スカイツリーを右手に仰ぎ見ながら、浅草通りを西へ進みます。やがて業平1丁目交差点に出ると、【業平橋】です。交差点右手の東武橋を越えると、その右側は言うまでもなくスカイツリータウンへの入口、そして東武線のとうきょうスカイツリー駅が見えています。業平橋駅の名が消滅したのは残念でもありますが、業平の地名そのものは健在で、しっかりとこの土地に根付いています。

業平1丁目交差点の先で、浅草通りは大横川親水公園を跨ぎますが、ここに架かっていたのが業平橋で、現在も橋の遺構が残されています。大正期まで、橋の西詰に南蔵院という寺院があり、大岡越前のしばられ地蔵の逸話で知られていましたが、その境内にあった在原業平を祀った業平天神社が、この周辺の業平地名や橋名の由来といわれます。「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」とは、業平が隅田川を船で渡った際に詠んだ歌といわれ、近くの言問橋もこの歌にゆかりの命名といわれます。

その先の浅草通りと三ツ目通りとの交差点が、【吾妻橋2丁目】です。水戸街道を【寺島2丁目】から南下してきた30番の電車がここで合流し、23番とは次の【吾妻橋1丁目】までのひと区間だけ併走しました。古くは中之郷の地名があった場所で、電停も電車開業当初は【中之郷】でした。吾妻橋の町名は消滅していませんが、昭和35年の都営地下鉄本所吾妻橋駅開業に合わせ、電停も【本所吾妻橋】と変わりました。

さらに進むと、次の吾妻橋1丁目交差点が、【吾妻橋1丁目】です。ここから右手斜め方向に入る少し道幅の狭い通りが浅草通りで、【福神橋】から併走してきた24番、【吾妻橋2丁目】で合流したばかりの30番の電車は、浅草通りを吾妻橋方向へ向かいましたが、23番の電車は道なりに直進し、駒形橋方面へと向かいました。

正面に首都高の高架が見えると、その手前が駒形橋東詰の交差点で、正面には隅田川を渡す駒形橋の端正なアーチが見えています。23番の電車は橋へは向かわず、ここから隅田川左岸を南下する清澄通りに入りましたが、橋を右手にやり過ごすと、すぐに【駒形橋】です。ここは電車開業当初は【本所表町】でしたが、昭和5年に町名が消滅し、【駒形橋】となりました。タイドアーチの美しいフォルムが目を惹く駒形橋については、「系統番号22番 その6」でご紹介の通りです。

間もなく春日通りと交差する本所1丁目交差点に出ると、「系統番号16番 その11」でご紹介した【厩橋1丁目】です。23番の電車は、ここで右手から厩橋を越えてきた16番に合流し、次の【石原1丁目】までのひと区間を併走しました。

*本文中の【 】は、電停名です。

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業平橋の遺構

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