以下の内容はhttp://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-629.htmlより取得しました。


アメリカ人「1951年ボストンマラソンで日本人が優勝したとき俺らは酷いことしたよな」

元ネタ reddit.com



2013年シーズンのMLBにおいて、37人連続アウト、30.1イニング連続無失点という記録を達成。アメリカンリーグ優勝決定シリーズにおいて、1勝3セーブを挙げチームの勝利すべてに貢献し、MVPを獲得。さらに、日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手となった上原浩治。
一時は引退を覚悟した男が、どのようにして世界一の瞬間マウンドに立っていられたのか?どんな環境にあっても、周囲の状況がどうであっても、決して変わることのない生き様を明かす。


野球シーズン待った無し! O_o
あと2週間でメジャーリーグも本格的に始まりますよ。
(3/22、23にオーストラリアで開幕ゲームあり)
今年の大注目はもちろんマー君こと田中将大投手。
どれだけ勝つのか? ヤンキースを優勝させられるのか?
今日のオープン戦もまずまずのピッチングだったから、
その内容やシーズンの展望など語りたいことがメチャクチャあるのだけど、
それは泣きながら別の機会に。

上原投手はあの実力からは意外なことだけど、
シーズン最初からクローザーを務める初めてのシーズンになりますね。
これがどう転ぶのか期待9割5分だけど、ちょっぴり心配もしてます。
果たしてボストン・レッドソックスの連覇なるか。

さて、そのボストンですが、ご存じの通り米国東海岸の大都市です。
日本人にしてみれば、野茂、松坂、上原などが在籍してきたボストン・レッドソックスがやはり一番馴染深いかもしれない。
その他では、学校で習ったアレですかね。

ボストン茶会事件。

初めて聞いた時は、茶会で事件ってどういう事!?と思ったけど、
習ってみたら茶会でも何でなくて割とその時歴史が動いた事件だった。

1700年代のアメリカには、イギリス、フランス、スペインなどがいました。

boston_tanaka1403_0a.jpg

イギリスとフランスで領土問題が起こって戦争までしてますね。
一応イギリスは勝ったのだけど戦費がかさんで財政難。
そこでアメリカの植民地に税金かけまくり。
さらに、落ち目だった東インド会社を救済するために茶の独占販売権を与え関税も無しにしたこともあって、アメリカの住民は激怒。

そしてついに1773年12月16日の夜、ボストン港でドッカーン!

boston_tanaka1403_0b.jpg
「ボストン港をティー・ポットにしてやんよ!」

アメリカ先住民の変装をして東インド会社の船に乗り込み紅茶を海へ。(ノ∀`)
今度はイギリスのジョージ3世がドッカーン!
「お前ら、集会も選挙も禁止!」
抜き差しならなくなった両者はジョージ・ワシントンを中心に独立戦争へ・・・
それで本当に独立されちゃいますからね。
紅茶があまりにも高くついたジョージ3世涙目ですわ。(笑)
そして、アメリカ先住民 「解せん・・・」 (^_^;

この独立戦争と結びつきがあるのがボストン・マラソンです。
最近では「2013年ボストン・マラソン爆発事件」が強烈な印象を残しました。
去年の4月15日のことなのでまだ記憶に新しいことでしょう。
これはボストン・マラソン第117回目での事件でした。
第1回目はアメリカ独立戦争の緒戦であるレキシントン・コンコードの戦いを記念して祝日となっている1897年4月19日に開催されています。
この 「愛国者の日」 を祝う形で始まったのがボストン・マラソン。
ですから、もう既に100年以上の伝統があるんですね。
歴史の浅いアメリカの中で1897年から続くこのマラソンは異色を放ってます。

その長い歴史の中には日本人優勝者が7人も現れていますよ。
有名どころでは、1981年と1987年で2回優勝している瀬古利彦さん。
そして、1951年に日本人で初制覇した人が田中茂樹さん。
弱冠19歳での快挙でした。
しかし、当時はまだ大戦の傷がお互いに深く残っている時期です。
しかも彼は、アメリカが原爆を落とした広島の出身でした。
あまりにも因縁のある巡り合わせだった。
そんな田中さんの優勝が現地でどんな風に受け止められたのか・・・

とある海外大手サイトで、正にその件についてのスレが立っていました。
スレ主にちょっと釣られた気もしますが、
非常に気になるテーマだったので取り上げてみました。
では、興味のある方は続きをどうぞ。


red321red321  スレ主
19 year-old Shigeki Tanaka was a survivor of the bombing of Hiroshima and went on to win the 1951 Boston Marathon. The crowd was silent as he crossed the finished line.
広島原爆から生き残った19歳の田中茂樹が1951年のボストンマラソンで優勝した。彼がゴールテープを切ったとき群衆は完全に沈黙していた。

3 ヶ月前の投稿

boston_tanaka1403_01.jpg


RevanFlash
なぜ沈黙してたんだ? リスペクトか? その逆か?

