江戸通りをさらに進みます。馬喰町交差点から少し歩くと、鞍掛橋という交差点に出ますが、ここはかつての浜町川(浜町堀)に架かっていた橋の跡地です。川は戦後に埋め立てられ、橋が姿を消してから久しいですが、今も交差点名として橋の名が残っています。大正期の頃までは、ここに【鞍掛橋】がありました。
鞍掛橋交差点の次の信号で江戸通りと交差する小さな通りを大門通りといいますが、これと旧日光街道の道筋との角にあったのが、現在の大丸デパートの前身にあたる大丸呉服店です。明治43年まで店を開いていたようで、電車開業当時にはまだその姿があったことになります。
間もなく人形町通りとの交差点に出ると、「系統番号13番 その12」でご紹介した【小伝馬町】です。人形町通りには、【水天宮前】へ向かう【新宿駅前】からの13番と、22番とは姉妹路線ともいえる【千住4丁目】からの21番が交差しました。
江戸通りが昭和通りと交差する本町3丁目交差点が、【本町3丁目】です。かつては【鉄砲町】でしたが、昭和7年に町名が消滅し、電停も改称しました。江戸期の切絵図でこの付近を見てみると、日銀本店のあたりから本町1丁目、2丁目があり、旧日光街道に沿って3丁目、4丁目と続いていたようです。家康の江戸入り直後にあたる天正18年(1590)9月、市中で最初に町割りされたのがこの場所であり、本町とは江戸の町家の原点といった意味合いを持っています。
やがて江戸通りが中央通りと交差すると、「系統番号1番 その10」でご紹介した【室町3丁目】です。【蔵前1丁目】から併走してきた31番の電車は、そのまま江戸通りを直進して丸ノ内方向へと向かいましたが、22番の電車はここから都電の目抜き通りとなる中央通りへポイントを切り、1番、19番、40番とともに日本橋、銀座を経て終点の【新橋】へと南下していきました。
*本文中の【 】は、電停名です。
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戦前の本町界隈
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鞍掛橋交差点の次の信号で江戸通りと交差する小さな通りを大門通りといいますが、これと旧日光街道の道筋との角にあったのが、現在の大丸デパートの前身にあたる大丸呉服店です。明治43年まで店を開いていたようで、電車開業当時にはまだその姿があったことになります。
間もなく人形町通りとの交差点に出ると、「系統番号13番 その12」でご紹介した【小伝馬町】です。人形町通りには、【水天宮前】へ向かう【新宿駅前】からの13番と、22番とは姉妹路線ともいえる【千住4丁目】からの21番が交差しました。
江戸通りが昭和通りと交差する本町3丁目交差点が、【本町3丁目】です。かつては【鉄砲町】でしたが、昭和7年に町名が消滅し、電停も改称しました。江戸期の切絵図でこの付近を見てみると、日銀本店のあたりから本町1丁目、2丁目があり、旧日光街道に沿って3丁目、4丁目と続いていたようです。家康の江戸入り直後にあたる天正18年(1590)9月、市中で最初に町割りされたのがこの場所であり、本町とは江戸の町家の原点といった意味合いを持っています。
やがて江戸通りが中央通りと交差すると、「系統番号1番 その10」でご紹介した【室町3丁目】です。【蔵前1丁目】から併走してきた31番の電車は、そのまま江戸通りを直進して丸ノ内方向へと向かいましたが、22番の電車はここから都電の目抜き通りとなる中央通りへポイントを切り、1番、19番、40番とともに日本橋、銀座を経て終点の【新橋】へと南下していきました。
*本文中の【 】は、電停名です。
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