女「うん、ありがとう。優しいんだね、野々村くん」
少 年「う、うるせえ」
少 女「良かったあ、野々村くんに出会えて」
少 年「──あ、じゃあわたしんち、ここだから。じゃあね」
少 年「あ、おい」
少 女「うん?」
少 年「名前何ての?」
少 女「この鳥、まだ名前無いの」
少 年「鳥じゃなくて──」
少 女「どんな名前がいいと思う?」
少 年「名前──名前、か──ライカってのは?」
少 女「ライカ?」
少 年「ライカ犬って言って、昔、はじめて宇宙に行った犬の名
前なんだ。人間が行く前に試しでロケットに乗せられて
さ」
少 女「ふーん」
少 年「ごはんも水も燃料もみんな、行きの分だけしか無いのに
宇宙に行ってさ、帰って来なかったんだ」
少 女「じゃあライカは宇宙に行って星になったのね? この子
にぴったり。うん、今日からこの子のこと、ライカって
呼ぶね。ありがとう」
行こうとする菜々。
少 年「あ、名前──!」
少 女「だから、ライカ」
少 年「じゃなくてさ──君の」
少 女「わたし? わたしは菜々」
少 年「菜々」
少 女「そう、高村菜々。おぼえてくれた?」
少 年「うん、高村菜々」
少 女「忘れないでね」
現実に戻るように、列車のベルが鳴る。
○
地下鉄のホーム、電車を待っている乗客たち。
駅のアナウンスが流れている。
博司が来る。
博司(M)「人が昔を思い出して、ついつい笑顔になるのはどう
してだろう。笑顔になって、いつか涙がひとつ落ちるの
はどうしてだろう」
かすかに鳥が鳴いている。
通りすぎていく博司。
○
軽快な音楽が流れる中、コンビニで買い物をしてい
る博司。
バイトの青年がレジを打っている。
青 年「七百六十二円になります」
博 司「──」
青 年「お客さん?」
博 司「はい?」
青 年「七百六十二円になります」
金を出す博司。
博司(M)「思い出はいつもセピア色で、近づけば遠ざかる逃げ
水のように、もう二度とこの手には戻ってこない」
店を出て行く博司。
青 年「いらっしゃいませ」
鳥が鳴いている。
○
通りを歩いている博司。
傍らの車道を車が行き来している。
博司(M)「ただ、ひとつ確かなことは、この世界には、かけが
えのないものがあるということ。とりかえしのつかない
ことがあるということ」
鳥が鳴いている。
通りすぎていく博司。
○
博司(M)「果たせなかった約束が引き出しの中に、郵便受けの
中に、留守番電話の中に、ただ積もっていく。ただ降り
積もっていく」
公衆電話のテレカの返却音が鳴っている。
歩いてくる博司。
立ち止まり、電話ボックスの扉を開け、中に入って
行く。
受話器を取り、かける。
呼び出し音が鳴り、博司の留守電が出る。
留守電の声「もしもしただいま外出しております。御用の方は発
信音のあとでメッセージをお願いします」
留守電の発信音が鳴る。
留守電の声「伝言、一件です」
菜々の声「もしもし野々村くん──菜々です」
博 司「菜々──」
菜々の声「おかえりなさい。まだ家に帰って来てないのかな。わ
たしはさっき戻ってきたところです。野々村くん? 今
どうしてますか?」
博 司「君の留守電聞いてるよ」
以下、留守電の菜々の言葉に合わせ、話す博司。
菜々の声「何となく話がしたくて、電話しました。でも留守じゃ
しょうがないね」
博 司「馬鹿、もっと早く電話しろよ」
菜々の声「別に何が話したいってわけじゃないけど──ただ、な
んかさ──なんかね。なんか、なんかね──なんかさ、
話したいなって」
博 司「なんかな」
菜々の声「野々村くんってさ、歯磨き粉何使ってるのかな?」
博 司「そんなことか」
