事例 ブータン(及びシッキム)
幸福の国と言われるヒラヤマの神秘の王国ブータン
だがブータンにも民族問題が存在する。
そして歴史的背景には大国に翻弄される小国の悲しい歴史があった。
1985年
彡(●)(●)「なんやて!ワイから国籍を剥奪するやと!」
(´・ω・`)「うん、君達は不法滞在者だから出ていってもらうよ。」
彡(。)(;)「そんな…殺生な…」
>>1985年、ブータン政府は国籍法を制定、定住歴の浅い住民から国籍を剥奪した。
背景はブータンの人口構造とその歴史的経緯がある。
ブータン人口構造は約5割がチベット系民族集団ドゥクパ、約4割がネパール系であるが
この人口構造には歴史的背景がある。
ブーダンはかつて外交や軍事の決定権をイギリスに委任する保護国であり
内政や経済でもイギリスの影響力を大きく受けていた。
ネパール系は19世紀末から20世紀初頭にイギリス支配下の茶園での労働力として
イギリスによって移民が推奨されブーダン南部に定住化した人々の子孫である。
ドゥクパからすれば余所者の新参者である。
32 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:03:07
ID:XKL [4/14回]
(*^○^*)「ブータンはドゥクパの伝統文化を守らないといけないんだ!」
(´・ω・`)「そうだね、伝統文化は重要だもんね。」
(*^○^*)「なのにネパール人は新参者のくせに態度がでかいんだ!」
(´・ω・`)「本当だよ。」
彡(●)(●)「なんやお前ら!さっきから!ふざけるなぁ!ボケェ!」
>>1980年代、ブータン政府は国家の統一性を高めるとしてドゥクパの伝統や文化に
基づく国家統合政策を推進し始めた。
南部に住むネパール系はネパールの文化を固持する生活スタイルを維持しようとしたために
ドゥクパから偏見の目を向けられる。
また宗教面でもチベット仏教の一つドゥク派を信仰するドゥクパと
ヒンドゥー教が主な宗教のネパール系と大きな溝が存在した。
そして1990年に入るとネパール系の反政府運動が活発化。
ブータン当局との抗争もありネパール系が難民化、
諸説あるが約10万人の難民が発生したと言われている。
34 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:05:20
ID:XKL [5/14回]
なぜブータンはネパール系を目の敵にするような政策を実施したのか?
これにはかつてブーダンの隣国として存在したシッキム王国が関わってくる。
35 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:09:21
ID:XKL [6/14回]
1950年
J( 'ー`)し「イギリスの保護国であったシッキムは我々インドが面倒見るわ。」
彡(^)(^)「よろしくやでインドマッマ!」
(´・ω・`)「…よろしく」
J( 'ー`)し「シッキムの外交や国防はインドが担当し補助金も出します。」
彡(^)(^)「頼もしいな!」
(´-ω-`) ホッ(イギリスの保護国時代とかわらないな…)
J( 'ー`)し「ただ内政面では民主化のため議会を置いてもらいます。(威圧)」
(´・ω・`)「!?」
彡(^)(^)「これでワイらネパール系も政治に参加できるでサンキューマッマ!」
議会設置はシッキム王国の王室を含む支配階層たるチベット系に衝撃を与えた。
シッキムもブータン同様にイギリスが主導した移民によってネパール系が流入。
だが比率がブータン以上に問題となった。
人口構造はネパール系75%、チベット系25%とネパール系が多数派であり
普通に選挙すればチベット系が権力を失うのは明らかであった。
36 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:15:05
ID:XKL [7/14回]
(´-ω-`)(弱小国の我々がインドに敵うはずはない…要求を受けよう…)
(´-ω-`)(ただ王政を維持できるようなシステムが必要だ…。)
(´・ω・`)「…議会を設置しました。」
彡(^)(^)「楽しみやな。」
(´・ω・`)「以下が内訳です。」
シッキム議会
計17議席
チベット系選出議席6議席
ネパール系選出議席6議席
国王任命議席5議席
彡(^)(^)「…」
彡(●)(●)「なんやこれ!ネパール系が明らかに不利やろ!ボケェ!」
J( 'ー`)し「…認めます。」
彡()()「エェ…」
シッキム議会の人口比率を無視し民族別に公平に分配される民族選出議席制度や
国王が任命する非選挙議席の存在にネパール系は不満を持った。
しかし当時の国王タシ・ナムゲルは親インド路線であったためインドはこれ以上の要求はしなかった。
38 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:17:18
ID:XKL [8/14回]
1963年
タシ・ナムゲル崩御
パルデン・トンドゥプ新国王即位
(*^○^*)「父の親インド路線は間違いなんだ!」
(*^○^*)「シッキムは独立した国になるべきだと思う!」
皇太子時代からインドの保護国である現状に反発していたパルデン・トンドゥプ
は反インド・独立志向は明らかでありインドとシッキムは緊張していく。
39 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:19:07 ID:dv5 [2/7回]
これは紛争の予感・・・40 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:21:17
ID:XKL [9/14回]
1967年
パルデン・トンドゥプ即位後初のシッキム議会選挙
親インド、反国王のネパール系政党シッキム国民会議派が第一党へ
彡(^)(^)「よっしゃ!ワイらシッキム国民会議派が大勝やで!」
彡(゚)(^)「当然、首相は国民会議派総裁のワイや!国王でも民意は無視できんやろ! 」
(*^○^*)「首相を任命するんだ!」
(o'ω'n)「え!?おんちゃんが首相!?」
