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2011年11月08日 22:08

「親の育て方のせいで、抜け出せないでいる習慣ってある?」

 

両親のしつけ
例外はあるものの、両親が裕福なら子供も裕福になりやすかったり、宗教や思想、食事の仕方、振る舞い方など、知らず知らずの間に親の影響を受けるものです。

もちろん大人になる過程で、親とは違う自分のやり方が加わっていくものですが、中には抜け出せないでいるものが誰にでもあるようです。

海外サイトで盛り上がっていた「両親の育て方によって、抜けられない習慣にどんなのがある?」というテーマをご紹介します。

・父親はとにかく3食以外で、何かを食べるとすごく怒った。もっと良い食事を出来る余裕があったにもかかわらず、父は3食を作るために必須な穀物類、肉類、シリアル程度しか、食品棚には置かなかった。何を食べていても父がやってきたら引き出しに隠した。時々見つかっては罰を与えられた。大人になった今、人前で食べるだけで罪悪感がある。そんなことを感じる理由がないだけに、最低な気持ちだ。

・何をやっても失敗すると思うように形成された。おかげで他の人なら自慢になるような何かを成し遂げても、それほど大した価値がないと言うクセがついた。

・「数学でA? なんでA+じゃないんだ?家族の恥だ。」

・大きなトラウマがたくさんあるが、小さいことを並べると以下のがある。
1. 車でどこに行くにも父親が僕らの座る場所を決め、それ以外のところに座ると絶対に出発してくれなかった。おかげでいまだに後ろの左以外の座席に座ると不安になる。
2. 両親は潜在的に差別主義者で、結構それを僕にすりこんでいた。そういう差別主義からなかなか抜け出せない。
3. 大きくなったら先生になりたいとか、歌手になりたいとか、警察になりたいとか言うと、かならず両親が説教を始めた。なので他人よりかなり実用的な人生計画を立てないと安心できない。自分のキャリアと人生はすでに決められているかのように。

・父親は僕がうっかり出来た子だと言い、私語すら許されない超厳しい私立の学校に入れ、僕を殴った。今では通りで独り言をブツブツ言ってるような、社会不適応の変なオタクになった。

・一度もハグをされたことがない。親密な触れ合いってものが想像つかない。握手はある。今、誰かにハグをされると泣きそうになる。

・アジア人なのか?

・アジア人なら握手もないだろ。

・オレは他人からだと大丈夫だけど、父親からされたら、なぜかすくむ。

・僕は情を感じることが難しい。人から受けたこともないので、与えることが簡単じゃない。

・ウソに我慢がならない。もし誰かがウソを言っている疑いがあると真実を引き出すまで追求する。誰かを助けてあげるために、やさしく甘くするということがない。自分のウソさえ許さない。とにかく100%いつでも正直だ。もし女が太って見えるなら、しっかりそれも言う。父さんありがとう。

・それは正しく育てられたんだろう。

・将来のキャリアが安定するように、親にITやコンピューターに強くなるよう育てられた。だけどもっとコミュニケーションのスキルを身に付けるように育てるべきだったと思う。26歳独身の僕が今することと言えば、掲示板を一日中見ているのと、動画を見て一人ですることだけだ。

・うちの両親はゲームセンターに行かせてくれなかった。これは小さなことだけど、僕がゲームセンターに行ったことを知るとすごく怒った。理由は家に任天堂があったので、なぜゲームセンターでお金をムダにするのかということだった。ただ僕を混乱させたのは、ラスベガス旅行で自分たちがギャンブルするときだけ、僕に20ドルを与えてゲームしてきていいと言ったことだ。自分らの楽しみのためなら良いらしい。

