琉球新報社提供
琉球新報 2018年4月17日(月)
100cmの視点から あまはいくまはい
「名前で呼び合おう!」
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子どもの頃、スーパーが大好きだった私。買い物が好きだからではなく、動きやすいから。外の道は、でこぼこで傾斜があり、車椅子の私は一人では移動できません。でもお店の中は、床が平たんで通路もまっすぐ。車椅子でもラクラクです。一人で動けることが楽しくて、買い物が好きになりました。
しかし今から約30年前、家の近くにできたショッピングセンターには、車椅子用トイレがありませんでした。本も見たいし、雑貨も選びたい。でもトイレを気にしなくてはならず残念でした。
そこで「あなたの声をお聞かせください」と書かれた箱に「車椅子用トイレを作ってください」と書いて入れることに。でも一人の意見ではダメだと思い、用紙を持ち帰って家族や友だち、学校の先生など、何人かにお願いして書いてもらいました。すると、なんと一か月後に車椅子用トイレができました。12歳の私は、とても嬉しかったです。
歩ける友だちは、車椅子の私と一緒に出かけて初めて、カフェの入り口に段差があること、道に傾斜があること、電車に乗るのに普通の人の二倍の時間がかかることを知るそうです。私にとっては、世の中には必ずバリアーがあって、何事にも時間がかり、助けが必要なことが当たり前です。歩ける人たちは物事がスムーズに進むのが普通のようです。
時には私も、時間や手間のかかる車椅子の生活に疲れて、嫌になることも!でも私に出会った人が「みんなにとって使いやすいって、どんなことだろう」と考え、それを形にしてくれたら、疲れは激減します。そして一緒に動いてくれる人が多ければ多いけど、解決できることが増え、より楽しくなります。
ハード面のバリアーを、みんなのハートで変えていきませんか?
子どものころからおませで、恋バナ(恋の話)が大好きな私。「好きな人と目が合ってドキドキしたり、わざといじわるをしたり、手を繋いでデートをしたり。あ!でも車椅子だから手を繋ぐタイミングが難しいな…抱っこはしてもらえるから、それがポイント高いかな」などと思い描いていました。
高校の時、好きな男子のいるクラスによく遊びに行っていました。彼とは学校ではあまり話さないのですが、毎晩1,2時間も電話をする仲でした。
ある日、彼が「夏子が教室に来ると、目立つから困る」。ショックでしたが、友だちに相談すると「声が高いし、うるさいから、目立つのかも。少し静かにしてみたら?」とアドバイスをされました。車椅子だから目立つのかも、とも思いましたが、車椅子を使う私を変えることはできないので、仕方ない。できるところで努力をしなくちゃ、と思っていました。
やりたいことをなんでも試してみる私は、恋愛でも常に積極的でした。偶然を装って下校時間を彼に合わせてみたり、デートの約束をしたらお弁当をちゃっかり作っていったり。
「好き」アピールのあからさまな私は、時には男性たちには重かったことでしょう。大学で出会った夫とも、付き合うまでに何度もふられましたが、いろいろな出来事が重なり、いつの間にか彼の気持ちが私に向いていました。
もちろん障害があると恋愛・結婚にハードルはあるでしょう。でも私の障害をなくすことはできないので、それを理由にしていたら何も始まりません。そんな私の恋愛の数々は、若気の至り、今思いだすと恥ずかしいことばかリ。でも本当に楽しかったです。
そしていっぱい泣いたつらさや悔しさも、今の私を作っています。いろいろな気持ちを味わえる恋愛が、私は大好きです。
もうすぐバレンタイン。子どもの頃からお菓子作りが大好きだった私は、当日に向け試作しまくるのが恒例!味が良く、見た目もよくて、そんなに手間もかからず、常温で保存でき、ラッピングしやすいもの。ガトーショコラ、トリュフ、スイートポテト、クッキーなど、いろいろなものに挑戦しました。
しかし骨の弱い私にとって冬は体が硬くなり、骨折しやすい季節なのです。せっかく計画、準備をしても、骨折のため諦めざるを得ないときも。悔しいけれど、それも私にとっては日常茶飯事。計画を立て直して、「二週間もたてば痛み治まるからこれならできる」「動けない代わりに今年はこうしよう」考え、その時間を楽しみました。
時々、周りから「障害があるのに、どうしてそんなに前向きなの?」と聞かれることがあります。いま思うと、子どものころから骨折、入院を繰り返したおかげで、どんな状況でも楽しむことが得意になったのではないかしら。
もちろん、痛いし、動けないし、嫌だと思うことはたくさんありました。でも動けない間はビデオを見たり、お菓子を食べたり、ゲームをしたり、友だちを家に呼んだりと、それなりの楽しみ方がありました。そして治った後にやりたいことを考え、楽しみを膨らませていました。
また私は姉が二人いますが、二人とも障害がなくても、それぞれに、うまくいかないこともあるようでした。だから私は「歩いている」ということに、そこまで魅力を感じなかったのです。歩けても歩けなくても、いいところ、悪いところは同じだけある。うらやましく思ったところで、私は歩けるようにはならないので、考えないようにしていたところもあるでしょう。歩けないことが当たり前だと、自然に受け入れる子ども時代でした。