稲沢稲島八幡社01
名古屋市中区正木2丁目にある正木八幡社(闇之森八幡社)には、木立の中に木造のどっしりと風格のある蕃塀が建っている。

名古屋市中区正木八幡社の「蕃塀」


南にJR東海道本線、西に堀川、北に名古屋高速都心環状線、東に国道19号線伏見通に囲まれた名古屋の市街地の中に、鬱蒼とした鎮守の森がある。市立伊勢山中学校の北隣にある正木(まさき)八幡社の境内地である。真夏の酷暑でも有名な名古屋にあっては、こうした森の木陰は涼を取るには最適な場所の一つとなっている。一般に「闇(くらがり)之森八幡社」と呼ばれるこの神社には、中央に応神天皇、左に仁徳天皇、右に神功皇后が祀られている。平安時代末期の武将源為朝が創建したと伝えられる古社で、永正18年(1521)の棟札が残っている。

み002中区正木八幡社2
この由緒ある正木八幡社の蕃塀は、正面の鳥居をくぐってすぐの所に建っている。柱を4本据えて造る3間幅の木造短塀で、塀の中央には窓が開いている。3間ともその窓には、縦に細い木を並べて細かい隙間を造った窓枠がはめ込まれているが、このような形の窓は建築の世界では「連子窓(れんじまど)」と呼ばれている。愛知県に所在する蕃塀の9割以上はこの連子窓を持つタイプであり、私はこの種の蕃塀のことを「連子窓型蕃塀」と命名している。

前にも紹介したとおり、蕃塀は「不浄除け」とも呼ばれ、不浄なものを遮断するなど役割が考えられるのだが、実際にはこのように窓が開いていて、しかも狭いとは言え隙間が開いていることが分かる。このあたりが、隠しているようで隠していない微妙な感じが残るところで、意味深である。やはり、蕃塀は神域を区分する象徴的なシンボルなのだろうと思う。

み002中区正木八幡社3
さて、次に正木八幡社の蕃塀の屋根を見てみよう。木造連子窓型蕃塀の屋根は全部、本を伏せたような山形の形状をした切妻造(きりづまづくり)である。正木八幡社の場合は、もともとは屋根にヒノキの樹皮を敷き並べた桧皮葺き(ひわだぶき)として造られたが、桧皮の劣化を防ぐためその上に銅板が覆っているものである。この桧皮葺きであること自体が、蕃塀の中ではなかなかに風格があるものなのだが、それ以外の屋根側面(妻部分)に施された錺金具(かざりかなぐ)などを見ても、細工が細かくかなり手の込んだ「いい仕事」をしているものといえる。

短塀とはいえ、よくみれば細工が細かくさまざまな種類があるのが蕃塀の奥深さである。尾張地方に集中的に多いこの建造物を、私は「名古屋の新名物」と考えているのだが、そう感じるのはやはり私が蕃塀マニアであるからなのだろうか。




  • 蕃塀マニア

  • 蕃塀マニア

  • 愛知県出身。某団体職員。2006年に愛知県豊橋市所在の石巻神社の蕃塀を見て、それが「蕃塀(ばんぺい)」という名前のものであることを知り、それから蕃塀の調査を開始した。