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20170717宝物の二人


































琉球新報社提供

琉球新報 2017年7月17日(月)
100cmの視点から あまはいくまはい
「宝物の二人」

(↑こちらをクイックすると琉球新報styleのページから読めます)

リスクの高い2回目の妊娠も順調に進み、妊娠31週で管理入院しました。私の両親が沖縄から来てくれ、息子の碧(当時1歳)の面倒を見てくれました。

 入院してゆっくり休めると思ったものの、息子に会えないのが寂しくて寂しくて。しかも碧は、私が入院する1週間前に保育園に入園したばかり。彼にとっては家も保育園も新しい環境で心配でした。でも息子の力を信じて、お互い頑張るしかありません。週2回、碧がお見舞いに来てくれ、週1回は私も自宅で過ごすことができました。

入院から約1か月の35週、8月3日が帝王切開の日になりました。麻酔がなるべく赤ちゃんにいかないように、おなかの消毒や、尿の管を入れるのも、麻酔をかける前にやることに。今までの手術では、それらは麻酔の後にやっていたので、その痛みは初体験。そして麻酔がかかって、ほんの数分で赤ちゃんが誕生です。おなかも前回の半分の長さしか切らず、出血もそこまでなかったので、心配していたトラブルは何も起きませんでした。帝王切開一つをとっても、病院、医師が変わるとこんなにも方法が違うのかと驚きました。

 碧と全く同じ大きさ2160グラムで生まれた女の子。私の名前を一文字とった「夏帆(かほ)」と名付けました。早産にもかかわらず、呼吸器も付けず元気いっぱい。出生翌日から直接授乳も始まり、予想の半分の約2週間で退院できました。

 夫が産休を1週間取れたのもありがたく、帝王切開後で、ご飯を食べるのも、トイレに行くのもきつい私に病院で付き添ってくました。産後1週間で私は退院したのですが、なんとその直後に1週間、寝込んだ夫! オットット…。「休みたいのは私だよ!なぜこの大変なときに!?」と思いつつも、私は病院にいる夏帆に母乳を届け、家で碧の世話をしつつ、新生活が始まりました。

 2歳差育児は本当に大変で、寝られず、休めず、疲れはたまるばかり。夫は夜勤で夜は不在、夜9時以降はヘルパーもいないので、私1人で子ども2人を見る毎日。私も体調をよく崩し過酷でしたが、大変な渦中では何も考えられず、毎日を過ごすだけで精いっぱい。2年たった今振り返ると、あの時は相当きつかったです。今は碧が4歳、夏帆も2歳になって、2人で遊ぶようになり、だいぶ楽になりました。乗り切った2年間、乾杯!

 身長100センチ、骨の弱い私が、まさか子どもを2人も生むだなんて! 事実は小説よりも奇なり!? やって来た2人の宝物、本当にありがたいです。

20170703妊娠の喜びとリスク


































琉球新報社提供

琉球新報 2017年7月3日(月)
100cmの視点から あまはいくまはい
「妊娠のリスクと喜び」

(↑こちらをクイックすると琉球新報styleのページから読めます)

身長100?、体重20kg、骨が折れやすい障害があり、車椅子で生活している私。そんな私が、4年前の2013年、おなかのなかで赤ちゃんを9ヶ月、2000gまで育て、元気な男の子、碧を出産しました。不思議でもあるし、生命の神秘、奇跡とも言えます。だからこそ「生むのは一人、あと一人は養子を引き取りたい」と考えていました。でも碧が1歳になった頃、子育てが少し落ち着き「あと一人生むのもいいな、可愛いだろうな」と思ってしまったのです。そしたらすぐにやってきた二人目。

しかし、重要なことを忘れていました!一人目を生むとき、帝王切開の子宮底部横切開をし、子宮を大きく切りました。これは二回目の出産では多量出血や、子宮破裂のリスクが伴う可能性があり、二人目を考える人には推奨されない方法でした。あと一人を生むとは当時は全く考えておらず、その手術法に同意したのでした。2人目を妊娠して、それを思い出した私。そんな楽観的な自分にびっくりですが、それを忘れていたからこそ、すぐに来てくれた2人目ちゃん。前に進むしかありません。

