以下の内容はhttp://blog.livedoor.jp/natirou/archives/2015-03.htmlより取得しました。


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付き合って10年記念、ということで、家族写真を撮りました!
そしてなんと、今年の夏には第二子も誕生します!

最近までつわりがひどくて、一日中吐いてたし、二回目の帝王切開でリスクが高まります。
安静期間も長引くかもだし、息子君の時よりも早めの出産になるかもしれません。
また障害の遺伝率は5割だし、息子君とはまた違った子育てになるかもしれません。

でも家族四人、いろいろな人の力を借りながら、できる範囲で楽しくやっていきたいと思います。

まさか二人を出産するだなんて、自分でも思っていませんでした。
だって、一人は生んで、一人は養子の予定だったんだもの。
でもあまりに息子君がかわいくて、かわいくて、あと一人いたらどんなに楽しいかな、思っていたら、すぐに来てくれた第二子ちゃん。
楽しみです。

家族が一人増えると、また違った家族の形になるんだろうな。
ドキドキ。

ありんくりん26
琉球新報 2014年10月3日
大事な大事な私の体

体を大事にする、って難しい。のんびり休むことなのかな。ジムに通って体を鍛えることがなのかな。それとも規則正しい生活と、バランスのとれた食生活が大切なのかな。体を大事にしたいと思っても、仕事だと休めないので無理をしてしまうし、まわりを頼ることはよくないと思い込んで、一人で頑張りすぎることもあるでしょう。
特に私のように障害があると、できないことが多い分、できることを増やそうと、まわりからは想像もつかないほど努力をし、無理をしてしまうことがあるのです。

私は骨が弱い障害で、成長期に背骨が伸びてくると、頭の重さに骨が耐えきれず、背骨が曲がってしまいます。すると腰、肩、首など、あちこちに痛みが出てき、心臓や、肺などの内臓も変形してしまうのです。
座るという姿勢、とくに車椅子に座りっぱなしの姿勢が、背骨を最も変形しやすくするのですが、体が動かない分、勉強はできるようになりたくて、子どもの私は好んで机に向かっていました。また普通の子どもと同じように、座って授業を受けることは当たり前だと思っていて、学校ではずっと車椅子に座っていました。そうするうちに背骨の変形はどんどんすすみ、小学生の頃から腰痛や頭痛がありました。車椅子から降りて横になったり、足や肩を動かすことが本当は必要でしたが、誰もそれを教えてはくれなかったのです。

20代になり、沖縄で三年間、訪問マッサージを受ける機会に恵まれました。自分の体の状態を教えてもらい、ひとつひとつの動作が、体のどこをほぐし、どういう影響を与えるのかを実感していきました。次第に「ここが痛い時は、ここをこうやって動かすといい」というのが自分でわかるようになり、体のコリや痛みも良くなって行きました。自分の体の状態を知ることが、体を大事にする第一歩に繋がったのです。そのおかげで、身長100cm、体重20kgの私でも、2100gの赤ちゃんを出産できたのだと自負しています。

現代医学の治療法がどこまで自分に合うのかもわかりません。だからこそセルフケアが大切なのです。特に障害者は、体の調子が悪くても、障害のせいだと考え、癌を始め、病気の発見が遅いこともよくあります。

体を大事にすると決断すること、そして日頃から自分の体のことを知ることがとても大切です。これは自分を大事にすることでもあり、すべての子どもに伝えたいことです。そのためにも、忙しい大人たちが「自分の体を大事にする」と決断してみませんか?

ありんくりん25
琉球新報 2014年9月26日
子育ては「ブラック企業」?

