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WBCとW杯の違いで見える、日本サッカーの進歩の妨げになっている一番の要素

 WBC(ワールドベースボールクラシック)優勝の余韻が続く中でサッカー日本代表のウルグアイ戦、コロンビア戦は行われている。それぞれを比較したがる人は多くいる。筆者も例外ではないが、それはひとつ間違うと本質から外れた話になることも事実。乱暴な比較は禁物だ。しかしビューを稼ぐにはもってこいのテーマなので、お構いなしの人も少なからずいる。ウルグアイ戦後の会見でも森保監督に「WBCで話題になった栗山監督の“信じる力”についてどう思うか」なる質問が向けられた。

 不振が続いた昨季の三冠王村上宗隆を最後までスタメンで起用し続けたことを“信じる力”だとし、この采配についての感想を森保監督に求めたわけだが、質問者はサッカー監督に野球監督の采配について意見を求める行為を不自然だと思わないのだろうか。森保監督が自他共に認める野球通として世間に認知されているならともかく、そうでなければ競技性に踏み込むような質問は控えるべきなのだ。森保監督が口にできるのは本来、祝福の言葉しかないはずである。

 森保監督は真面目な性格なのだろう。対応に苦しみながらも律儀に言葉を返していたが、野球という競技をリスペクトするならば、ノーコメントが妥当だろう。

 サッカーを他の競技のコンセプトで語るな。日本の場合、最も認知度が高い競技は野球なので、野球的な視点でサッカーを語るなと言いたくなる瞬間に、普段から多々出くわす。

 それぞれの競技にはそれぞれの特徴がある。野球とサッカーでは守備と攻撃の概念に大きな差がある。信じる力、信じて使い続けることの意味に大きな差が生まれるのは当然だ。不振と一口に言っても中身が違う。

 背景に潜む文化も違う。土台が根本的に異なるそれぞれの競技を、同じ土俵の上で無理に交わらせるなと言いたい。その競技の魅力はなんなのか。その点を掘り起こし、詳らかにすることが、普及発展を考えるライターに課せられた使命だと考える。

 野球には野球の面白さがある。サッカーにはサッカーの面白さがある。バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、バレーボール……それぞれ大きな差がある。個人競技と団体競技の違いもある。それぞれをもっと尊重すべきなのだ。

 同じスポーツだからと十把一絡げに括ろうとする人は多くいる。その中心に野球は位置している。スポーツ=野球。スポーツが野球的な視点で語られることが多い理由だ。日本サッカーの進歩の妨げになっている一番の要素だと筆者は考える。

 他の多くの国はそうではない。ナンバーワンスポーツがサッカーである国が圧倒的多数を占める。目にはハッキリと映らないが、日本が抱える大きなハンデだと考える。

 WBCを通して逆に鮮明になったサッカーの魅力もある。WBCとカタールW杯の視聴率を比較すれば、WBCがすべての試合で40%を超えたのに対し、カタールW杯は日本対コスタリカ戦に限られた。カタールW杯が放送された時間帯が深夜あるいは明け方だったこともあるが、WBCに劣ったことは事実である。しかし、だからといってサッカー人気は野球人気を超えられなかったと結論づけるのは早計だ。

 日本戦以外に目を向けると話は変わってくる。外国同士の試合ではサッカーの方が断然上回るはずなのだ。外国同士の試合をネット配信のABEMAで視聴した人も相当数に及んだという。日本代表対侍ジャパンの関係では野球に軍配は挙がった可能性が高いが、サッカーファン対野球ファンの関係ではサッカーが上回った可能性が高い。

 サッカーファンの中には潜在的に外国サッカーに関心がある人が多くいるとの見方もできるが、それ以上にサッカー競技そのものの面白さに起因すると考える。パッと見、面白い。選手の名前など詳しく知らなくても楽しめてしまう。基本的に接戦で番狂わせも起きやすい。延長にならなければ2時間を超えることはないという適当な試合時間も輪を掛ける。

 日本が敗れてからが本当のW杯だと言い出す人さえいる。観戦動機にナショナリズムが占める割合はサッカーの方が野球より低い。筆者も野球は嫌いではないし、WBCにも目を凝らしたクチだが、なんというか、バランス的に優れているのはサッカーになる。

 日本に限った話ではない。全世界的な傾向だ。自国が敗れた瞬間、W杯の観戦を辞める人は少ない。予選で自国が敗れても本大会に目を凝らす人は多くいる。当たり前の話になるが、サッカーと野球とではファンの絶対数が違うので、応援のスタンスも様々だ。一本調子になりにくい。