   SanatKumara
   ディリスクペクト [軽蔑・軽視] だよ・・・俺には分かる。
   当時は大戦が終わったばかりで排日感情が凄かったんだ。

   gamesend
   ↑ ああそうだったよな。
   アメリカ人は彼らを捕虜収容所 [internment camp] に閉じ込めてた。
   アメリカが何をやったかみんなもう忘れてしまってるようだ。

   Thulsasnubianmullet
   ↑ もちろん憶えてるさ。
   日本人がやったバターン、拷問、殺人、時には捕虜を喰ったこと。
   そして家族や友人をその大戦で失かったことが一番心に残ってる。

   RILib
   ↑ 「バターン死の行進」から生還した男と話をしたことがある。
   彼に日本を恨んでるかと聞いたら、そんなことは無いと言ってた。
   あれは戦争だったからってね。

   charlesdexterward
   ↑ 2ヶ月に前に死んだ俺の叔母は、とても長い期間があったのに
   死ぬまで真珠湾のことを許さなかったよ。

   inmyotherpants79
   ↑ 大戦中、俺のじいちゃんは日本へ派兵されていた。
   俺の兄貴はネイビーにいてやっぱり日本へ配置されてる。
   その兄貴が日本人女性と結婚したんだ。
   俺らはメッチャ心配したよ。
   じいちゃんが日本大嫌いだから大騒ぎになるってね。
   
   兄貴が日本人の嫁さんを家に連れてきたとき、俺らは忠告したさ。
   じいちゃんは昔ながらの信条を持ってるから大変だぞって。
   彼女は現状を理解するとじいちゃんの所へ行ってぶちかましたんだ。
   「I'm a good Jap. No bombing me!」
   (私は良いジャップです。だから爆撃しないでね!)

   あの時じいちゃんは何分間も笑い続けてたなぁ。
   今でも彼女の話題になると、「あの女は俺が会ったことのある
   切れ長目野郎の中で唯一良い奴だ」と言ってるよ。(笑)

   Mishmash34
   ↑ 俺は母親が日本人で父親がアメリカ人。
   親族たちが集まると、酒が入った後にたいてい始まるんだ。
   「ジャップと下方婚しやがった」ってね。
   残念ながら今週の集会でもそういう流れを避けられそうにない。

   Thangleby_Slapdiback
   ↑ 人種差別野郎は最低だな。
   お前に出来ることは奴らが素面の時にキッチリ言いきかせることだ。


Aschebescher
真珠湾攻撃の時にこの男はわずか9歳だったんだ。
マジで人間ってのは感情が絡むと不合理になるもんだよな。


Klassic96
せめて未来にいる俺から遅すぎるエールを・・・・・・お前はよく頑張った!!


debeurre
本当に胸が押し潰されそうな光景だよ。
彼がとっても誇らしげなのがまた・・・



bluetaffy
優勝した日本人はすげえハッピーな顔してるってのに奴らときたら・・・
ファック! 俺らのご先祖様 ファック!


Expressman
だが彼らを責めることが本当にできるだろうか?
終戦してまだ6年しか経ってないんだ。
人々の悲しみはまだ癒えてなかったことを思えば・・・


Hokehs
でもこれ多くの人が彼を笑顔で迎えてないか?