最近の私は疲れている。アメリカ旅行の疲れが一気に出たみたいで、掃除も手抜き、息子と遊ぶのも手抜き。

9月と言えば中秋の名月。親から「月がきれいだよ」とメールがきたり、友だちがソーシャルネットワークで「お団子作りました!」とアップしていたり。それを読んで、どーーーんと落ち込む私。私にはお団子を作る心の余裕も、月を見に行く時間の余裕もないのね。自分が情けなくなるのと同時に、まわりが羨ましくなりました。

ソーシャルネットワークの友だちの報告を、元気な時はポジティブに受け取れるし、私も今度真似してみようかな、と思えるのに、落ち込んでいる時は、もうダメ。何を読んでも否定的に捉え、まわりが羨ましくなったり、孤独感にさいなまれたり。さらには友だちが私にくれるコメントにも、悲しくなったり、イライラしてしまったり。本当に悪循環。疲れている時、落ち込んでいる時、ネットにふれることは良くないこともありますね。

元気になりたくて、また現実逃避したくて、小説が読みたくなりました。たまたま手にした一冊はとても面白く、さらに息子をほったらかし、睡眠時間も削って読んでしまったり。いいのか、悪いのか。子どもができて、なかなかゆっくり本を読む時間を作れていないので、もっと「自分の時間」を大切にして、上手に「時間」と「気持ち」の切り替えをしていきたいものです。

それにしても小さい子がいると、どうしてこんなにも休めないのでしょう。夜中も数回起きて子どもを気にかけてしまうし、もちろん起きている時は目が離せない。パワーのある子どもは、私が疲れていても、外に連れ出した方がいいこともあり、出かけざるをえないこともしばしば。毎日保育園に行ってくれ!と思いつつも、待機児童で入れず、いま息子が利用できるのは週2回の一時保育のみ。小学生になったら誰でも無料に学校に通えるのに、よりサポートが必要な乳幼児にはほぼ空きがなく、なぜ有料のサービスしかないのかしら。とにかく休みたい!でも休めないのが母親業。

もしや育児ってブラック企業!?昼夜連続勤務、残業ばかりで、ほぼ無休。このずさんな管理体制の中、誰かに助けを求めたいのに、「私は母親なんだから仕方ない」と諦めて無理をしてしまう。もちろん最高に楽しい時もあるし、なりたくて母親になったのだけど、孤独で悪循環にもなりやすい。

息子がもう少し大きくなって、パパと二人で旅行にでも行けたら、私はがっつり休めるはず。待ち遠しいな。

ありんくりん24
 琉球新報 2014年9月19日
街に溶け込む車椅子

電動車椅子で行った今回のアメリカ旅行。旅行は手動車椅子の方が便利なのだけど、夫はベビーカーを押すので、私の車椅子を押せません。電動車椅子の重さは80kg。少しの段差でも持ち上げるのは大変だし、バスやタクシーでも、バリアフリーが必要になってきます。

アメリカではすべてのバスにスロープが付いています。日本のバスと比べると、古く、汚く、スロープも壊れやすそうに見えるのですが、これがとっても使えるのです。運転手さんはボタン一つで、簡単にスロープが出せるし、自然に対応してくれます。


アメリカでは電車も、車輌とホームの間に段差はなく、車椅子でも簡単に乗ることができます。日本では、車輌とホームの間に大きな隙間と段差があるので、前持って駅員さんに乗る駅、降りる駅を伝え、スロープを用意してもらわないといけません。アメリカではタクシーだって、スロープ付きのがすぐに来てくれるので、通常は一ヶ月前から予約しないといけない日本のタクシーとは大違いです。

障害者がアメリカで生活しやすいのは、障害者のための法律があるのが大きいと思うのですが、同時に車椅子の人が街にとけこみ、普通に外出し、特別な感じがしないことが大きいと思うのです。日本だと、車椅子の移動は不便なことも多く、まわりの人に気も使い、出かけること自体が億劫になってしまいがち。頑張らないと、楽しむことができないのが、日本のつらいところ。もっと自然に、気軽に、車椅子でも楽しみながら生活できるといいのにな。

またアメリカでは車椅子専用トイレがあまりありません。どこのトイレでも、一箇所広いトイレがあり、車椅子専用、というより、車椅子の人も入れますよ、という感じなのです。誰でも使えるので特別感がなく、車椅子の人が来たら、その広いトイレを譲るのが普通なのです。日本は特別に車椅子専用個室トイレがあり、普通のトイレは狭いままなので車椅子では入れません。