 カタールW杯に駆けつけた報道陣の中で、日本の敗戦と同時に帰国した人は全体の約3分の2で、決勝戦まで観戦取材し続けた人は3分の1だった。日本代表ファンとサッカーファンの関係も似たような関係にあるのではないか。サッカーの特殊性を象徴する一件であると筆者は見ている。

ナショナルチームダイレクターとは何か。サッカー協会の放っておけない体質

 先週、国立競技場で行われた代表メンバー発表記者会見。森保監督の傍らに座る山本昌邦ナショナルチームダイレクターを見て、技術委員長の役割に改めて疑問を覚えるのだった。

 その昔、田嶋幸三会長は強化委員会の一員で、加茂周日本代表監督の続投に反対の立場をとっていた。1995年末の話だが、加藤久氏を委員長とする強化委員会は新監督にネルシーニョ(現柏レイソル監督)を推すことで合意していた。あとは正式な会見が開かれるのを待つのみだった。
 
 協会の当時の規定には強化委員会の役割として、日本代表監督を評価する立場にあることが明記されていた。にもかかわらずだ。ネルシーニョ案は土壇場で反故にされた。時の会長、長沼健氏の鶴の一声で、それはないものとされ、加茂監督の続投が決まった。
 
 強化委員会はその後、技術委員会に名称を変え現在に至っているが、会見場のひな壇に森保監督と共に座る山本ナショナルチームダイレクターの姿を目にすると28年前が蘇るのだった。

 昨年12月28日に行われた森保監督続投記者会見で、同監督の傍らに座っていたのは反町康治技術委員長だった。その職に就いたのは3年前。2020年3月である。だがその時、技術委員長の椅子に座っていた関塚隆氏が、退任に追い込まれたわけではなかった。代表チームを専門に見るナショナルチームダイレクターという新たに設けられたポストに横滑りしたからだ。年代別チームの強化、指導者の育成等を担当するのが技術委員長で、代表チームのみを担当するのがナショナルチームダイレクターと色分けされた。

 つまりこれを機に、技術委員長は代表チームに口を挟みにくくなった。ところが関塚氏は、2020年11月、ナショナルチームダイレクターを退任する。理由は定かではない。だがそれ以上に不可解に映ったのは、関塚氏の退任とともにナショナルチームダイレクターなるポジションが消滅したことだ。わずか8ヶ月足らずで、技術委員長(反町氏)が従来通り、代表チームも担当することになった。

 反町氏にどこまで発言力があったのか定かではないが、代表監督の働きをチェックする1番の人物であることに変わりはなかった。昨年12月28日に行われた続投会見では、森保監督と2時間膝を付け合わせて話しあったことを自ら自ら口にしていた。影響力を持つ人物であることを間接的にアピールしていた。

 そのタイミングで、山本ナショナルチームダイレクターが誕生した。反町氏は主に年代別チームの強化、指導者の育成を担当する半分裏方的な技術委員長に成り下がってしまった。技術委員長であるにもかかわらず、代表監督の働きぶりをチェックする人物ではなくなった。

 技術委員長として最近で1番頑張ったのは2009年に就任した原博実氏だろう。「攻撃的サッカー」を看板に掲げ、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァヒド・ハリルホジッチの3人を招聘した。その後、専務理事に昇進したため後任の技術委員長には霜田正浩氏が就任したが、原、霜田はコンビとして機能していた。

 しかし原は2016年会長選挙に立候補して田嶋に敗れると失脚。代表強化担当の立場からも外れた。霜田も技術委員長を辞任に追い込まれた。田嶋会長の下でまず技術委員長に就いたのは西野朗氏で、ロシアW杯直前にハリルホジッチが解任されると、今度はその後任として代表監督の座に就いた。

 もっとも西野が技術委員長として、ハリルホジッチの解任にどこまで関与したかは不明である。西野が代表監督に就任すると同時に技術委員長の座に就いたのは関塚隆氏だった。彼はロシアW杯を経て、森保一監督が代表監督に就任しても、継続して技術委員長の座に就いた。