彡(●)(●)「ファッ!?ワイの政敵の幹事長を任命したやと!」
(o'ω'n)「国王を支持するおん!」テラノヒクルー
彡()()
パルデン・トンドゥプの奇策でシッキム国民会議派は総裁派と幹事長派に分裂。
これによりネパール系の足並みが乱れ次の1970年の議会選挙では親国王派が圧勝し
パルデン・トンドゥプ国王の政権は磐石かと思われた。
41 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:29:08
ID:XKL [10/14回]
1973年
パルデン・トンドゥプ即位から三度目の選挙
(*^○^*)「今回の議会選挙も親国王派の圧勝だ!」
彡(●)(●)「もう我慢ならん!民族分配議席を廃止しろや!」
彡;(-)(-)(ネパール系の有力政党が潰しあった結果、選挙負けたのは内緒やで…)
(*>○<*)「首都で大規模デモ!?農村地帯では武装蜂起!?」
J( 'ー`)し「お困りのようね。」
(*>○<*)「インド…このままだと革命で殺される助けてェ」
J( 'ー`)し「いいわよ…でも分かってるわよね(ニッコリ)」
選挙制度に対するネパール系の不満が遂に爆発し全土での暴動に発展。
パルデン・トンドゥプは遂にインドに助けを求めた。
インドは瞬く間に混乱を収めたが見返りとして民族分配議席の廃止と国王の権限の大幅縮小を要求、
パルデン・トンドゥプはこれを認めることとなる。
しかし彼は諦めていなかった。
42 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:41:57
ID:XKL [11/14回]
1975年
新生シッキム議会「30議席中29議席がネパール系やで」
彡(●)(●)「Vやねん!民主化まったなしや!」
バキューン
彡(>)(<)「グエー」
(*^○^*)「まだシッキムで唯一の軍事組織・王室親衛隊があるんだ!」
(*^○^*)「これで議会の連中を…」
インド軍「こんにちはニキwwwww」
(*^○^*)「!?」
突如、シッキムの王宮にインド軍が突入した。
シッキム議会は王室親衛隊が民主化を要求するデモに対して発砲しているとして
インド政府に軍事介入を要請したのである。
王宮を制圧したインド軍は王室親衛隊を武装解除
さらにパルデン・トンドゥプを拘束し幽閉した。
この軍事介入に関してはパルデン・トンドゥプが武力で権力を奪還しようと企てている事に
インド政府が激怒し軍事介入したと言われている。
43 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:43:41 ID:dv5 [3/7回]
議会がインドと手を結んだか44 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:47:30
ID:XKL [12/14回]
国王幽閉後、シッキム議会はインドへの併合を満場一致で採択。
その後の国民投票でもインドへの併合が圧倒的多数で賛成された。
こうしてインド領のシッキム州が誕生しシッキム王国は滅亡した。
補足だがパルデン・トンドゥプはアメリカに亡命し1982年に死去。
こうして隣国の滅亡を見たブータンが国家統合政策に邁進。
ネパール系の排除に乗り出したのである。
現在、ブーダン政府は国際社会の圧力により態度を軟化させ
ネパール系への弾圧は以前より少なくなっているが国外の難民など問題は山積みである。
ブーダン及びシッキム編~完~
45 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:51:24
ID:XKL [13/14回]
終わりやで
読んでくれた人ありがとうございます。
移民問題はフランスなど先進国だけの問題やないんやで
後、中東だけではない諸悪の根元イギリス
46 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:52:12 ID:dv5 [4/7回]
議会が親インドになってしまったんやな
おつやで47 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:52:31 ID:dv5 [5/7回]
参考文献とか、あったら教えてくれへんか?
ルワンダ編はエイミー・チュア著書の「富の独裁者」
ブーダン及びシッキム編は
ここのサイトとwikittp://www.geocities.jp/keropero2003/syometsu/sikkim.html50 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:59:45 ID:dv5 [7/7回]
サンキューやで
ワイは西洋近世だから、このあたりのこと詳しくないんで、参考になるわ48 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/23(月)23:53:22 ID:dv5 [6/7回]
あ、今わかった
ネパール系はヒンドゥー教徒だから、親インドか51 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/24(火)00:01:54 ID:Npv [1/1回]
シッキムはイギリスがインドからチベットへの玄関口として保護国化したんやが
逆もしかりで共産中国がチベットから攻撃してくる恐れを感じたインドが手元に
置いておきたかった説もあるんやで53 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/24(火)00:03:20 ID:rmL [2/2回]
>>51
なるほど
どちらにせよ、大国の板挟みになった国は、ほんと哀れやね・・・52 :
名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/11/24(火)00:02:28 ID:rmL [1/2回]
このサイト見てたら、183国も、第二次大戦後に消えさったんやな・・・
悲しいわ