30番の起点【寺島町2丁目】は、水戸街道と明治通りが交差する東向島交差点の南側にありました。前回もご紹介の通り、昭和32年に開通した明治通り上のトロリーバス103系統との接続のため、【向島須崎町】まで来ていた線路が延伸されました。

トロリーバスについては、このブログでも系統番号26番を中心に、何度かご紹介してきましたが、今回は少し詳しくその経緯を見てみることにしましょう。軌道が不要なことから路面電車に比べて建設が容易ということで、1900年に英国で初めて実用化されて以降、トロリーバスは海外では主に第一次世界大戦で破壊された交通網の復旧目的で急速に普及しましたが、国内では兵庫県で昭和3年に開業した阪急花屋敷駅からのトロリーバスが最初でした。戦後、東京では路面交通拡充策のひとつとしてトロリーバスが計画され、昭和27年に上野公園~今井橋間が開通、同30年に池袋駅前~千駄ヶ谷4丁目間が開通(翌年に品川駅前まで全通)、そして同32年、池袋駅前~亀戸駅前間の開通に至りました(翌年には池袋駅前~浅草雷門間も開通)。従来の都電、都バスによる路面交通網を補完し、特に明治通りを品川から渋谷、池袋、王子、亀戸と環状に走ることで、新たな人の流れを生み出すことにも成功したかに見えたトロリーバスですが、バスに比べると機動性に劣り、やがて訪れるモータリゼーションの波には全く対抗することができず、昭和40年前後をピークに、乗客数も速度も急速に下降していきました。全線廃止は昭和43年のことで、最初の路線が開通してから、わずか16年の短命に終わりました。それでも、当時の都民からは「トロバス」の愛称で親しまれ、最盛期には1日10万人以上の利用客を運んでいました。

「寺島」の地名は、現在の地図からは見つけることが出ません。昭和40年の住居表示施行で消滅し、現在は東向島、八広、墨田、京島などの町名となっています。電停も住居表示施行後は【東向島3丁目】と変わりました。東向島交差点から水戸街道の西側に少し入ると、蓮花寺というお寺がありますが、寺島の地名はこのお寺に由来するともいわれます。寺島と聞くと、永井荷風『寺じまの記』や、滝田ゆう『寺島町奇譚』を思い浮かべますが、これらの舞台となった玉ノ井地区は、水戸街道をさらに北へ上がった東向島5丁目付近となります。あいにく30番の電車はそこまでは伸びていませんでした。

東向島交差点を背に、水戸街道を南へと向かいます。

*本文中の【 】は、電停名です。

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トロリーバスの横切った東向島交差点。正面奥に30番の乗り場があった。

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