 だが、森保監督の招聘にどこまで影響力を発揮したかは不明だ。田嶋会長体制になってから技術委員長の座に就いた西野、関塚は、原、霜田コンビに比べると弱い印象を受ける。代表監督の仕事ぶりに厳しいチェックを入れるタイプには見えない。現在の技術委員長、反町氏は原氏に近いキャラだが、先述の通り代表チーム担当ではなくなった。山本ナショナルチームダイレクターにも西野、関塚的な「良い人臭」がプンプンと漂う。代表監督の仕事ぶりにダメ出しをするようなタイプではない。森保監督をひたすら温かく見つめる役でしかないように見える。それがナショナルチームダイレクターの仕事だとすれば、チェック役は誰になるのか。

 田嶋氏が会長になってから今年で8年目を迎えるが、その間、代表監督は3人変わっている。ハリルホジッチの解任。西野監督の誕生。森保監督の誕生と続投劇が起きている。ハリルホジッチの解任及び西野監督の誕生はW杯本番の2ヶ月前という慌ただしさだった。まさに英断だった。W杯本大会出場をまたいで行われた森保続投も、日本サッカー史において初の出来事だった。重要な判断を迫られてきた。それぞれ決断したのは技術委員長ではなく田嶋会長だ。

 田嶋会長はこう言っては何だが、世界のサッカーに特段、詳しそうではない。代表歴もある元選手ながら評論性は低い。その会長の下で2050年までにW杯で優勝という目標を掲げられても説得力に欠ける。その前にするべきは組織の構築だ。1995年、ネルシーニョ案が時の会長、長沼氏の一声でご破算になった時、田嶋会長は強化委員として地団駄を踏んだはずではなかったのか。その間に28年が経過した。27年後の2050年、W杯で優勝する姿をイメージすることはさすがにできない。健全な組織の構築こそロードマップの第一歩だと考えて欲しいものである。技術委員長、ナショナルチームダイレクターの役割や権限が明確でないサッカー協会の体質を放置してはいけない。

サイドバックをいかに有効活用するか。第2期森保ジャパンの重要なテーマ

 この原稿は15日に開かれる日本代表発表記者会見を前に書いているのだが、24日のウルグアイ戦(国立競技場)と28日のコロンビア戦(ヨドコウ桜スタジアム)は、地味に戦ってほしいと筆者は考えている。次回2026年W杯まで3年3ヶ月。そのアジア枠が4.5から8.5に増えるため、予選落ちの心配はない。代表強化はこれまでとは全く異なる方法で行われる必要がある。この時期は泰然自若に構えることが一番。畑を掘り起こすことに全力を傾けるべき。筆者はそう確信している。もし発表されたメンバーが、カタールW杯に出場した顔ぶれと大差ないなら、第2期森保ジャパンに幸はないと考えたくなる。

 とはいえ、いわゆるベストメンバーが順当に選ばれる可能性は高い。森保監督及びサッカー協会にそこまでの勇気はないと考えるのが自然だ。三笘薫、久保建英などお馴染みの人気選手が国立競技場のピッチ上を、大歓声を浴びながら駆け巡る姿が想像される。残念ながら、ウルグアイ戦は興行色の強い親善試合になるものと予想される。

 それはともかく第2期森保ジャパンで、筆者がサッカー的に一番注目しているのは、サイドバック(SB)のあり方だ。日本では川崎フロンターレの鬼木監督や、横浜F・マリノスのケヴィン・マスカット監督がそうであるように、SBの役割にプラスアルファの魅力を与えることができるか。サッカーは戦力が互角ならSBが活躍した方が勝つ。紋切り型で恐縮だが、そう信じていい競技だ。SBが魅力的か否かはそうして意味でとても重要になる。

 思い切って言えば、旧来のSBを象徴する長友にお任せ的なサッカーでは可能性はない、となる。縦長のピッチを正面及びバックスタンドから観戦すれば「サイドも中盤に含まれる」という表現は、理解いただけると思う。堀池巧や都並敏史が日本代表のSBを務めていた時代と比較すれば一目瞭然。SBの基本ポジションはかつてよりずいぶん高くなっている。5m、10m近いかもしれない。その位置取りを高さで示すならば、中盤的なのだ。

 先日のヨーロッパリーグ(EL)決勝トーナメント1回戦、スポルティング対アーセナルの第1戦で、後半の途中から左SBとして交代出場した冨安健洋は、いきなり高い位置に進出。187?の身長を折るようなウイング然とした身のこなしから、フェイントを噛まし、左足で決定的なセンタリングを決めた。ファビィオ・ヴィエイラが放ったヘディングシュートは、GKの攻守にあいゴールこそならなかったが、それは左SBのみならず左のウイング級のサイドアタッカーとしても行けそうなポジションの適性の広さ、その多機能性が改めて証明された瞬間だった。

