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ありんくりん18
琉球新報 2014年8月8日

「サポートで彩る子育て」


 最近全国にできている、赤ちゃんが一緒に入れる映画上映。沖縄にはまだないようですが、館内の照明を通常より明るくし、音は控えめで、赤ちゃんにも過ごしやすい空間にしているそうです。みんな子連れなので、赤ちゃんが泣いても、授乳しても、気にはならないそうです。素敵!行ってみたい!と思いつつ、いや、映画ぐらいは子ども抜きで見たいと思っちゃいました。だって子どもを気にかけながらだと、十分なリフレッシュ、リラックスにはならないじゃないですか。これこそ、ママにサポートが少ない、日本の子育て事情を反映していると言えるでしょう。

子ども、特に乳幼児を気軽に預けられる場所って、本当に少ない。仕事や病気の時は、親をはじめ、まわりに頼ることはできても、自分の遊びのために堂々とお願いするのはやりづらい。有料で預ける方法はあるけれども、そんな余裕もなかなかない。仕事をするためにでさえも保育園は見つかりにくいのに、自分の娯楽のために子どもを預けるのは、気が引けてしまうことも。

先日、私の息子が一歳の誕生日を迎え、この一年、夜は一日も欠かさずに息子と二人で寝ているので、ぐっすり朝まで寝たことがないことに気づきました。こんなにも一人の人と密着する機会って、なかなかないですよね。この積み重ねだけでも、母と子ってすごい、そして私に十分なお休みはまだないのね、と実感しました。

私は出産前は子どもを預けて旅行に行くのを夢に見ていたのに、今では子どもも一緒に行くこと以外、考えられなくなっています。でも時には自由に、これは子ども抜きで私だけ、これは夫婦二人だけ、そしてこれは家族みんなで、と選ぶことができたらいいのに。選択肢の多さは、生活の豊かさに比例するんだもの。きっと子ども自身も、親の都合に合わせるより、時には親と離れ、自分の好きなことに付き合ってくれる人と一緒にいることも嬉しいはず。そのためにも、普段から、たくさんの人が子育てに関わってくれ、時には気軽に預かってくれる人がいるといいのに。いまの私は、ヘルパー、ファミリーサポート、一時保育に助けられています。そして私も落ち着いたら、誰かの子育てサポーターになりたい
です。

母親になっても、それ以外の自分も大切にしていきたいこの頃。だってやりたいことがたくさんのアラサー女子なんだもの。このコラムを書く機会もありがたいし、カフェで一人のんびりするのも、友だちとのランチも最高です。



15できることから繋がろう!



琉球新報
2013年3月5日(火)
おはなしありんくりん

できることから、繋がろう!

東日本大震災から二年。原発問題はどうなるかわからないし、いまだ仮設住宅に住む人もいる。もう被災地と呼ばれたくないという人もいれば、みんなの関心が薄れていくことがやるせない、という人もいる。私は直接被災したわけではないけど、あの時のことを思い出すのは辛いし、今後の放射能の食べ物への影響も心配が尽きない。


私は学生時代、カンボジアの孤児を支援するNGOに所属していた。チャリティーコンサートを開いて資金集めをしたり、孤児の就職支援の一貫で英語教育を行った。そして実際に現地に行き、子どもたちと交流した。子どもたちはいろいろな事情で孤児院で生活をしているが、中には内戦で親を目の前で殺された子もいた。日本にいながら、そして学生の私ができる支援は限られていたけれども、できる限りのことをした。しかし私には、食べ物にも困らず、友だちと遊びに行く毎日があり、カンボジア支援は私の日常とはかけ離れた、ある意味趣味のようなものだった。


わざわざ離れたカンボジアの問題に目を向けなくても、日本でもできることはたくさんある。障害者の教育、就職は厳しい現状だし、子育て家族への支援も少ない。子どもの置かれているいじめの問題も深刻だし、ホームレスも右肩上がり、そして自殺者数も三万人強。身の回りで、人のためにできることはたくさんある。でも何かしたいと思った時、問題が身近にあればあるほど、直視するのが辛いことがある。自分の生活と問題を切り離すことができないし、自分もその問題に加担していることに気づくから。


復興支援も、原発問題も、一人ひとりが関心を持ち、毎日の生活の中でできることを、やり続けることが、賢いことなのかもしれない。義務感だけを背負うと、辛くなる時もある。楽しみややりがいを見つけることが、動き続けるポイントだと感じる。


特別な環境にいる子どもの支援をしたいと思っている私は、養子をもらいたいと思ってる。血の繋がりはない親子の出会いも、私には魅力的。東日本大震災の養子を引き取れたらなおいいのだけど、今はタイミングが合わず、そこが難しいところ。また6分の1の夫婦が抱えているという不妊問題に対して、養子縁組という方法でチャレンジして行くのも面白いだろう。

3・11を迎えながら、あなたも自分の生活をよくするため、身近にあることからやってみませんか?