・うちの両親は、何がおかしなことがあるたびに怒った。おかげで愛想はいいが、ちょっとのことで警告もなしにすぐキレる人間になった。

・父親は私が何か食べる前に毎回くどく確認するか、体重が増えたようだと言った。そのため食べているところを見られると恥だと思うまでになった。両親ともに太っていたので私がそうなるのを恐れていたようだけど、おかげで15歳のときから摂食障害がある。代わりに私にもっと健康的な食事の習慣をつけてくれるほうがずっとよかった。

・小さいときから、私はデブで不細工と母親に言われた。2年生ですでに食べないようになって、とにかく自分がすぐ太いと考えるようになり、食べることを楽しいと思ったことがない。

・母親にかなりいろんなことを刷り込まれて、どこから始めりゃいいのかわからない。とにかく間食すると怒られ、Aより低い成績をとると能無しのように言われた。何度も太いと言われ続けた。母親は父親をたいそう嫌っていたので、誰かと関係を持つことが怖いし、誰かが自分に寄ってくると逃げてしまう。母親が持っていたような関係を持ちたくないからだ。現在は母親とは話をしていない。

・うちの母親は強迫性障害で、洗濯物をたたんだり手伝うと、必ずそれをたたみなおした。今もシーツが完璧にたためるまで、何度もたたみなおしてしまう。

・小さな子どもの頃、母親から「もし玄関のドアの鍵を閉め忘れたら、誰かが侵入してきて母親と妹がレイプされる」と言われた。ドアの鍵は必ず閉めなければいけない。

・それは正しい。

・母親が毎晩寝る前に歯のチェックをして、時々磨きなおしをさせられた。単に歯を磨く習慣をつけさせたかっただけだが、私はそれをかなり重くとって、今では歯茎に問題が出てきている。歯を強く磨きすぎて、結局歯医者ですごくお金がかかっている。

・母親にパンの耳が一番だと洗脳させられた。パンの耳でチーズトーストだ!

・食事: 母親に残してはいけないとしつけられたので、今は食べ過ぎないように残すことを学んでいる。
付き合い: 母親に人の邪魔になることをしてはいけないと教えられたので、誰かに電話するとか、遊びに誘うとか出来なかった。営業と言う仕事に就いてから人に電話することが平気になった。
人生のレッスン: 父親が10歳のときに出て行き、早く自立せざるを得ず生活のために働いた。今はぼんやりとかリラックスするってことができない。

・うちの父親はスポーツをかなり推奨して、学業については心配しなかった。高校の4年間はアメフトをしてい良かったが、大学へ行ったら勉強スキルゼロ、セルフコントロールゼロで、いまだに苦労している。

・両親ともイギリス人だが、僕はアメリカで生まれた。5歳くらいまでは英国の発音だったが、幼稚園に行き始めてからなくなったらしい。別にトラブルではないが、イギリスの発音のままだったらと思うよ。

・父親が浮気をして11歳のときに出ていった。それ以来誰と関係を持っても、いつか捨てられると思ってしまう。

・いつも親がゲームで勝たせてくれたので、潔く負けることができない。

・16歳になるまでお化粧を許してもらえなかった。それまでに友人のほとんどが化粧についての知識があって、すでに塗りたくるという段階が終わっていた。結局それを学ぶことがなかった私は、ビデオやネットで学習したけど化粧をするといまだにピエロのような気分になる。

・骨が突き刺さって出てるとか、よっぽど大量に出血しているとかでない限り、どんなに病気や怪我をしても医者に連れていってくれなかった。これが理由でなんでも無視する癖がついている。