 その一方で左SBでありながら、文字通り中盤的なプレーも見せた。逆サイドにボールがあるときは、アンカー(守備的MF)に近い位置まで絞り、中盤選手然と構えた。

 冨安が自分の意思で勝手に動いている様子ではなかった。ミケル・アルテタ監督の指示に基づいていることは明白で、それはSBの可能性やポジション的な魅力を広げるような先進的なプレーにも映った。

 長友佑都はもちろん酒井宏樹にも存在しない魅力だ。山根視来(川崎)、松原健(横浜MF)的と言えるが、彼らの活躍の場は右に限られる。

 スポルティングで守備的MFとしてスタメンフル出場した守田英正も、川崎時代には右SBとして何試合か出場している。川崎の鬼木監督はさらに旗手怜央を左SBとして起用し、成功させている。森保監督はそのアイディアをU-24の五輪チームでちゃっかり拝借している。旗手がセルティックに引き抜かれれば、今度は橘田健人を兼左SBとして起用。使い回しの巧さを見せている。

 森保監督も中山雄太を左SB兼守備的MFとして使った。しかしメッセージ性の低さも手伝いインパクトは弱く、また実際に機能したとも言えなかった。中山は本番直前、怪我でリタイア。カタールW杯では古典的な長友がスタメンを張ることになった。

 もっと言えば、途中からSBというポジションが存在しないサッカーを実践した。最初の2試合(ドイツ戦、コスタリカ戦)は後半からだったが、スペイン戦、クロアチア戦では頭から5バック同然の3バックで戦った。

 SBではなくタッチライン際をほぼ1人でカバーするウイングバックに多機能性は不要だ。むしろ発揮されては困る。兼MFとして真ん中付近に入ってこられては、全体のバランスは大きく崩れる。

 SBの上げ下げで3バックか4バックかを調整する可変式には賛成だ。同様に守備的MFの上げ下げで3か4かを調整するアギーレ式もオッケーだ。SBが存在するサッカーの方が、バリエーションが広がり、見ていて楽しいのだ。W杯のような限られた人数(前回は26人)で戦う短期集中トーナメントではなおさらである。SBをどのようにしたら有効活用できるか。これは今日の代表監督に課せられたテーマだといっても言い過ぎではない。SBは依然として工夫の余地が残されているポジションなのである。

 その象徴が冨安になる。この選手をいかに有効活用するか。第2期森保ジャパンの重要なテーマだと筆者は考える。だからといって今回、冨安を半ば強引に招集する必要はない。いくら代表戦ウィークとはいえ、プレミアで優勝争いを展開中のチームを離れ、極東の日本を往復することは様々な意味でリスキーだ。慢性化が心配される筋肉系のトラブルを抱える身であることも忘れてはならない。

 いまこちらが確認したいのは森保監督のSBに対する概念だ。それは冨安以外でも表現することが可能である。冨安がアーセナルで1分でも多く出場することが、ひいては日本代表の財産になることを忘れるべきではない。

そこに哲学はあるか。日本代表には外国人監督が必要だと思う理由

 オフト→ファルカン→加茂→岡田→ジーコ→オシム→岡田→ザッケローニ→アギーレ→ハリルホジッチ→西野→森保→森保

 森保一監督の続投は日本代表監督を3代連続、日本人が務めることを意味する。日本代表監督の座に就いた人物の系譜(上記)を見れば分かるとおり、1992年以降では初のケースだ。現在8年目に入った田嶋幸三会長の趣向と、その在位の長さが生んだ産物であることは確かながら、それに対する不満が世の中に渦巻いているわけでもない。日本人監督に慣らされた感がある。

 日本人監督と外国人監督。それぞれを色分けすることは、問題といえば問題だ。日本人監督はすべてレベルが低く、外国人監督ならばすべてオッケーというわけでもない。だがそれ以前に両者は平等な関係にない。候補となる監督の絶対数が違う。日本人の候補者がせいぜい4、5人であるのに対し、外国人監督には限りがない。

 日本人の候補はJリーグでそれなりに実績を残した人物になる。海外の上位国のリーグで、采配を振っている日本人監督はいない。選択肢はかなり限定される。「日本人監督で最も実績を残した監督」とは、田嶋会長が森保監督を推した理由だが、物差しは実際、他にいくつもない。理由は後からこしらえたと言われても仕方がない。

