琺瑯看板がある風景は、絵になるなぁ…と、つくづく思う。
正しい田舎の風景だとも、思う。
とりわけ、「太田胃散」は別格。農家の納屋や古い民家の軒下にセミのように貼りついた様子は、まるで額に収まった一枚の絵だ。黄昏時に見るものなら、郷愁を感じずにはいられない。
ほどよい田舎で、ひっそりとした陰日向、うぶな娘のごとく、気づく人がいれば…なんていう控えめなロケーションは、その次にくる“郷愁風景”を計算しての貼り方に思えてならない。
“貼り師”と呼ばれる人たちは、「太田胃散」が似合うにふさわしい全国の郷愁風景を探し求めて、看板を貼り続けたのではないだろうか。
そんな気がしてくるのだ。
まぁ、琺瑯看板を見て、郷愁を感じる…なんていってること自体、看板フェチのナニモノでもないけど(笑)。

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石川県(2010.9撮影)


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岐阜県(2005.11撮影)


「ありがとう、いいくすりです」のキャッチコピーで有名な「太田胃散」は、明治12年(1879年)に太田信義により胃散元祖太田製として官許を得て売り出された。120年以上経った現在でも家庭胃薬の定番として支持されていることはご承知の通りである。
太田胃散株式会社の社史によると、大正7年(1918年)に鉄道沿線に看板広告が貼られたという。木製看板の時期も長かったようだが、琺瑯看板が出てきたのはいつごろかはっきりしない。
泉麻人・町田忍共著『ホーローの旅』(幻冬社刊)には、海を越えて万里の長城まで貼られたという戦前のエピソードも書かれている。

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現存している琺瑯看板には2種類ありそうだ。“胃病薬”のロゴが白抜きのものと、白地に赤字で書かれたものがある。白抜きタイプは看板の色も鮮やかな青がふつうだが、退色したのか、元々色違いのバージョンなのか分からないが、黒や灰色~薄茶色のものも見つけている。
“胃病薬”のロゴは右から左に書かれているので、単純に戦前モノと考えてしまうが、そうともいえない。看板があるお宅のご主人に聞き取りしたところ、昭和30年代に貼られたという答が返ってきた。おそらく戦前モノはそんなには現存していないのではないか。
また、わずかであるが、木製の看板も残っている。ひょっとしたら意外な大発見ではないかと一人悦に入っているのがこれ。下の写真は埼玉県で見つけたもの。                          
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埼玉県(2007.3撮影)


さじですくって口に入れる、日本髪(?)を結った婦人の絵が描かれている。看板に書かれた「太田信義薬房」は、昭和19年(1944年)に企業整備令により東興製薬株式会社になる前の社名なので、戦前モノとは想像がつく。琺瑯製よりも古いと思うが、作成された年代は不明だ。
さて、「太田胃散」の看板は全国的に貼られたと推測できるが、興味があるのはその分布である。“胃病薬”のロゴが赤字のものはごく限られた範囲でしか見つけていない。埼玉県・群馬県・長野県を中心とした北関東エリアと、熊本県でのみ確認している。(調査期間/2005年3月~2010年8月)
昨今の急激な環境の変化や“琺瑯狩り”の暗躍により、看板の消失が加速しているが、「太田胃散」がある郷愁風景がこれ以上なくならないことを祈るばかりだ。

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【番外編】


ちょっとばかし郷愁風景から外れるが、これぞ“みちくさ”的だと思うものを見つけたので紹介したい。
1枚目は家屋の壁一面に貼られた「太田胃散」。その数100枚以上。ホーロー看板コレクターとして有名な、愛知県豊川市在住のサミゾチカラさんのお宅である。自宅を資料館として開放しているだけあって、その半端ではないこだわりようにはただ驚くばかり。興味がある方はぜひ訪ねていただきたい。

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愛知県豊川市(2010.3撮影)


2枚目は名古屋で見つけた巨大な電飾看板。なんと、僕が勤める職場のすぐ近くにあった。“灯台下暗し”とはこのことで、酔っ払ってふと見上げた夜空に、「太田胃散」のネオンが輝いていた。
ホーロー看板に関心がなかったら、気づくことはなかったかもしれない。
随分昔からあるようだが、名古屋駅からも近く、周りは観光スポットも多いので、名古屋の夜を訪ねる機会があったら、“みちくさ”されるのもよろしいかと。
       
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愛知県名古屋市(2010.10撮影)


最後にウンチクをひとつ。「太田胃散」のCMで流れるBGMは、ショパンの前奏曲作品28第7番イ長調。「イ長」と「胃腸」をかけたものという説がある。
いずれにしても、毎日のストレスで胃に穴が開きそうな小生には、このクスリは強い味方と言っておこう(笑)。

※サミゾチカラ琺瑯看板研究所/愛知県豊川市 電話0533-84-4403 開館時間9時~16時 入場無料 要電話予約
※「太田胃散」巨大電飾看板/名古屋市中区名駅5丁目、納屋橋西交差点


  • つちのこ
  • 琺瑯看板探険隊が行く
  • 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。