任天堂が1977年に発売したゲーム機『カラーテレビゲーム15』&『カラーテレビゲーム6』とは!?
『カラーテレビゲーム15』

『カラーテレビゲーム6』

https://www.youtube.com/watch?v=QOf3yL579p0
https://www.youtube.com/watch?v=JJbRt-AdzGI
以下海外の反応↓
『カラーテレビゲーム15』

『カラーテレビゲーム6』

ウィキペディアによると↓
カラーテレビゲーム15(カラーテレビゲームフィフティーン)は、任天堂が1977年(昭和52年)に同社としては初めて発売した家庭用の据え置き型テレビゲーム。
概要
1977年7月、任天堂が発売した初の家庭向けテレビゲームで100万台を売り上げた。元は電卓メーカー「システック」と三菱電機が共同開発していたものであり、システックが倒産したのを受け、三菱電機が任天堂に企画を持ち込み、さらに改良を加えて発売までに至った。
内容は主に『ポン』に代表されるテニスまたは卓球ゲームの類で、「テニスA」「テニスB」「ホッケーA」「ホッケーB」「バレーA」「バレーB」「ピンポン」「射撃ゲーム」の計8つのスイッチがあり、「射撃ゲーム」以外はさらにシングルス/ダブルスを選択し、合計で15種類となる。ケーブルで本体に接続されたコントローラーが2個あり、それぞれのプレイヤーはコントローラーを手に持って操作することもできた。
カラーテレビゲーム6
廉価版「カラーテレビゲーム6(カラーテレビゲームシックス)」と共に発売。テレビゲーム6では「バレーボール」「ホッケー」「テニス」のシングルス/ダブルスのみで、テレビゲーム15のゲームスイッチ(遊べるゲームの数)を9つも省いてあり、ゲームコントローラーも本体直付けだったため、定価で5000円以上の価格差があった「15」のほうが人気が高かった。これは任天堂の販売戦略によるものとされている。価格は廉価版だった「6」が定価9,800円、「15」の方が15,000円である。
この当時、テレビゲームのソフトウェアは本体に内蔵された電子回路で構成された物で、現在のゲーム機のようにCPUにプログラムを与えて画像を表示したりする物ではないために、ソフトウェアを交換する事はできず、スイッチの切り替えでゲームの内容を電子回路の切り替えによって変更していた。これを家庭用のテレビ受像機に接続して遊ぶ。
後発の悩み
任天堂は家庭用テレビゲーム業界では、むしろ後発の部類に入るメーカーで、当時は自社内にもテレビゲームの開発ができるスタッフも揃っていなかったという。
本製品に先んじる事2年のエポック社がテレビテニスで主流を作っていた市場にあっては同製品が2万円前後という値段のため、後発メーカーとしては価格で勝負するしかなく、ゲーム機としての機能を削りに削ってとにかく安く作り上げ、それでも完全な赤字で製造・販売された「6」と、やや他社製品より安いが採算の取れる「15」で攻勢をかける事となった。
実際は「6」も「15」も中身(電子回路や基板)は基本的に同じ物が入っており、「15」の機能を後から手を加えて表面上利用できないようにしたのが「6」である。2万円が1万5,000円になっても大きなインパクトはないが、1万円を切っていれば印象が全く違う。そこで「6」で客の目を引きつけ、その上で沢山遊べる「15」の方を選ばせるという二段構えの戦術を取り、多少の赤字には目をつぶるという狙いがあった。また同じように参入を狙っていた他社は9,800円のライバルに二の足を踏み、手を出す事ができなかったといわれている。ほとんど啖呵売の世界であるが、結果的にこの狙いは的中することになる。
なおエポック社は先発メーカーの強みもあって、任天堂の発売に触発されて同年に同じ価格帯で4人対戦も可能で射撃ゲームも楽しめた製品「システム10」とその廉価版の「M2」を投入したが、それでも任天堂の製品は、そのコンパクトで扱いやすいことから一定の評価を獲得していた。
この時代、テレビゲームといえば本製品のようなPONGクローンとも呼ばれるテニスゲーム以外にも、様々なゲームへと多様化して行く過渡期にあったが、この「6」と「15」の合計で約80~100万台(諸説あり)を売り上げる結果となり、後に任天堂の「安価なハードウェアで売り抜け」路線を決定付ける事となる。
という訳で今日はこのゲーム機についての海外の反応を紹介したいと思います。
外国人ユーチューバーがこのゲーム機を紹介している動画がありましたのでその反応を紹介します↓
カラーテレビゲーム15(カラーテレビゲームフィフティーン)は、任天堂が1977年(昭和52年)に同社としては初めて発売した家庭用の据え置き型テレビゲーム。
概要
