言問通りとの交差点を過ぎ、さらに南へと向かいます。国道6号(水戸街道)は言問橋を渡って浅草駅方面へ向かいますので、ここから先は三ッ目通りとなります。

通りの右手をワンブロック入ると、牛島神社があります。本所の総鎮守で、貞観年間(859~879年)の建立と伝えられる古社です。もとはもう少し北寄りにありましたが、昭和7年に震災復興公園としての隅田公園が整備された際に、現在の場所に移されたようなので、ちょうどこの区間の電車が走り始めたころに移転したものと思われます。

間もなく東武線の高架をくぐります。東武線が業平橋(現在の東京スカイツリー駅)から隅田川を超えて浅草まで延伸したのが昭和6年5月でしたが、後に30番となる市電向島線の開通が同年3月ですので、ここでは都電の方が若干の先輩格でした。当時は、できたばかりの高架線を見上げながら電車が通過していたことでしょう。当時の東武線には、ここから隅田川寄りに隅田公園駅がありましたが、戦時中に休止され、そのまま廃止に至っています。

東武線の高架下が、北十間川の源森橋です。この橋はもともとは無名の橋だったようで、源森橋はひとつ西側の橋(現在の枕橋)にあった名でした。枕橋の北側は、かつては水戸徳川家の屋敷地で、隅田公園となった今も、往時の池の遺構などが再利用されていますが、この水戸屋敷に注ぎ込んだ小さな流れに新小梅橋という橋があり、源森橋とまるで枕を並べるように寄り添っていたことから、枕橋の通称が生じたといわれます。その後、枕橋が源森橋の正式名称となり、源森橋の名がひとつ東の橋に移されました。北十間川については、系統番号23番でもご紹介しましたので、ご参照下さい。

やがて浅草通りに出ると、「系統番号23番 その4」でご紹介した【吾妻橋2丁目】です。30番の電車はここで柳島方面からの23番、24番と合流し、浅草を経由して都心の【須田町】へと向かいました。また、30番には【月島通8丁目】への臨時系統があることを既にご紹介しましたが、臨時30番はここから23番のルートを辿り、森下、門前仲町方面へと南下していきました。

*本文中の【 】は、電停名です。

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牛島神社の三ッ鳥居

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#吾妻橋2丁目