赤ちゃんのオムツ替えシートも専用トイレにしかない場合が多いので、並ぶこともよくあります。一般のトイレをいろいろな人が使えるようにすればいいのに、平均から外れた人は、隔離された特別な場所を使わざるを得ないのが、日本の良くない傾向でしょう。いろいろな人が一緒に使いやすい、ユニバーサルデザインの視点を、もっと持ちたいものです。これから東京オリンピックに向け、日本も変わっていくでしょう。いや、それがなくても、どんどん変えていきましょうね!

ありんくりん23
琉球新報 2014年9月12日
トラブルは旅の醍醐味

家族でアメリカ、ワシントンDCに行ってきました!13時間のフライトは碧もよく寝てくれ、どうにか乗り切ったのですが、友だちの家に着いてトラブル発生。日本から送った小包の中身がほとんどなくなっていたのです。離乳食や、洋服、お土産などなど。しかも私の物ではない洋服や雑貨も入っている。

一番困ったのは変圧器がなくなったこと。電動車椅子の充電ができないので外出ができなくなるからです。友だちに聞いたり、ネットで調べたりし、ノースキャロライナ州のお店にあることを見つけ、送ってもらいました。

変圧器が届くまでは、私は息子のベビーカーに乗って移動をすることに。パートナー君は碧を抱っこ紐し、私をベビーカーで連れ、どう見ても二人の子どもを連れるパパ状態。

息子は時差ボケと疲れのせいか、夜は泣いて、ずっと抱っこにおっぱい。しまいには、発熱まで。日本人医師のいる病院を外務省のHPから見つけたのですが、アメリカでは予約して受診するため、すぐに診てもらえないのです。予約しようか迷ったのですが、一日で碧の熱は下がり一安心。でも元気になっても、ずっとおっぱいをせがむようになった碧。あげないと、私の体を噛みまくる。授乳が好きではない私は、イライラはするし、疲れるし、噛まれて痛いし、夜が辛かったです。「早く日本に帰りたい」と思うこともあり、こんな旅行は初めてでした。

しかしトラブル続きでもいいことも!パートナー君が息子と長い時間を過ごしたのは初めてで、夜に泣いた息子をあやすのも、息子のご飯を作るのも初めて。私は今まで孤独感を感じていた子育てでしたが、初めて2人で育てていることを実感でき、とても貴重でした。まさしく災い転じて福となす、ですね。

旅も中盤になると、碧もよく寝てくれるようになり、観光や買い物を楽しめるまでに。お気に入りのお店を見つけて足繁く通ったり、初めての食べ物に挑戦してみたり。離乳食がなくなってしまったので、碧は大人と同じものを食べざるをえなくなったのですが、何でもよく食べる。目をキラキラさせ「もっともっと」とせがみ、嬉しそうにパクパクしていました。

ハードルが高い旅ではありましたが、家族のそれぞれが一気に成長でき、行った甲斐がありました。「これ以上に大変な旅はないだろうから、もうどこでも大丈夫だよね」と話している我が家。碧が歩いたらもっと大変かもしれないですが、トラベルのトラブルは旅の醍醐味。次が待ち遠しいです。

ありんくりん22
琉球新報 2014年9月5日
ベビーカーと車椅子

車椅子とベビーカー、2台が一緒にお出かけする我が家。さぞかし大変だろうと思う人も多いでしょう。確かに、車はある程度の広さが必要だし、エレベーターには両方一緒に乗れないことも。でも意外と困らないのです。なぜなら車椅子が行きやすい場所は、ベビーカーでも行きやすいからです。車椅子への対応がいい店は、子連れにも優しいことも多く、ショッピングや外食も息子と一緒に楽しめています。