1977年7月、任天堂が発売した初の家庭向けテレビゲームで100万台を売り上げた。元は電卓メーカー「システック」と三菱電機が共同開発していたものであり、システックが倒産したのを受け、三菱電機が任天堂に企画を持ち込み、さらに改良を加えて発売までに至った。
内容は主に『ポン』に代表されるテニスまたは卓球ゲームの類で、「テニスA」「テニスB」「ホッケーA」「ホッケーB」「バレーA」「バレーB」「ピンポン」「射撃ゲーム」の計8つのスイッチがあり、「射撃ゲーム」以外はさらにシングルス/ダブルスを選択し、合計で15種類となる。ケーブルで本体に接続されたコントローラーが2個あり、それぞれのプレイヤーはコントローラーを手に持って操作することもできた。
カラーテレビゲーム6
廉価版「カラーテレビゲーム6(カラーテレビゲームシックス)」と共に発売。テレビゲーム6では「バレーボール」「ホッケー」「テニス」のシングルス/ダブルスのみで、テレビゲーム15のゲームスイッチ(遊べるゲームの数)を9つも省いてあり、ゲームコントローラーも本体直付けだったため、定価で5000円以上の価格差があった「15」のほうが人気が高かった。これは任天堂の販売戦略によるものとされている。価格は廉価版だった「6」が定価9,800円、「15」の方が15,000円である。
この当時、テレビゲームのソフトウェアは本体に内蔵された電子回路で構成された物で、現在のゲーム機のようにCPUにプログラムを与えて画像を表示したりする物ではないために、ソフトウェアを交換する事はできず、スイッチの切り替えでゲームの内容を電子回路の切り替えによって変更していた。これを家庭用のテレビ受像機に接続して遊ぶ。
後発の悩み
任天堂は家庭用テレビゲーム業界では、むしろ後発の部類に入るメーカーで、当時は自社内にもテレビゲームの開発ができるスタッフも揃っていなかったという。
本製品に先んじる事2年のエポック社がテレビテニスで主流を作っていた市場にあっては同製品が2万円前後という値段のため、後発メーカーとしては価格で勝負するしかなく、ゲーム機としての機能を削りに削ってとにかく安く作り上げ、それでも完全な赤字で製造・販売された「6」と、やや他社製品より安いが採算の取れる「15」で攻勢をかける事となった。
実際は「6」も「15」も中身(電子回路や基板)は基本的に同じ物が入っており、「15」の機能を後から手を加えて表面上利用できないようにしたのが「6」である。2万円が1万5,000円になっても大きなインパクトはないが、1万円を切っていれば印象が全く違う。そこで「6」で客の目を引きつけ、その上で沢山遊べる「15」の方を選ばせるという二段構えの戦術を取り、多少の赤字には目をつぶるという狙いがあった。また同じように参入を狙っていた他社は9,800円のライバルに二の足を踏み、手を出す事ができなかったといわれている。ほとんど啖呵売の世界であるが、結果的にこの狙いは的中することになる。
なおエポック社は先発メーカーの強みもあって、任天堂の発売に触発されて同年に同じ価格帯で4人対戦も可能で射撃ゲームも楽しめた製品「システム10」とその廉価版の「M2」を投入したが、それでも任天堂の製品は、そのコンパクトで扱いやすいことから一定の評価を獲得していた。
この時代、テレビゲームといえば本製品のようなPONGクローンとも呼ばれるテニスゲーム以外にも、様々なゲームへと多様化して行く過渡期にあったが、この「6」と「15」の合計で約80~100万台(諸説あり)を売り上げる結果となり、後に任天堂の「安価なハードウェアで売り抜け」路線を決定付ける事となる。
という訳で今日はこのゲーム機についての海外の反応を紹介したいと思います。
外国人ユーチューバーがこのゲーム機を紹介している動画がありましたのでその反応を紹介します↓
https://www.youtube.com/watch?v=QOf3yL579p0
https://www.youtube.com/watch?v=JJbRt-AdzGI
以下海外の反応↓
・クールだ!
こういう昔の任天堂のゲーム機を見るのは本当に面白い。
・このようなゲーム機は今ではメチャメチャレアで高値が付いてるよ。
元々任天堂は1899年にトランプの販売からスタートした会社なんだよね。
そしてその後、様々なおもちゃ、テレビゲーム6、ゲーム&ウオッチ、ファミコンなどを発売して現在にまで至るんだよ。
・任天堂は1889年には存在してたってマジかよ!?
・↑マジだよ。
・任天堂が発売した世界初のゲーム機は『ゲーム&ウオッチ』だろ?
・↑違うよ。『ゲーム&ウオッチ』が発売したのは1980年だからな。
・凄い!
任天堂が最初に発売したゲーム機はずっとゲーム&ウオッチだと思ってたのに。