4、障害者って超大変

2010年8月11日
琉球新報 落ち穂

障がい者って超大変!?

 「一人でトイレもできないし、ご飯も食べられない」「四六時中、誰かが面倒をみないといけない。」障がい者と聞くと、そうイメージするのではないだろうか。でもこのイメージは障がい者以外の人にも当てはまる。しかもその人は何もできないのに、みんなに愛され、いるだけで周りを幸せにする。そんな人っていたっけ?あっ!そう「赤ちゃん」がまさしくそうなのだ。赤ちゃんこそ最重度障がい者。そして今、生きている人は誰でも、障がい者だったとも言えるだろう。
 「この子と一緒に死のうと思った。」障がい児がいる母親からよく聞くこの言葉。赤ちゃんの時は健常者も障がい者も変わらないのに、障がいへの不安で押しつぶされてしまう親たち。そして「わが子を殺そうと思った」という殺人未遂とも言える話を、周りが「辛い中、頑張って子育てしたね」と感動の話としてすりかえてしまうこともよくある。でも子どもは「自分の生が、自分を生んだ親に否定された」だなんて知ってはいけない。親は聞かせてはいけない。子育てが苦しいのは、障がいがあるからではなく、障がい者を取り巻く環境が苦しい、ただそれだけのこと。
 私は、障がいがあるのにすごいね、とよく言われる。でもそう褒めてくれる人はまず、自分も何もできない赤ちゃんだったことを思い出し、泣いて助けを求め、賢く生きてきた自分を褒めてほしい。人はどんな状況でも、サポートさえあれば賢く生きていける。生きるために助けを求めることは、人が生まれながらに持っている力であり、権利でもある。親が子育てで大変な時には助けを求め、周りはそれに応える。助け合いに、障がいの有無は関係ない。
 一方、私のパートナーは「奥さんが車椅子だから大変ね」と言われ、私と一緒にいるだけで褒められる。私だって彼の面倒を見ているのに…と思いつつも賢妻の私は何も言わない。かわりにその褒める人にも何か手伝いをしてもらう。するといつか自分も助けてもらっている事に、その人も気づくだろう。あぁ、そこまで考えなきゃいけないだなんて、障がい者って超大変。

1、夏子の作り方


琉球新報 2010年7月2日(金)
落ち穂 「夏子の作り方」

 夏子という名前から「夏に生まれたんでしょう?」と聞かれることがよくあります。そう、もうちろん、夏です!と言いたいところなのだけど、実は4月生まれの私。「生まれた時にすでに足を2カ所骨折していて、命があと何日持つか分からない、とお医者さんから親は言われたそうです。何日持つか分からない命に名前だけは付けなきゃいけない。夏の子どもみたいにとにかく元気に育ってほしい、そんな想いで夏子と付けたそうです」と答える私。一方で、いつも以上に明るい声で「沖縄と言えば夏!太陽の下で元気いっぱいに遊ぶ沖縄の夏の子どものように、明るく、元気に、のびのび育ってほしい、そんな想いがあるの」と答えることもしばしば。
 名前に託された本当の想いは当時の親にしか分からないのだけど、初対面の人にとっては、障がいがあり、車いすに乗っていて、身長も100センチ弱の小さな私のインパクトはかなり強いのです。この「いかにも障害者」という暗いイメージを払しょくさせるべく、初めの自己紹介は私にとって大切なのです。見た目のインパクトを覆すほどのイメージをどうやって伝えていくかが、悩みどころでもあり、私の人生の楽しいところでもあるのです。
 名前の由来で、辛い中でも元気に頑張ってい生きているという、涙をそそるような雰囲気を伝えたかったら前者の理由を使い、沖縄の南国のイメージと共に「私、毎日楽しいの、うふふ」という印象を作りたかったら後者を使う。同時に相手の反応も楽しむのです。
 今の時代、障がいがあるから大変で、でもそれを乗り越え頑張っている、という障がい者像はもう時代遅れ。障がいは個性、と言われたりもするけれど、障がいがポジティブなイメージを持ち、偏見がないという社会からも程遠い。現実では障がい者に接すると、恐怖や戸惑いの感情が湧きあがる人が大半ですよね。その当たり前とも言える感情を持ちつつ、今までとちょっと違った障がい者像、言い換えると、とっても魅力的な夏子像を与えられる連載にしようとワクワクです。一緒に考え、感じ、楽しんでくださいね。 

沖縄の琉球新報の「落ち穂」というコーナーに、連載をすることになりました。
月に2、3回のペースで、初回は7月2日です。
12月までの14回です。

今、まとめて3回分を書いているのだけど、なかなか難しい。
そして超楽しい。
文字数が800字ということで、書いては削って、思いついてはまた書き加えて…
全然終わりません!
文を書くことって、奥が深いですね。

12月まで楽しみま〜〜す。



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