   mangarooboo
   良いところに目を付けたな。 確かに何人かは笑ってるようだ。
   お前に言われなきゃ気付かないところだった。
   たぶんその人たちには喜ばしいことだったんじゃないか?
   とはいえ、何人かは石みたいな顔になってるな。
  
   mangarooboo
   観衆の顔の表情は大して意味を持たないと俺は思うんだ。
   1935年優勝のジョニー・ケリー、1936年優勝のクラレンス・デマー、
   1949年優勝のカール・レアンデションの写真を見てくれよ。

   boston_tanaka1403_12.jpg

   boston_tanaka1403_11.jpg

   boston_tanaka1403_13.jpg

   どれもみな笑顔と無表情の集合体だろ?
   当時のマラソンは現在のようなお祭りとは違ったんだよ。

   mangarooboo
   ↑ うわぁ・・・たかだか60年程度で俺たち自身の文化が
   全く異質なものに変わってしまったことに驚いたわ。


Aschebescher
1950年代でもまだ誰もが帽子を被っていたなんて知らなかったわ。

   tseliottt
   俺の記憶が正しければ、ジョン・F・ケネディだよ。
   この後に帽子の流行をストップさせたのはね。
   彼はファッションリーダーだったから帽子人気は凋落した。

   NSA_Agent_008
   ↑ JFKさんマジっすか?!
   お蔭で今はアゴ髭もじゃ男たちしか帽子を被りたがらないよ。

   upslupe
   ↑ 帽子が廃れた原因は他にも説があるぞ。
   それが大衆乗用車とハイウェイの普及。
   当時の車の中であの手の帽子を被ると天井が邪魔だったんだな。


OneThinDime
>彼は足袋 [tabi] 、つま先分れの靴を履いて走った。
>神戸の会社オニツカで作られたもので、その会社は
現在アシックスとして非常によく知られている。

   LukaCola
   フェイスが履いてたやつかっ!!
   boston_tanaka1403_15.jpg

   PurpleKerbie
   つま先が分かれた靴って最近のテクノロジーじゃないの?
   それとも彼はタイムトラベラーだったのか・・・

   drawinglearner
   Asics: "Anima sana in corpore sano"
   これは「健全なる生命は健全なる身体にこそ宿るべし」という意味。
   ユヴェナリスの「健全なる精神は健全なる身体にこそ宿るべし」を
   もじった言葉なんだよね。

   iamagainstit
   アシックスは今もオニツカタイガーを売ってるよー。

   franny611
   オニツカタイガーを1足持ってるよ。
   まさかこんな歴史があったとは知らんかっわ。

   tseliottt
   ↑ お前は何をいってるんだ?
   ナイキの始まりはオニツカの販売代理店だぞ。
   ナイキ創設者のフィル・ナイトとビル・ボウエルマンが
   オニツカの大ファンだったからそうしたのさ。


bass_n_treble
俺は自分の国の歴史の99%が恥ずかしいよ。

   canuckfanatic
   それならアメリカから出ていけばいいんじゃね?


kcg5
俺にはスレ主の主張する "沈黙" のソースが見つけられなかった。
いったいスレ主は何を根拠にして言ってるんだ?

   Swipecatt
   誰も拍手してないのは、単に周りがメモを取ってる記者
   ばかりだからじゃないかな?

   buttmax
   マジで何のソースも見当たらんな。
   俺ら全員スレ主に釣られたのかもしれん。


これはむしろ全力で釣られたいよ。
それって田中茂樹さんが不当な扱いを受けなかったってことだから。
この真偽については、管理人も知らべてみたのだけど、
元スレの外国人たち同様にそれらしい情報は見つけられなかった。

それに、リンクされていた他の優勝者の写真が示すように、
当時のゴールの瞬間はああいうスタイルだったんじゃないかと。
現在のように大騒ぎせずに淡々と迎える感じ?
という訳なので、ガセビアと断定してもいいと思う。
しかし、釣られてこんなに嬉しかったことはかつて無かったわ。(笑)


とはいえ、それだと話しがここで終わりになりますね。^^;
それではあまりにもアレなので、もう少し田中さんのことを。
毎日新聞が、当時の記事を少しネットにアップしていますし、
ウィキペディアなど割と情報が多かったので引用させて頂きます。

世界でもっとも歴史のあるボストン・マラソン第55回大会に日本の4選手が初参加。田中茂樹(19歳)が2時間27分45秒で優勝した。当時歴代3位の記録だった。田中はゴール直前の心臓破りの丘を一気に駆け抜けた。原爆被災地・広島出身のため「アトム・ボーイ(原爆少年)」と呼ばれて喝采を浴びた。他の3選手も9位以内に入った。

boston_tanaka1403_21.jpg
優勝した田中茂樹選手(中央)、2位ラファーティ(米国=左)3位ラガゾス(ギリシャ)
1951年4月19日 米国・ボストン [source]