多くの駅についているエレベーターは、障害者運動の成果の一つです。今ではベビーカーやお年寄り、荷物持ちの人など、いろいろな人が利用しますよね。車椅子専用だったトイレも、最近では多目的トイレとなり、オムツ変えシートや、オストメイトがあり、また手すりがあるのでお年寄りも使いやすようです。さらにはセクシャルマイノリティの人も利用するそうです。「障害者運動」と聞くと「過激」、もしくは「古くさい」というイメージもありますが、今の世の中の、多くの人のための便利さを生みだしているのです。

声を上げて行くのは疲れるし、恥ずかしいし、大変なことも多いけれど、自分のための使いやすさを追求することは、誰かのための便利さにも繋がっているのです。諦めなければ、少しずつ社会は変わっていきます。そして一緒に動いてくれる仲間が増えていくと、さらに嬉しいです。

車椅子椅子とベビーカーの共通点はさらにあって、ベビーグッズには車椅子でも使いやすい物が数多くあるのです。ベビーカーに取り付ける日傘は私の車椅子にもぴったりだし、ベビーカー用のボトルホルダーも車椅子につけちゃいました。車椅子用の福祉用具となると、高くて可愛くないものが多いですが、ベビーカーに取り付けるものは種類が豊富で、かわいい!車椅子グッズはマイノリティだけど、ベビーグッズ市場は大いきものね。新たな楽しみを発見しました。

身長100cmの私は、服も靴も子どもサイズで、女の子が生まれたら、おそろいの洋服を着たり、取り替えっこするのが夢でした。でもやって来たのは男の子。仕方ないので、同じメーカーの服でコーディネートしてみようかな。

そんな我が家はただいまアメリカ旅行中。子連れ初の旅行先に、ハード面でのバリアフリーがもっとも進んでいるアメリカを選んでみました。1歳児を連れた13時間のフライト、車椅子とベビーカーの旅はどんなものになっているのかしら。またご報告させてくださいね。

ありんくりん21
琉球新報 2014年8月29日
イクメンブームに喝

炊飯器をセットして、枕元に水を置いて、保育園の準備をして、、、疲れている夜でも、母親はやることがたくさん。夫と息子は寝ているけれどね。子どもができる前なら、私もすぐに寝て、朝食も手を抜けばよかったのに、今はやることがたくさんで、常に子どもを気にかけています。

しかし父親になった夫は何が変わったのかな。「疲れたから寝るね」と言って寝ちゃうし、「明日は早く仕事に行くから」と言って出て行ってしまう。仕事は大変なのだろうけど、自分の予定だけで動けるのはうらやましい。私はトイレに行くのにも大泣きされるし、喉が渇いてもすぐには水も飲めないし、寝たい時に眠れないのは当たり前。母親はそんなもの、と言い切れるけれども、パートナーの協力がもっとほしいのに。いや、協力というより、自主性がほしいところ。だって指示待ちされると、妻は休めないのです。

週末、街中の家族連れ、ベビーカーをおしたり、抱っこ紐をしているのはほぼ男性。イクメンブーム、素晴らしい!でも私はなぜか違和感を感じてしまう。休みの日特有の役割分担がされているようなんだもの。

男女差が少ないと言われているデンマークでは、男性だって平日午後四時に帰宅し夕飯を作るし、女性だってノコギリ片手にものづくりをする。女性が重い荷物を持っていても「僕が持ってあげるよ」と言って男性が手を貸すことは少ない。同じように車椅子の人がスーパーのドアの前に立っていても、さっとドアを開けてくれる人はいない。必ず「何かしましょうか?」と聞いてから手を貸してくれる。相手の見た目にとらわれるのではなく、相手を尊重するために、まずは相手の意思を聞く。

でも日本では見た目や肩書きにとらわれることが多くて、母親なんだから子どもにご飯を作ろう、父親なんだから週末は子どもと遊ぼう、になってしまいがち。性や肩書きに関係なく、できることを自ら進んでやるようにならないと、男女差はなくならないのではないかな。まぁ男女差うんぬんの前に、忙しくて、疲れた人が多い日本では、自分を大事にできず、相手を思いやる余裕がないのだろうけど。

私の夫は男性のわりには家事育児に協力的だけれど、男性平均に基準を下げるのではなく、人基準で見ないとね。 ティッシュがなくなったら補充する、食べたら食器を洗う、洗濯物を取り込んだら畳む、そんな当たり前のことが、性差をなくす社会を築いていく。みんなで平等なパートナーシップを目指して行きましょう!