1人目の時と同様、何か月まで赤ちゃんがおなかにいられるか分からないし、NICU(新生児特定集中治療室)が整った病院で、信頼できる医師のもとで生む必要がありました。前回の手術法のこともあり、今回は前回よりもリスクが高まり、さらなる経過観察、安静も大切です。神奈川県で一番大きな、周産期医療が整った病院が自宅の最寄りにあり、そこに通うことになりました。碧を生んだのは香川県だったので、その医師と、神奈川県の担当医と連絡を取り合ってもらい、前回を参考にしながら経過を見ていきました。

2回目はつわりが重く、一日10回くらいトイレにこもる日々。まだ1歳の碧もいるのでゆっくり休むこともできません。ヘルパーがいる時間を増やし、私と碧、二人きりで過ごす時間を少なくしました。毎朝5時半に碧は起きるので、その相手もつらく、タッパーにおやつを入れておき、彼が朝一人で食べられるよう工夫したりもしました。また無理をしないと決め、自分でできるけれども体に負担がかかること、例えば落としたものを拾うことでも、人になるべくお願いするようにしました。

おなかの中ですくすくと成長する二人目の赤ちゃん。女の子とわかり、ますます楽しみでした。順調に成長する赤ちゃんの大きさの割合は、私の小さな体から見ると、けっこう大きいのです。体のバランスを崩しやすく、転ばないように気を付けました。碧は私の膝に座り甘えてくるし、毎日がギリギリ。でも何もトラブルもなく、妊娠後期を迎えることができました。続きはまた次回に・・・。

写真:二人目出産直前の家族写真 2015年7月(撮影・鈴木智哉さん)







20170226 十分待って出産へ




















東京新聞・中日新聞
2017年2月26日(日)
障害者は四つ葉のクローバー

「十分待って出産へ」

「妊娠27週、赤ちゃんの体重1000gで出産」が目標だった私の妊婦生活は、予想以上に順調。目標より出産を先に延ばすことになりました。あかちゃんはおなかの中で元気に動き、ある日の検診で右側にあった頭が、翌日には左側に移動していたり。私は身長100cmで、おなかの中は狭いかと思われましたが、赤ちゃんにとっては自由に動けるほどのスペースがあったようです。

赤ちゃんが長くお腹にいて成長してくれたので、帝王切開の方法も予定とは変え、子宮底部横切開という方法になりました。赤ちゃんを安全に取り出すことができる反面、出血量の増加や、第二子出産の際のリスクが高まる恐れのある手術です。当初、私は第二子は養子を考えていたので、これが最後の出産と思い、赤ちゃんの安全を最優先しました。胎内では私の骨が弱い障害が遺伝しているかは分からず、生まれてきてから骨折をする可能性もあったためです。

35週になり、赤ちゃんの発達はほぼ完成。新生児集中治療室(NICU)で育てても問題ない段階にきたので、いよいよ手術することに!母子ともに元気だったので、私はもう少し長くおなかにいてほしいな、とも思ったのですが、ここまでこれたことも奇跡です。欲張らず、苦しくなる前の出産を決めました。

2100gで生まれた息子。手や足を動かし、元気いっぱい。生後一週間で、抱っこと直接授乳ができるようになり、約1ヶ月、NICUで過ごしました。母子ともにトラブルもなく「案ずるより産むがやすし」だった妊娠、出産。全ての運を使い果たしたと思ったくらいでした。

そして当時は、2年後にまさか第二子を出産するなんて思ってもみませんでした。自分でもびっくりな私の人生、そして誇りにも思います。

写真:1か月過ごしたNICUから退院する息子

20170212赤ちゃんの適応力驚き


















東京新聞・中日新聞
2017年2月12日
障害者は四つ葉のクローバー
「赤ちゃん適応力 驚き」

 前回(一月二十九日)に続き、私の妊婦生活の話です。目標は妊娠二十七週、赤ちゃんの体重一〇〇〇?での出産。赤ちゃんには一日でも長くおなかにいてほしいので、体の負担を減らすことを優先しました。
 
 おなかが大きくなると体のバランスが取りにくくなりますが、私の場合、身長が一〇〇?、体重が二〇?しかないので、増す比率が大きいのです。骨も弱く、転んだら骨折の恐れも。役所に交渉してヘルパー派遣の時間を増やしてもらい、家事などもそれまで以上にヘルパーと一緒にするようにしました。車椅子も改造し、リクライニングできるように。電車では車椅子に乗ったままだと揺れが体に響くので座席に座り、時には横にもなりました。