日本は戦後初のロンドンオリンピックには出場が許されず、世界的な規模の大会に出るのはボストンマラソンが初めてで、日本に対する関心は薄かった。マラソンチーム監督の岡部平太は「民族の誇りを復活させるには、アメリカで国民的行事であるボストンマラソンを制するのが1番」と考えた。田中もアメリカはまだ敵国のイメージを持っていた。

ボストン到着後、国防総省の関係者から連行され尋問を受ける。多くの被爆写真を見せられ「これは本当なのか」と質問された。翌日のアメリカの新聞は田中を「アトムボーイ」、全滅したと思われた広島から選手が出場する、と大きく書きたてた。

田中は広島の山奥育ちで原爆と関係ないが「19歳の原爆ボーイに栄冠」「敗戦国の日本が戦勝国に乗り込んでの勝利」などと田中優勝を伝えるビッグ・ニュースが世界を駆け巡った 敗戦で肩身の狭い思いをしていたアメリカ在住の日本人は涙を流して喜び、敗戦以来アメリカの地で「おれは日本人だ」と心の底から叫ぶことが出来たのは、この時が初めてであったろうといわれる。その夜田中は黒人達にバーに連れ出され「お前は凄い。俺達は白人には勝てない」祝福された。[source]


そんな田中が忘れられないのが、自身の優勝を伝えたボストンの地元紙の同じ1面に、ダグラス・マッカーサーが連合国軍最高司令官を解任された記事が載っていたこと。「マッカーサーが去るって話のそばに日本人の優勝の記事。どうだ、見たかってね」。半世紀以上前の快挙を、アトムボーイは懐かしそうに振り返る。[source]

boston_tanaka1403_22.jpg  

この時代まで日本のマラソン選手は、指又の有る足袋を履いて走った。田中もオニツカタイガー(現在のアシックス)製の地下足袋型マラソンシューズで快挙を成し遂げた。ゴール直後、外国人新聞記者達は血相を変えて 「早く靴を脱げ」と田中に迫った。理由も分からず靴を脱ぐと記者たちは、安堵の表情をした。

本人に聞いてみると、「日本人の足の指は2本しかない」と当時のアメリカ人は疑ったのだそうだ。サンフランシスコ講和条約が結ばれた年でも、日本に対する認識はこの程度であったのだろうか。[source]


工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工工
どんだけ亜人扱いされてたんだ当時の日本人は・・・
そういう時代だったと言われれば返す言葉がないけれど。

ともかく、優勝後に田中さんが冷遇されたということは無さそうです。
むしろ、在米邦人や黒人たちから大いに祝福された模様。
ただ、田中さん自身がまだご存命ですから、自伝を書かれるか何かで当時のことをご本人から教えて頂きたいものです。


最後に、田中さんの優勝で米国でも話題となった足袋シューズ。
現在では海外メーカーでも製造され米amazonにもありましたよ。

boston_tanaka1403_23.jpg
ZEMGEAR Men's Oxygen 2 Ninja Split [amazon]


ちょっと微妙だけど悪くはない・・・・・・か?
レビューは平均4.2星と高評価だったり。
しかし、相変わらずニンジャが好きだなぁ向こうは。(笑)
ちなみに、5本指ソックスも普通に売られていて、
靴下ランキングの6位と9位に入ってたよ。 O_O
あ、あとオニツカとナイキはいろいろあったみたいだから、
調べてみると面白いと思うよ。ノシ

みんな!オラに力をわけてくれ!!
genkidama150.jpg


ナイキを創ったフィル・ナイトの自伝!
日商岩井がピンチを救ってなかったら今の帝国は無かったかもしれん……
日本が~は扇動的なタイトルだけど内容は知っとくべきこと。
オニツカさんが足袋シューズを復刻した噂はどうなったのか・・・
アメリカのトンデモ将軍ドラマがついにブルーレイ化してた!
もやしもん 13 限定版   
◆ SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。
◆ 
◆ 
◆ 
関連記事
[ 2014/03/17 23:14 ] オタク・注目の人物 | TB(0) | CM(140)
|



以上の内容はhttp://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-629.htmlより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14