ありんくりん20
琉球新報 2014年8月22日
「今が一番大変」が合言葉

子育ては夜泣きが大変、歩き始めると大変、イヤイヤ期が大変、小1の壁がー大変、反抗期が大変。 子育て中の親がよく口にする、大変なエピソードの数々ですが、おもしろいことに、いつも「今」が一番大変みたい。そしてそんな先輩ママは、後輩ママに「今は可愛くて、まだ楽だよ。大変なのはこれからよ」とアドバイスしがち。

私も碧が生まれた頃は、初めてのことだらけで、ただただ泣く息子に困り果てていました。あの時は一歳の誕生日を迎えるのが、遠い日のように思えていたっけな。でも実際になってみると、本当にあっという間で、今はハイハイで動き回り、なんでも噛む息子は怪獣のよう。目が離せず、物も置けず、まさしく「今が一番大変」。タイムマシンがあるなら「生まれたてのあーおーに会いたい!あの時はふにゃっとしてて、全然動けなくて、すごくかわいかったのに」と思っちゃいました。きっと来年も「1歳の時のあーおーは可愛かった!今はなんでもイヤイヤで大変」と同じことを言っているのでしょうね。

体力的にも、精神的も、もっと余裕があったら、今の息子の可愛さにどっぷり漬かっていられるのかな。それとも、成長の早さと寂しさを知った二人目の子どもだと、もっと可愛がれるのかな。息子の毎日に、もっと楽しく寄り添いたいのに、なかなかできないことに後悔しちゃいます。

先日、あまりにご飯をこぼし、紙をビリビリ破る碧に「もう今日のあーおーは嫌い。二日間くらいどっか行っててよ」と言うまでに。こんなに碧にイライラするのは初めてかも、と思っていたら、産後初めての月経が来ていました。私の体が新たなステージになってきたことに驚き、同時にイライラの原因もわかりホッとしました。でも碧は「今日のお母さん嫌い」と怒っていたのでしょうね。ごめんね、碧。

いろいろなことが起こり、家族って、常に変化するものなんだと感じています。賢く対応するためには、工夫や努力も必要なのでしょう。息子は毎日が新しいことだらけ。できることがどんどん増え、日に日に成長し、目を輝かせています。私も、母親としても、一人の女性としても、新しいことにチャレンジし、悩みながらも成長していきたいです。パートナー君も、仕事だけでなく、父親としても、夫としてもさらに頑張ってくれるといいな。「今が一番大変」と愚痴をこぼしがちな私ですが、今しかないこの時を楽しんでいきたいです。そしてこれからも様々な変化を、愚痴りながらでしょうが、乗り越えていきたいです。

ありんくりん19
琉球新報 2014年8月15日 
本当はなくしたい特別感

日曜日、なぜか家族揃って見てしまう「NHKのど自慢」。お昼を食べながら、ぼーっと見てしまうのです。でもいつも思うのが、もっと障害者の出場者がいればいいのに、ということ。障害者でも歌が好きな人、上手な人はたくさんいるはずなのに。予選を通過できないのかな、それとも障害者自身がエントリーすらしないのかな。

障害者や病気の人が主人公のドラマや映画はよくあります。障害に負けずに頑張ったり、短い命を賢明に生きたりと、涙をそそる感動の話で、障害者は、ある意味特別の、非日常的な登場ばかり。もっと日常の、バラエティ番組や、トーク番組にも障害者が出たらいいのに。障害者の芸能人はまだ少ないので機会は少ないとは思うんだけど、観覧者やゲストにも、もっと障害者がいてもいいのにな。特に歌は、いろんなバリアを取り除くすばらしい手段なんだもの、のど自慢にも毎回障害者枠があってもいいのに。