 赤ちゃんも私の体に合わせて独自の成長を遂げていきました。妊娠後期には普通、赤ちゃんは頭を下に向け、骨盤に収まり、産道を通る準備をします。しかし私の骨盤は小さく、もし赤ちゃんがそれに合わせて姿勢を固定してしまったら、赤ちゃんも成長できず、私も苦しくなってしまいます。すると、なんと赤ちゃんは、あえて産道を目指さず、おなかの中でぐるぐる動き回っていたのです。

 赤ちゃんは自分でスペースを見つけてゆっくりと大きくなり、私も肺や骨が圧迫されることはほとんどなく、ぎりぎりまでおなかで育てることができました。帝王切開で生まれる、ということを、赤ちゃん自身も最初から分かっていたのかもしれませんね。

 順調だったため、予想より遅い妊娠二十九週で管理入院。病院のエアコンの冷えが良くないと思い、真夏だったにもかかわらず毎日足湯をし、自分でできる体にいいことをしていました。「苦しくなったらすぐに赤ちゃんを出す」という方針で、今か今かと生まれるのを待つ毎日。出産についてはまた次回に。

写真: 出産2週間前の検診

20170129待ちに待った赤ちゃん


















東京新聞・中日新聞 2017年1月29日(日)
障害者は四つ葉のクローバー
「待ちに待った赤ちゃん」

子ども二人を連れていても、なかなか母親に見られない私。身長一〇〇?のこんなに小さな体で二人も子どもを産めたことは、自分でもびっくりです。
 
 ずっと子どもが欲しかった私は、二十代から積極的に婦人科検診を受けていました。しかし「診察台に座れないでしょう」と、診察さえ拒否する病院もたくさんありました。
 
 希望を持てたのは、私と同じく小柄な障害者の出産を担当したことがあるという先生に診てもらった時。「あなたの子宮は一般女性の平均と同じ大きさです。妊娠・出産の可能性はありますよ」と言われました。身長はこんなにも小さいのに、体のパーツは比例していないだなんて! びっくりでした。諦めずに、いい先生に出会うまで受診を続けていてよかったです。 
 
 一回目の妊娠は二十九歳、パートナーの転勤で住み始めた香川県でのことでした。パートナーは、私の小さな体が妊娠にどこまで耐えきれるか、大きな不安を抱いていました。しかし医師から「苦しくなったら出せばいいのよ。できるところまでやってみましょう」と言われ、少しずつ前向きになりました。しかし残念なことに、その時は初期流産になりました。
 
 二回目の妊娠は、三十一歳。経過は順調で「妊娠二十七週、赤ちゃんの体重一〇〇〇?」を出産目標としました。赤ちゃんはいつまでおなかにいてくれるのか、肺をはじめ内臓などが圧迫されないだろうか、など不安なこともありましたが、待ちに待った赤ちゃん。とても楽しみでした。
 
 私の障害の遺伝率は50%。赤ちゃんがおなかの中で骨折している可能性もあるので、経過を慎重に診て、出産後も特別なケアが必要かもしれないということを医師とも十分に話し合いました。赤ちゃんが私の小さなおなかでどうやって成長していったのか、想定外の妊婦生活は次回に。   

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おっぱい、おいしい!
食欲がでてきた娘ちゃん。
もうすぐ退院できそう!
そしたらおにいちゃん怪獣とどうつきあって行くかだわね。





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仲良し二人組。
こちらも癒される。





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私、けっこう疲れてて、産後って体がこんなにきついものだったっけ!?と思ったり。
我が子の可愛さに癒されるのは、私の中での疲れのサイン、笑。
あぁ疲れてる。

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8月3日、元気な女の子を生みました!
35週の早産だったにも関わらず、すぐに泣き、呼吸器もなしで、びっくりなくらい元気!!
生まれた翌日の今日から、直接授乳もはじまるようで、母子同室もいけるかもしれないとのこと。
せっかくNICUの整った病院での出産を選んだのだから、NICUでゆっくりしてもいいんだけどね。




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体重は2160gと息子くんとまったく同じ。
でも見た目ふっくらおデブちゃん。
顔に肉がつくタイプなのかしら、笑。

二回目の帝王切開でリスクが高くなるので、心配だったけど、私の産後の痛みも、傷も、前回よりも軽く、順調でありがたいです。

家族四人、これからもよろしくお願いします!

