宿毛あたりから自転車で愛媛県側(南宇和)に入ると、突然道が良くなり、コンビニなどの店が増えてくる。面積は四国の半分もあるけれど、高知という土地は経済的に厳しいのだなと実感する。
写真の赤い屋根のお寺は、高知市南西部の三原村にある法泉寺(浄土宗)。この村のたった一つのお寺だ。

この村も毎年100人ほど人口が減っている。交通の便も悪いが、そんな中で鎌倉時代からずっと維持されているのだ。可憐な石仏!これは江戸時代の村人の墓石だろう。



高知県にはたった一つしかお寺がない村がいくつかある。しかも地味寺。お寺は、その土地の財力の証でもある。寺が少ないということは、その地が経済的に恵まれていなかったということだ。
山間部の吾川村、今は周辺町村と合併して仁淀川町になったが、この村にも一つしかお寺がない。法輪寺。建物は昭和になって建て替えられた簡素なものだ。


法輪寺は仁淀川を見下ろす山の斜面にある。お大師さんも川を見下ろしている。のんびり犬が日向ぼっこをしていた。


愛媛県境に近い大川村にも一つだけ寺院がある。延名寺。お寺とは名ばかりの小さなお堂だ。もう地図には載っていない。

この村は人口が激減、400人は離島を除けば日本最小だ。前を流れるのは吉野川。ここから蛇行を繰り返して徳島県に流れていくのだ。村の人々はすでにお寺を維持する力がなく、かろうじてお堂を立てている。


こういうお寺に行くのは一日がかりだ。それでも堂宇を見ると、何か救われたような気持になる。小さな寺でも、いや小さな地味寺であればあるほど、訪れたことが貴重な体験だと感じられる。
もう一つ。大野見村(おおのみそん)は、隣の中土佐町に合併されて中土佐町大野見地区になっているが、ここもお寺は一つだけ。正泉寺。訪問したのは5月の連休。民家のような建物だが、境内には花が咲き乱れ、平和で優しい佇まいだ。


地味寺でも、地域の人に愛されていることを実感する。


こうした町村を回っていると、はるかな昔、土佐に国司で赴任した紀貫之や、配流された源希義(頼朝の弟)が、どんな気持ちでこの地に赴いたのかわかる気がする。しかし住めば都。中には応仁の乱に恐れをなして、自ら望んで都落ちをした一条教房という公卿もいる。この人の子孫は戦国大名になる。鄙には鄙の春夏秋冬があり、幸がある。
お寺を通じて「土地の匂い」を感じるのも、この趣味の愉しみの一つだ。










  • 広尾 晃

  • ふつうのお寺 http://futsu-no-otera.jp/
  • わけあって、今は小さく、目立たないけれど、ずっと法灯を伝えている。そんな小さなお寺を「地味寺」と呼びたい。「地味寺」は、「みすぼらしいちっぽけなお寺」ではなく、誰かの思いに応えるために、時代の風雪に耐えながら生きている、かけがえの無いお寺です。私は全国75,000と言われるお寺を回ることをライフワークにしています。その中から選りすぐりの「地味寺」をご紹介していきます。
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