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グレーン・ウィスキーは夢だったのだと思う。

IMG_3187_1今回、川崎というグレーン・ウィスキーの蒸留所を調べながら、僕が辿り着いた結論はそこにある。モルト・ウィスキーを軽井沢という蒸留所から手に入れた「オーシャン」という国産ウィスキーは、本物のブレンデッド・ウィスキーのためにグレーン・ウィスキーを必要とした。

この話を、戦後の国産ウィスキーの物語だと思って聞いていただきたい。ただ、多くの方がこの物語を少し不思議に思うかもしれない。この物語の主役は「オーシャン・ウィスキー」であるからだ。

今や、ほとんどの方に馴染みの薄くなった「オーシャン」というブランドの国産ウィスキー。現在はメルシャンを子会社としたキリンから「オーシャン・ラッキー」という名で販売されている。今でも売られるそのウィスキーは、多くの方に飲まれたこともないだろう。その名前すらご存知ない方がほとんどだと思う。

それは夢のように生まれ、幻のように消えて行った。現在、川崎蒸留所が存在しないことだけは確かだが、実は、その蒸留所がいつ閉場したのかも定かではない。ただ、その跡地に営業を続けるイトーヨーカドー川崎港町店の開業が1997年とのことであるから、それより以前に閉場したことには間違いはないだろう。非常に不確実な情報筋の話によれば、「コフィ・スティルを1987年に川崎から撤去」とのことだ。様々な憶測を巡らせるなら、1980年代後半には「川崎蒸留所でのグレーン・ウィスキー製造は行われていない」と考えるのが妥当であると思う。

多摩川沿いと言っても良い場所に存在した川崎蒸留所で、そのグレーン・ウィスキーは製造されていた。それは、間違いなく「オーシャン」というブレンデッド・ウィスキーに使われたはずだ。川崎の港からグレーン・ウィスキーを積んで出航した船は、オーシャン(大海原)を彷徨い、人々の前から姿を消して、忘れ去られてしまったようだ。その船は遠くの大海原という故郷に帰って行ったのだろうか。

記憶の彼方にある「オーシャン・ウィスキー」を思い出しながら、皆様をこの物語にご案内したい。


日本のウィスキーは明らかに、スコッチ・ウィスキーをそのひとつのモデルとしている。そしてその黎明期、日本のウィスキー造りに関わった人たちは、スコッチ・ウィスキーの持つ豊かな風味の背景にある「スコッチの秘密」をシングル・モルトにあると考えた。だから、サントリーの鳥井信治郎もニッカの竹鶴政孝も、それぞれの地で単式蒸留器によるシングル・モルト・ウィスキー製造を始めた。「まず先に、シングル・モルト」だったのだと思う。

当初の山崎蒸留所、余市蒸留所のシングル・モルトが、不完全なものであっただろうことを否定はしない。ただ、曲がりなりにも「スコッチの秘密」を手に入れた彼らは、やがて、次なるチャレンジへと駆り立てられて行ったことだろう。現代を生きる、僕らの認識とは少し違うはずだ。「ウィスキーと言えばブレンデッド」。それが、当たり前の時代のことである。ブレンデッド・ウィスキーのために、まずシングル・モルトが必要とさ、「次は、グレーン・ウィスキー」となったのだろう。

シングル・モルトとグレーンのブレンドによって成り立つブレンデッド・ウィスキー。「スコッチの秘密」の本質であり、馥郁たる個性の宝庫であるシングル・モルト。そして、その個性を殺すことなく、しかし、ブレンデッド・ウィスキーに大らかな骨格をもたらすグレーン・ウィスキー。それらは、彼らの大いなる夢のウィスキーであったはずだ。

シングル・モルト・ウィスキーの原酒を自社製造することに成功した彼らは、当たり前のように、グレーン・ウィスキーを必要としただろう。「本物のウィスキー」を造りたいと願うならば。「オーシャン・ウィスキー」を本物のブレンデッド・ウィスキーとするために、グレーン・ウィスキーが必要だった。だから、川崎蒸留所は彼らの夢を実現するはずだった。

その夢は、幻と消えてしまったけれど。

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