こんなに小さな体の私が、子どもを二人を生めているって、自分でも不思議。
(二人目ちゃんはまだ生んでいないけど、順調なラストスパート)
きっと「無理をしない」って決めているのが大きいんだと思う。

二人目妊娠してからは、息子くんと二人きりだけの時間はなるべく作らないようにして、ヘルパーや、ファミリーサポート、一時保育を手配していた。
何か起こった時、どうしても無理をするだろうから、それを避けるためにね。
なかなか入れなかった保育園も、市長に手紙を書いたり、とにかく交渉し続け、家から一番近い保育園に入園できたの。

電車に乗る時も、車椅子での乗車だとけっこう揺れるので、座席に移って座り、車内が空いていると、寝そべったりもしていた。
見た目は悪いし、マナー違反かもだけど、でも振動ってけっこうおなかにくるんだもの。

物を落として自分で取れそうな時でも、なるべくひろってもらったり、ちょっとの移動でもなるべく抱っこをお願いしている。
私の産後5日間は、パートナー君も産休を取れることになったし、それもとてもいいよね。

経済的理由で、どうしても休めなかったり、無理をせざるを得ないことはあるけれど、ちょっとの楽が、自分を予想以上に救う時もある。
私は障害者だから、制度が整っているんじゃない?って思う人もいるだろうけど、産後の友だちの中には、宅配サービスを利用して調理を控えたり、上の子の保育園の送迎をファミリーサポートに頼んでいる人がいる。
それってすごく賢いと思う。
体がつらい時は、歩ける人も車椅子で移動したり、いろいろなことにもっと頼ってもいいのに。
お金はかかるけど、探せば意外と安いところもあるしね。

誰かにお願いするって、時間もかかるし、説明も疲れるし、けっこうストレスフル。
でも、賢く、辛抱強く、相手を信頼して頼っていく、甘えていくって、とても大切!
まわりを頼れる環境を作って行くのは、頭を使って大変だけど、そうしないと無理をしちゃうんだもの。
がんばり過ぎないために、がんばる。
それがこれからもモットーだわ。

私は普通分娩は無理だろうし、早産、帝王切開で、赤ちゃんはしばらくNICUに入らざるをえない。
でもそれが我が家の普通だし、目標や基準を、他人と比べないで、いまの自分に合わせていくのって、誇らしい。
NICUで寂しい思いを赤ちゃんはするだろうけど、我が家に来ることを彼女自身が選んだのだろうから、きっと大丈夫!

帝王切開の予定日、35週の8月3日まで、あと5日。
明日の満月のせいか、体は重いし、けっこうきついけど、赤ちゃんはおなかの中をぐるぐる動き回って、キックして、居心地はいいみたい。
いい出産になりますように!

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入院して一週間。
週末は日中だけは家で過ごせたの。(夜、寝るのは病院だけど)
めっちゃ嬉しそうな息子くん。
遠距離恋愛はいいわね。
愛情が深まるわ!笑
ってか、この写真、私と息子、ほぼ同じ大きやん、、、



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ヤフオクでフランスから買ったUSEDの女の子服。
(送料も500円くらいと、便利な世の中。)
あぁかわいすぎる!!!
私が着たいよ。

女の子、楽しみ!

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31週になり、私は入院生活スタート!
体調はいいんだけどね。

息子くんには、入院について何度も話していたので、わかっていたみたい。
入院当日、朝は普通にバイバイしたのに、午後からなんと39度の発熱で、保育園からお呼びだし。
こんなこと、この一年で初めて。
ご飯も戻しちゃうけど、ウィルスとかの病気ではなく、ストレス、不安だったみたい。
一日ですぐに元気になりました。

でも電話で話すと、「ママ」って言いながら、ポロポロ涙を流す彼。
病院のお見舞いのお別れでも、声を出さずに涙ポロポロ。
もっと騒いだり、駄々をこねてもいいのに。
切ない。

ちゃんとわかって、がんばっているんだね。
親バカかもしれないけど、彼は本当に賢くて、優しい方だよ。
彼の持って生まれた性格だわ。

息子くんとの離れ離れは、想像以上に寂しい。
でも元気な赤ちゃん生むために、私もがんばらなきゃ。
35週までいけるかな、いけないかな。



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