確率というか数の話ですけど、江戸時代の一等地にあることが多い坂道の名前がいくつかあることがわかったので、今回はその報告です。
江戸時代の一等地といえば、今は高級住宅街になっているところも多くいろいろなパターンの場所があると思いますけど、わかりやすくいえば、大名屋敷がたくさんあった場所は江戸時代の一等地だった可能性はきわめて高いと思われます。
そして、そういう場所には、当時のえらい人やら有名人なんかが居をかまえていた確率も高く、そんな人がたまたま坂のそばに住んでいたことから、坂の名前がその人物の名前にちなんだものになった例の坂がいくつか都内にはあります。
たとえば、南部坂や北条坂にゼームス坂、絶江坂、玄磧坂などがあり、このほかにもいくつかあるみたいです。
そんなわけで今回は、そのあたりの坂の分布具合が気になりすこし調べてみたところ、その多くが港区(しかも六本木ヒルズから徒歩圏内)にあることがわかり、このあたりをぶらりとみちくさしてみることにしてみました。

まずは、南部坂。
アークヒルズから程近いアメリカ大使館宿舎のわきにある坂道です(写真1枚目がそれです)。坂道自体のポテンシャルも非常に高く、坂を下りつつアークヒルズの高層ビルを眺めこともできます。名前の由来は江戸時代初期に南部家中屋敷があったため南部坂とよばれるようになったそうです。またここは「南部坂の雪の別れ」という忠臣蔵のドラマ(芝居や時代劇)などではお馴染みの名シーンの舞台ともなった場所だそうで、虚実入り混じった歴史を感じることができる坂道といえるのかもしれないですね。
記事6saka2
そして次は北条坂。六本木ヒルズの南側エリアというか広尾駅近くに有栖川宮記念公園という都立中央図書館とセットになったような公園があるのですが、北条坂はそのすぐ近くにあります(二枚目の写真です)。この坂道もかつて坂下あたりに北条家の下屋敷があったことからその名がついたそうです。また坂道自体のつくりもすこし変わっていて、坂道→平坦→坂道という具合に二段の坂になっていて距離もかなり長く歩くたびにいろんな風景が楽しめたりします。
あと、有栖川宮記念公園わきにも南部坂という名の坂道があるんですけど、実はここも赤坂の南部坂と同じ南部家が坂名の由来で、ただたんにかつて赤坂(江戸時代は違う地名だったとおもいますけど)にあった南部家が麻布に越してきたことから同じ名前の坂道ができてしまったということみたいですね。
記事6saka3
このほかにも玄磧坂という今は存在しない坂道なんかもありました。場所はなんと今の六本木ヒルズのあるあたりにあったらしく、今はヒルズの再開発で地形ごと造成されてしまって坂道の痕跡すら残っていません。名前の由来はかってこの周辺に玄磧(げんせき)という僧が住んでいたために玄磧坂と名づけられたそうです。

というわけで、今回は港区を中心に人にまつわる坂道をまわってみましたが、このほかにもいくつかあるみたいなので、興味があるかたは自分で調べてぶらりとみちくさしてみるのもいいかもしれないですよ。




  • 雲本らて

  • 東京坂道さんぽ

  • 1973年7月、兵庫県(というか神戸)生まれ、♂(男性です)。世田谷区在住。
    現在は「東京坂道さんぽ」というブログを運営しながら、坂道観察などを続けています。