常磐線の高架をくぐると、日光街道左手の路地の向こうには浄閑寺が見えてきます。かつての新吉原遊郭に近いこの寺は、遊女らの投げ込み寺としての歴史があり、花又花酔の川柳に「生まれては苦界/死しては浄閑寺」とある他、遊女らの生活に深く関わり続けた永井荷風も幾度か足を運び、自らの墓をここに建てよと日記に記していたといわれます。現在は、昭和38年建立の荷風詩碑と筆塚を見ることができます。

この先、日光街道は台東区に入り、間もなく明治通りと交差する大関横丁交差点に出ます。明治通り上には、昭和43年までトロリーバス103、104系統が交差し、都電とともに繁華な交差点の主役として、路面交通全盛期の景観を作り出していました。

その少し先の三ノ輪交差点が、【三ノ輪車庫前】です。【三ノ輪橋】で折り返した31番がここから左へ分かれる国際通りに入り、蔵前方面へと向かいました。

日光街道右手に見える区立根岸図書館と、その裏手の都営東日暮里1丁目アパート一帯の敷地が、都電三ノ輪車庫の跡地です。車庫は大正2年の開設で、車庫前で二方向に分岐した21番と31番を管轄しました。日光街道から入庫すると、線路は一直線に敷地の奥へ伸び、街道の裏道を高架で越えて車庫に入るという、独特の構造になっていました。その高架下の通りが、ちょうど台東区と荒川区の境界であり、車庫が二つの区にまたがっていたことがわかります。細い道路を越えるだけとはいえ、都電の高架区間は珍しく、入庫待ちの電車が数珠つなぎになる高架上の光景がここでは見られました。図書館の脇を抜けて往時の高架部分跡地を見てみると、区境の通りを挟んだ左右の土地が、路面よりやや高くなっているのが確認できます。

*本文中の【 】は、電停名です。

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三ノ輪車庫への高架が道路を越えた跡地

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#三ノ輪車庫前