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日頃何気なく目にするバス停。その数、いったい都内だけでもいくつあるのか数えきれませんが、それらのひとつひとつに改めて目を凝らしてみると、そこに思いがけない発見をする機会が多々あります。特に私が着目するのは、バス停の名前です。「このバス停の名前、なんか不思議」という事例にあちこちで出くわすのです。何十年も前に消滅した旧町名や、江戸時代から使われてきた地域の俗称、特異な建造物の名称など、バス停の名前には日常生活では見過ごされがちな小さな街の歴史や風物が満載といっても過言ではありません。このコンテンツでは、そんな都内のバス停の数々を「バス停地名学のすすめ」と銘打ってご紹介していきます。

まず手始めにご紹介するのは、新宿駅から目と鼻の先にある「角筈(つのはず)二丁目」バス停です。もう二十年程も前になりますが、新宿駅から甲州街道を西へ下るバスに乗った私は、「次は角筈二丁目です」というアナウンスを聞き、我が耳を疑いました。そして、新宿という場所柄、現行町名でないバス停名はいずれ改称されるだろうと思いきや、その後も不変な姿に、今も驚きを隠せません。

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現在の新宿駅から副都心地区を中心に広がっていた旧角筈村が、角筈1~3丁目となったのは昭和7年ですが、このうち駅東口側の1丁目の一部は、戦後間もなく歌舞伎町となり、残る地域も昭和45年の住居表示施行時に西新宿の町名に改められ、角筈の町名は地図上から消滅しました。もう40年も前の話です。

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角筈の地名由来には諸説ありますが、有力なのはこの土地の開拓名主である渡辺与兵衛の優婆塞(うばそく)説です。優婆塞とは、自宅で修行を重ねる在俗の僧を指し、伊勢神宮の忌詞(いみことば)ではこれを角筈と称し、与兵衛自身が周囲から角筈と呼ばれ、その開拓地の名にも使われたとされています。字面も読みも個性的な地名であり、バス停としては難読な部類のひとつともいえるでしょう。

バス停名が個性的なら、ここを通る路線も個性的です。新宿駅西口と武蔵境駅を結ぶ小田急バスの[宿44]系統は、路線延長20キロ弱という長距離路線で、昭和24年に東京駅を起点に運行を開始したという伝統の路線です。現在、1日10便と本数は少ないですが、バス停名ともども、末永く存続されることを願ってやみません。その他、小田急バスには春と秋の休日のみ運行されるよみうりランド行きという路線もあり、こちらは1日2便のみですが、バス停にもしっかりと行き先の表示が記されています。