・皆意外と任天堂が最初に発売したゲーム機のことを知らないんだね。
・これってアメリカでも発売してたの?
・北米で発売した任天堂のゲーム機では『ゲーム&ウオッチ』が初なんだよ。
しかし日本ではこの『カラーテレビゲーム』の方が先だった。
・昔の任天堂がPONG(ポン)のクローンゲームを出していたことに驚いた。
(『ポン』は1972年11月にアタリより発表され、一般に広く知れ渡った最初のビデオゲーム)
・当時『カラーテレビゲーム6』は日本で一番安く手に入るポンシステムだったんだよ。
ちなみに同じ年に『カラーテレビゲーム15』も発売されたんだよね。
・私はこの『カラーテレビゲーム6』と『カラーテレビゲーム15』は同時にリリースされたということは知ってる。
その売り方はマイクロソフトがXbox360のアーケードモデルとProモデルを同時にリリースしたのと同じような戦略だったのかな。
・面白いのはこれが馬鹿みたいに売れたということだ。
任天堂がビデオゲーム事業に本格参入したのもこれが売れたからとも言われている。
しかしこのゲーム機が売れたのは日本だけであり、それはアメリカのポンシステムが日本で利用できなかったからという事情もあったのかも知れない。
・セガが最初に発売したゲーム機はゴミだったよな。
・↑セガのゲーム機はどれもゴミだろ。
・↑いやそれは違うね。
セガのゲーム機のいくつかは任天堂のゲーム機よりも優れていた。
しかしまともなゲームが不足していただけだ。
・↑SG1000(セガ初のゲーム機)はそこまで悪くはなかっただろ。
まぁファミコンはすべての面でそれを打ち負かしてしまったけどね。
でもセガのメガドライブにはSnes(スーファミ)よりも優れたゲームも沢山あった私は思ってる。
(セガのSG-1000は日本で40万台、世界では100万台を売り上げています↓)

・それにしてもこんなゲーム機を一体どこで手に入れてきたのか?
・この『カラーテレビゲーム』と『ゲーム&ウオッチ』は『ニンテンドースイッチ』の祖先なんだよな。
・ちなみに日本人はローマ字が大好きだから、多くの製品に日本語とローマ字が使用されてるんだよな。
・↑豆知識だね。
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