バス停探検の必須アイテムとして、私は路線バス各社の一日乗車券を頻繁に使いますが、中でも東京都心部を縦横に乗りまわれる都営バス一日乗車券は、様々な使い道があり、大変重宝しています。
乗り放題である以上、少しでも多く使うことでお得感は増していきますが、私の場合、目的はあくまでも「バス停」ということで、今回は一日乗車券を最大限に利用したこんな遊び方を考えてみました。題して「バス停数え唄の旅」。すなわち、23区内の都営バスのバス停の内、「一」から「十」までの数字で始まるバス停を順番に訪ねて回ろうというものです。10ヶ所の選定は、できるだけ広範囲のエリアを回れることを前提に、私の個人的趣向で選んでみました。いったいどれだけのバスを乗り継げば回りきれるのか、考えただけでもワクワクしますね(私だけ?)。それでは、早速出発してみることにしましょう。

最初の出発点となる数え唄の「一」ですが、一之江周辺や一ツ橋などのバス停が思い浮かぶ中、私が選んだのは荒川区の[草41]系統「一本松」バス停です。町屋駅に近い尾竹橋通り上にあるバス停で、一本松の名は、江戸時代から伝えられる町屋の一本松に由来しています。松は戦災で枯死したようですが、近くの公園に新たに植え継がれた松があり、一本松の歴史を後世に伝えています。バス停に「一本松」の名があることで、街の歴史に触れるきっかけができることを思うと、大変貴重なバス停であり、数え唄のトップバッターにふさわしいといえるでしょう。この名が今後も存続してくれることを願って止みません。

さて、「一本松」バス停を皮切りに、早速数え唄の「二」へ向かいます。「二」で始まるバス停は3ヶ所しかなく、そのうち私が選んだのは浅草の「二天門」バス停です。一本松→[草41]系統→西浅草3丁目→[都08]系統と乗り継いで、「二天門」バス停に到着です。浅草寺東側の二天門については、今さら詳しく記す必要もないと思いますが、古くは二体の随身像を収めた随身門だったものが、明治維新後に持国天、増長天の二天像に変わり、二天門の名になったといわれます。といっても、今回は観光名所巡りではありませんので、バス停から門をチラ見するのみで、次の「三」へと向かいましょう。

数え唄の「三」に選んだのは、江戸川区の船堀駅に近い「三角(さんかく)」バス停です。二天門→[都08]系統→錦糸町駅→[錦25]系統と乗り継いで、「三角」バス停に到着です。この一風変わった名を持つバス停は、私の好きな都内のバス停ランキングの上位に入りますが、三角は現在の町名ではなく、この場所に古くから伝わる地名です。なぜ三角なのか、興味のある方は是非調べてみて下さい。バス停から地名に関心が湧く、つまりは私の提唱する「バス停地名学」の典型例のひとつが、この「三角」バス停です。
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数え唄の「四」は、四谷周辺や四ツ木などのバス停がある中、私が選んだのは港区内の「四ノ橋」バス停です。移動距離が長くなりますが、三角→[錦25]系統→葛西駅→[秋26]系統→白河→[業10]系統→新橋駅→[都06]系統と乗り継いで、ようやく「四ノ橋」バス停に到着です。これだけ乗り継ぐと、大抵の人は「もう二度とバスなんか見たくない」となりますが、数え唄はまだ始まったばかりです。そもそも「一」から「十」までのバス停が、そう都合よく近場に揃っていないことが、この旅の醍醐味でもあります。

四ノ橋は古川に架かる橋で、麻布十番の一ノ橋から順に五ノ橋まであり、このうち二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋がそれぞれバス停にもなっています。ならばここだけで数え唄の「二」から「四」ができてしまいますが、それでは面白くないので、あえて「四」だけをここから選択しました。
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続いて数え唄前半最後の「五」へ向かいます。「五」で始まるバス停も3ヶ所しかありませんが、このうち私が選んだのは港区の海岸通りにある「五色橋」バス停です。四ノ橋→[品97]系統→品川駅→[田99]系統と乗り継いで、「五色橋」バス停に到着です。五色橋は、高浜運河に架かる海岸通りの橋ですが、昭和37年の架橋で、2年後の東京オリンピック開催を控え、五輪マークの五色に因む命名だそうです。意外なところでオリンピックゆかりのバス停を見つけました。

ここまでで、前半終了です。既にバスへの乗車回数は10回を数え、疲労の色も濃くなってきましたので、1日目はここまでとします。次回、後半へと続きます。