菜々の声「この間安売りでホワイト&ホワイト買い過ぎてさ、あ
あいうのって腐るのかな?」
博 司「知るかよ、そんなこと」
菜々の声「夜、何食べた?」
博 司「これからコンビニの弁当だよ」
菜々の声「風邪ひいてない?」
博 司「大丈夫」
菜々の声「卵酒飲んだ方がいいよ」
博 司「だから、ひいてないって」
菜々の声「食べ物、何が好き?」
博 司「オムライス」
菜々の声「どうせオムライスとかだろうな」
博 司「(ぷっと吹き出す)」
菜々の声「それじゃあ──」
博 司「おい、待てよ」
菜々の声「あ、そうそう、ひとつ大ニュースがあります」
博 司「何何?」
菜々の声「ライカが見つかりました。あのあと、ふらふらお散歩
してたら、見つけたんです」
博 司「良かったな」
菜々の声「実を言うと、ちょっとした大冒険があったんですよ。
屋根の上に登ったりとか、散髪屋さんに虫取り網を借り
たりとか」
博 司「(笑う)」
菜々の声「でも今は無事にわたしのポケットの中で眠ってます」
博 司「そうか──」
菜々の声「けど、またいつかどっか行ってしまうかもしれない」
博 司「大丈夫だよ」
菜々の声「その時は──ねえ、野々村くん、覚えてる? 忘れて
るだろうな。はじめて会った時のこと」
博 司「思い出したよ」
菜々の声「もし、もしもさ、この鳥がいなくなってしまったら、
そしたら野々村くん、またあの時のように──」
博 司「ああ」
菜々の声「わたしの星になってよ」
博 司「ああ、なるよ」
菜々の声「なんてね、嘘よ」
博 司「なるってば」
菜々の声「けど、もしそうなったら、わたしね、すごくわがまま
言うと思うんだ」
博 司「言っていいよ」
菜々の声「遅刻したら許さないし」
博 司「しない」
菜々の声「待ち合わせ場所にはわたしより、十分早く来て欲しい
し」
博 司「ああ、これから先、十分ずつ遅刻した十年を返すよ、だ
から──」
菜々の声「あとね、夜中に寂しい時は電話してくれる?」
博 司「飛んでいく」
菜々の声「毎日ちゃんと好きだって言って欲しいな」
博 司「──好きだ」
菜々の声「名前付けて言って欲しいな」
博 司「好きだ、菜々」
菜々の声「そんなこと言えるわけないよね」
博 司「言えるよ」
ふいにテレカ切れの発信音が鳴る。
博 司「あ──」
菜々の声「いつか、そう、また十年して、会えるといいね」
博 司「十年なんて言うなよ、今会いたいんだ」
菜々の声「それでもときどきは、電話とか」
博 司「電話じゃなくても」
菜々の声「手紙とか」
博 司「手紙じゃなくても」
菜々の声「わたしのこと」
博 司「呼び続けるよ、君の名前を呼びつづけるよ」
菜々の声「わたしね、あのね、野々村くん、君に会えて、よかっ
たって思う」
博 司「ああ、君に会えてよかった」
菜々の声「好きよ」
博 司「菜々」
菜々の声「好きです」
博 司「菜々」
菜々の声「野々村くん、好きよ」
博 司「菜々──!」
ぷつんと切れる電話。
切れた受話器からプープーとだけ鳴っている。
博 司「──俺も──菜々、俺も君のことが好きだ」
間。
受話器を置く。
かすかに鳥の鳴き声が、聞こえる。
だんだん近づいてくる。
博司、扉を開けて、出て行く。
ひとりつぶやく。
博 司「また会えるよな──」
鳥の鳴き声が大きくなる。
主題歌が入る。
余韻を残しながらも、放課後の校庭ではしゃぎ回る
子供たちの声が聞こえる。
博司(M)「僕らは歩いていく。すべては長い長いひとつの時の
流れの中にあって、どんなことも引き返すことなく、た
だ前へ前へと進んで行く。僕らは歩いていく。過去と未
来を繋ぐ線路に耳をあてながら旅を続ける」
END