・発育が遅かった15歳の私に、普通に見えるよう豊胸手術を施させた。

・うちの両親は僕以外に趣味もなければ友人もなかった。おかげで自分ひとりで何もさせてもらったことがない。手は永遠につながれていた。監視もひどくプライバシーというものは全くなかった。家には鍵というものはなく、5〜10分おきに僕の部屋のドアが閉められていないか確認していた。二人とも極端に心配性で、今の僕が、なぜ危険を冒したり無謀な気持ちがあるかを理解していない。
 ちょっと年齢が上がると、僕の人生を台無しにしてくれるようになった。ログアウトするのと一度忘れたとき、僕のPCで友人の両親と会話していた。とあるパーティで会った女の子がセクシーな写真を公表してたんだが、全ての友人の親に電話して、この女の子が誰か聞いてまわっていた。
友達といっしょにいるときは30分おきにどこにいて何をしているかを連絡するために電話しなくちゃいけなかった。もし連絡しないと連続で電話がかかり、それを無視すると警察に電話していた。
 一人っ子だったので箱入りで育てられた。全て検閲されマリオ64以外のゲームも出来なかった。スターウォーズに出てくる銃で暴力的になり、殺人鬼になるようなことを母親が言ったことを覚えている。さらに罰をまったく与えない両親だった。
悪い子でも取り上げたりりせず特権を減らすという方法だったので、悪いことをしても何も起こらず何も学べなかった。両親たちは元ヒッピーで、その両親はとても厳格だったので、憎しみより愛をと考えたらしい。少なくとも僕はどうやって子供を育ててはいけないかは学んだ。その後かなりマインドコントロールするような学校に送られて、自分の両親がどんなおかしいかを知った。
 彼らは僕を愛してくれ、気にかけてくれ感謝はしたが、人生の他のことといっしょで、適度というのが大事だ。両親は気にかけすぎたせいで、僕は生きることが許されなかった。去年大学に行き始めて、いかに自分が箱入りだったかを理解した。プライバシーに関して神経質で、いつも心を閉じている。愛にも過ぎるということが実際にあり、それは窒息させる。

・大学に進学して家を出るまで、自分より年上の相手と話すことが許されていなかった。両親はいつも私の代わりに話した。
相手「元気かい、○○(私の名前)」親「○○は元気だよ」、と言う風に。30代になっても、誰かに話しかけられると、両親の顔を見て話していいか確認する癖が抜けない。後に社交性を学んだけれど、年配を相手に話をするということがいまだに慣れない。

・8歳のときに赤ちゃんはどこから来るのと尋ねたら、両親は花に水をやるようなものだと言った。みんなはそれでどう思うのか知らないが、僕がそのとき思ったのはおしっこをするということだった。
 ある日、娘を連れた両親の友達が訪ねてきて、しばらくその娘といっしょにままごとをしていた。その娘に赤ちゃんが欲しいかと尋ねたら、欲しいと答えたので、ぼくはすぐに彼女におしっこをかけた。

・僕の継母は家の中は裸で歩いた。シャワーを浴びたあと夜までずっとそのまま裸で堂々と過ごす。そのときまだ11歳で、あまりにそれが友達や自分にとって変なことだったので泣いた。すると彼女は自分の家で何をしようと自由だと言い切った。父はその件について何もしなかった。きっと彼は気にいってたんだろう。

・父親は頻繁に死の脅迫を受けるような仕事をしていた。なのでいつも心配していて、絶対に窓に背中を向けることはなかった。レストランに入れば一番奥のテーブルに座った。僕もいまだに窓に背中を向けることができないし、奥の席を選んでしまう。僕には理由はないけれど、父親の持っていた不安がこういうところに波及している。

・父親はとても僕を聡明だといい続けて僕をダメにした。そう言われたことで平均的な点数であったにもかかわらず、自分が他人より賢いと思い込み、30歳になる今、自分が思っていたほどに賢くないと理解しつつある。学位や資格もあるが、そしてバカではないが、自分が思っていたような超賢くて、ウルトラヒーローな存在ではなかった。

全てが親の責任と言うことはないと思いますが、親の影響が大きいのも事実。悪しき習慣でもなかなか拭い去れないケースは多いようです。

子供の頃には当たり前だと思っていた家庭環境が、大人になるにつれて、おかしな習慣だったと知ることは少なからずあると思います。

In what little ways did your parents fuck you up?

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