こんな鍾馗さんのあげ方は豪邸ならでは (八尾市小阪合町)
こんな鍾馗さんのあげ方は豪邸ならでは (八尾市小阪合町)
みちくさ学会の読者には関東の方が多いと思われますが、外部の方がイメージする「大阪」と言えば
おばちゃんやおっさん、阪神タイガースに「こなもん」といったところで、活気はあるものの、
あまり品のよいものではないでしょう。

でも実際に大阪府内を歩いてみると、意外にも古い民家の立ち並ぶ落ち着いた集落が
あちらこちらに残されていて、実に気品がある景観を構成しています。

大阪の街並みは目立たないが結構すごい


旧紀州街道沿いの重厚な旧家 (阪南市尾崎付近)
旧紀州街道沿いの重厚な旧家 (阪南市尾崎付近)

学術的な知識はありませんが、大阪の民家は様式的には奈良県とよく似ているように思います。
狭く曲がった道によって画された集落内は比較的密集して家が建てられ、家々は入母屋の重厚な作り。
写真のような本瓦葺きもごく普通に見られます。驚くほどの豪邸が普通にあちこちに見られますが、
この地域の農家は京大坂に近いという地の利を生かして古くから木綿などの換金作物による
現金収入で豊かだったためと言われています。
塀をめぐらせた家が多く、家の内外は掃除が行き届いて門から覗く玄関先も簡素に趣味よく整えられ、
住まう人の文化的な暮らしぶりがうかがえます。

とはいえ大阪平野のほとんどは住宅開発され尽くし、古くからの集落も新興の住宅群に取り囲まれてしまって、無闇に歩いても古い集落がどこにあるのかさっぱりわかりません。
事前に地図とにらめっこして古い集落の残るところをリサーチしておくことは必須となります。

大阪も「お寺鍾馗」が多いので、お寺の「卍」記号を頼りに地図で古い集落を探します。
地図をよく見ると古い集落は不規則な形状の街路で区切られ、
合理的な新しい道路で作られた新興住宅群の海原に浮かぶ小島のように見えてきます。

ところがせっかく見つけ出した集落も、訪ねてみると近代的な西洋風住宅に建て替わっていたり、
無住となったお宅が更地や駐車場になっていたりと、落胆させられることが多いのも大阪。
おそらくは多くの鍾馗さんが近年になって失われてしまったと思われます。
農村集落では昔ながらの狭い道が複雑に折れ曲がる。クルマで入り込むと大変 (河南町大ヶ塚)
農村集落では昔ながらの狭い道が複雑に折れ曲がる。クルマで入り込むと大変 (河南町大ヶ塚)


大阪の鍾馗さん


前置きが長くなりました。状況は厳しいものの大阪府内にはまだ多くの鍾馗さんが残されています。
手びねりの素朴で愛すべき鍾馗さんが数多く見られる点では、奈良県に次ぐ充実度と言っていいでしょう。
総数では京都に遠く及ばないのですが、希少な鍾馗さんは京都よりはるかに多いのです。
近年まで零細な瓦屋の職人さんがあちこちでてんでに鍾馗を製作していたのだと思いますが、
確かめるすべはありません。

丸顔ででっぷりと太った、堂々たる体型の鍾馗さんが多いのが特徴でしょうか。
いずれも典型的な大阪の鍾馗さん。写実的で貫禄十分。
いずれも典型的な大阪の鍾馗さん。写実的で貫禄十分。


そっくりさんだが、左はきまじめな作風。右はその模倣作じゃないでしょうか。
そっくりさんだが、左はきまじめな作風。右はその模倣作じゃないでしょうか。


鍾馗さんの分布

大阪府内では、山間地を除けばほぼ全域で鍾馗さんを見ることができ、
これまで未発見は千早赤阪村、能勢町、豊能町を残すのみです。
戦災にあい、ビル街と化した都心部を除けばどこでも探してみる価値はあります。
樟葉の鍾馗さんは京都府境にほど近いところで発見
樟葉の鍾馗さんは京都府境にほど近いところで発見。すげー親父顔。一方の岬町は大阪南端の町。


おすすめ探訪地

限られた時間で多くの鍾馗さんを見るなら、まずは富田林でしょうか。
中心部の寺内町は街並みで有名ですが、いろんな鍾馗さんが随所に潜んでいます。また、寺内町の周りの集落でも珍しい鍾馗さんを見つけることができますので、時間があればちょっと足を延ばしてみてはどうでしょう。
富田林寺内町で見られる鍾馗さんたち
富田林寺内町で見られる鍾馗さんたち(上、下)


富田林寺内町で見られる鍾馗さんたち


寺内町の周辺で見られる鍾馗さん
寺内町の周辺で見られる鍾馗さん。バロック鍾馗と流木鍾馗。






  • Kite

  • 鍾馗を尋ねて三千里

  • 鍾馗博物館

  • 愛知県在住の会社員、1961年生まれ。
    週末のたびに関西方面へ遠征し、民家にひそむ鍾馗さんに望遠レンズを向けてます。
    不審尋問には笑顔とポケット版鍾馗ファイルで対抗するも、追い払われることもしば
    しば。