話は少し変わり、結婚に憧れる女子が一度は手にする雑誌、ゼクシィ。それには毎月同性カップルの結婚の記事が掲載されているそうです。法律上は認められていない同性婚ですが、事実婚ではもちろんたくさんいて、それを当たり前の結婚の形として取り上げていることは、本当にすてき!特別に注目されるのではなく、一つの話題として同等に扱われることこそが、マイノリティがマイノリティではなくなる、価値のあることだと思うのです。

学校の人権週間等でよくある、障害者への理解を深める取り組み。障害者を特別にピックアップすることで、かえって障害者がみんなの中に入りにくいこともあるのではないでしょうか。違いを学ぶことで、違いだけが強調されすぎたりするんだもの。みんなの中には障害者も健常者もセクシャルマイノリティも在日も外国人もいて、それぞれが当たり前に生きているのです。

人は誰だって、他の人と違うところもあるし、同じところもある。違うこともいいことだし、一緒のこともいいことなのです。マイノリティが持つ特別感、違和感が少なくなればなるほど、この社会で生きやすくなるでしょう。そして自分が持っている「特別」なマイノリティの一面に誇りを持てると、より自分を好きになれるでしょう。

私は障害者と言う面ではマイノリティだけど、子育てママとしてはマジョリティで、30代女性としてもマジョリティ。そんな私の肩書き、全部をひっくるめて、私らしく生きていきたいです。

ありんくりん16
琉球新報 2014年7月25日
不幸なイチャモンやさん

人からもらうアドバイスって、ほんと不思議。だって同じ事を話しても、私の話し方次第で、相手の反応がまったく違うんだもの。例えば、私が母親への不満をこぼすと「親の悪口を言ってはいけない」と言われ、逆に「母にこんなことをされたけど、親だから仕方ないの」と話すと「親だからといって我慢することはないよ」と言われます。

階段があり車椅子で入れないお店について怒ると「お店だってエレベーターをつけるお金がないから仕方ない」と言われ、逆に入店を辞めると「諦めないでもっと交渉していかないと」と言われます。

またどんなに考えて、動いても、まわりから批判されることはよくあるもの。例えば、子どもを生むことに関しては、若く生んだら「若すぎる」、遅く生んだら「遅すぎる」、シングルで生むと「父親は?」、中絶すると「かわいそう」と言われます。子どもの世話するために仕事を辞めると「母親でも仕事をする姿を子どもに見せるべきだ」と言われ、仕事を続けるために子どもを預けると「子どもがかわいそう」と言われるのです。

そんなまわりからの一言ほど、無責任で、疲れさせられるものはないですよね。まわりを気にせず、思ったことを口にして、自由に、のびのびと生きていけたら楽なのに。それかいっそのこと、誰とも関わらず、ひっそりと生きていきたいと思ってしまうことも。

でもイチャモンをつけてくる人を観察してみると、辛そうな人が多いみたい。頑張りすぎている人や疲れている人、余裕がない人ほど、まわりを批判してしまうようなのです。

私も先日、友だちの一歳半の娘さんが、椅子に座って上手にご飯を食べているのを見て「女の子は楽だよね、うらやましい」と呟いてしまいました。確かに男女の違いはあるかもしれませんが、子どもの成長、ご飯の食べ方は、その子の性格や、まわりの関わり方で変わってきますよね。私の方が大変、とネガティブに考えてしまうだなんて、私、よっぽど疲れているのね、と気づきました。

自分に余裕がないと、知らず知らずにまわりを羨んだり、批判したりと、負の連鎖を引き起こしてしまいます。まずは自分の中の幸せを見つけ、それを保ちたいものです。時には怒って爆発も必要ですが、それは限られた場所で、限られた時間にだけ、そしてそれを理解してくれる人に対して、やらなければいけませんね。

まずは自分を褒めて、楽しく生きること。そして自分とは違うまわりの人の生き方も尊重し、サポートしていきたいです。



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