以下の内容はhttp://labaq.com/archives/51764299.htmlより取得しました。


2012年10月05日 15:53

「今の教育って、つまりこういうことだよね」1枚のイラストで説明

 

教育システム00
教育環境も多様化が求められるようになってはいますが、それでもまだまだ画一的な部分が圧倒的です。

それをひと目で表した「教育システム」と題された風刺絵が海外サイトの人気となっていました。

教育システム01
壇上に座る先生らしき人物のセリフ。

「公平に選ぶために、全員に同じ試験をします。
:そこにある木に登ってください」

それぞれ得手不得手はあるのに学校の試験は画一的で、全員が同じものさしで測られている、と言うことのようです。

今の日本の教育システムも同じようなところはあるんじゃないでしょうか。

さて、これに対しての海外サイトのコメントをご紹介します。


●そして次には、ある生徒が別の生徒より勉強が出来ることから、そのことを暗に伝えるんだ。教育システムは努力ベースで成績をつけるべきだ。

●もしこれが木登りの能力テストなら公平なテストではある。

●えっと、もし試験が木登りの仕事につくためなら、試験には納得はいく。

●問2:練習が出来たところで、次は太陽の質量を計算せよ。

●「誰でも天才だ。だが魚を木登りの能力で評価すれば、魚は自分をバカと思い込んで一生を過ごすことになる」 ―アルベルト・アインシュタイン

●自分をペンギンだと想像してみよう。いつも泳ぐのが得意だ。小さな頃から得意で両親からも泳ぎを褒められた。まわりも将来はプロの水泳選手になるべきだと言う。褒められるのがうれしく、かつ自分に才能があることで、自分はプロの水泳選手になりたいのだと自分も気づく。
そこで学校へ行く。ちょっと待てよ。自分がたったひとつ得意な教科はスイミングだ。他の全てが得意じゃない。木登りやトンネル掘りなどもある。これらはいったい将来の自分がしたいこと、すなわちスイミングに何の役に立つのかと考え始める。

その間に10年くらい経つ。この頃には普通の生徒と言われ、スイミングは相変わらず得意であるが、どんなに努力してもサルほどは木登りが出来ない。両親はもっと努力するように怒鳴る。学校の先生は簡単にいらいらしては成績を落とし、友達からは軽蔑される。
そこで試験を受ける。6教科くらいあり1つか2つのみ得意だ。他の動物のサルは万能型だ。他の科目もまんべんなく成績がよい。反面、自分はそれほどよくない。自分が成績の良い2つの科目は、他の者にとって重要でないようだ。

そして自分の好きなことだけを学ぶ学校を選ぶときがきた。やっとばかばかしい木登りやトンネル掘りをやめて、水泳学校に申し込めるようになる。しかしながら行く資格がなかった。それはなぜか?サルがスイミングが好きで得意だと思っている。だからサルも水泳学校を申し込んだのだ。ついでの他の動物たちも申し込んだ。するとスイミングスクールがいっぱいになり全員は行けない。そしてスイミングではなく、他の成績の悪い教科のせいで学校に行くことが出来なかった。サルやゾウより泳ぐのが速いのに、彼らはスイミングをしてよくて自分はダメなのだ。

そこでしかたなく私立の水泳学校に入ることにした。そこはそれほどよく知られている学校でもなく、さらに費用がかなり高いが、他にはもう選択肢がない。そこで努力して成績もめきめきと上昇する。ようやく自分がなりたかった水泳選手になるために前進できると思い始める。

残念ながらそこで思い知るのは、劣った学歴では仕事は得にくいということ。泳ぎは得意でもそれを証明するのは大変である。泳ぎが得意なら、20年の苦労がいつかきっとみんなに認められるであろう。だけど、現実はこんなにも困難でいいのだろうか。

●自分たちは人間で、ゾウでも鳥でもワニでもない。だからこれは的外れだよ。基本の試験や教育には理由があるんだ。生徒は全員同じではないが、高レベルな教育をほどこすのは生徒とその保護者の責任。学校の責任ではない。

1つの考察でしたが、 なるほど、どんなものにも一長一短はあるようです。

能力を測るというのも、いろいろ難しいものなのですね。

Education system

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