 単純にW杯で勝とうと思えば、外国人監督の方が確率は上がる。一方、優秀な外国人監督を招けば、日本人監督より年俸は高いので費用が嵩む。費用対効果が問われる。日本人監督を起用すれば、そのレベルアップに繋がるとの見方もできる。それぞれにはメリット、デメリットがある。

 それでも筆者が外国人監督を推す理由は哲学の有無と関係する。外国人監督が全員、哲学的な思考の持ち主かと言えばノーだ。だが、確率は日本人監督よりはるかに高い。別名、○○主義や○○イズムを全面に出しながら指導する日本人監督はごく僅かである。監督に求められている要素だという認識に欠けているからだ。日本のライセンス取得の講習現場で教えられていないテーマだと考えるのが自然である。

 筆者は欧州で、新監督の就任会見に幾度か立ち会った経験がある。ひな壇に座った監督は、そこでまず哲学を語るのが会見の習わしだった。それを素通りしようものなら、記者からすかさずチェックが入る。

 アギーレは日本代表監督就任会見で自ら「攻撃的サッカー」を口にした。ザッケローニ、ハリルホジッチの3人は、日本サッカー協会が攻撃的サッカーというコンセプトを掲げる中で招聘した監督なので、当然といえば当然である。しかし、攻撃的サッカーという決め台詞を、就任会見の場で開口一番、4-3-3という使用する布陣付きで示されると、欧州の会見現場を訪れたような、本場感を抱くことになる。日本サッカーの偏差値が大きく上昇した瞬間と言い換えることができる。

 だが、ハリルホジッチを経て西野さんが代表監督に就任すると、そうしたものは雲散霧消した。「状況に応じて3バック、4バックどちらでもできるようにしたい」。「本来システムは相手によって変えるもの」。攻撃的サッカーについても「極端なサッカー」と、時計の針を逆戻りさせるような表現をした。西野さんの後に就任した森保監督も、哲学を問われても「臨機応変」という言葉を返している。曖昧な台詞を吐いて、その場をやり過ごそうとした。

 その結果、カタールW杯本番では4-2-3-1で入りながら、試合の途中から5バックに変更。第3戦のスペイン戦、第4戦のクロアチア戦では頭から5バックで戦った。

 臨機応変を口にした森保監督にとって、あるいは西野前監督にとって、さらには大半の日本人監督にとって、これは普通のことかもしれない。だが、言っていることが途中で正反対なものに変わるわけだ。高い位置で守れ、プレスを掛けろと言っておきながら、途中から、後方に人数を多く割く布陣で守れと言われても、言葉に一貫性がないので説得力が生まれないのだ。

 繰り返すが西野さんは、信念を貫くことを「極端」と称した。それが日本人監督のスタンダードだとすれば、サッカー的な思考法とは言えない。

 Jリーグの日本人監督で例外を挙げるならば、川崎の鬼木達監督ぐらいではないだろうか。そうした監督の下で育った選手は、ライセンスの取得現場の体質が現状のままなら、臨機応変をスタンダードな思考法だと考えるだろう。このままでは哲学的な監督は、いつまでたっても育ってこない。

 哲学は立派なサッカー文化である。少なくとも世界のサッカー界の半分は哲学的な色に染まっている。そうした世界観が日本にはまだ伝わっていない。10%〜20%がいいところだろう。これを正常な値に引き上げようとすれば、臨機応変を是としない指導者に、外国人監督に任せるしか方法はない。

Jリーグ30周年。変わらぬ記者会見場の雰囲気に見る、日本サッカーの問題点

 1993年に発足したJリーグ。前回のこの欄でも述べたように、その30年の節目を迎えたいま、筆者は特に感慨に浸っているわけではない。発足当時にイメージした30年後の世界に及ばないことがその1番の理由になる。選手の技量は確かに目に見えてアップした。世界のトップの技量も上がっているので、差は思ったほど縮まっていないが、レベルの低さに落胆したくなる試合はJ1レベルでは激減した。Jリーグ発足当初の選手は技量的に30年後の選手に大きく劣っていた。隔世の感を抱くとしたらそこになる。しかし選手の技量は選手の努力だけで向上するものではない。指導者のレベルや周囲の環境と深い関係にある。

 筆者は1ヶ月前、この欄で「日本のサッカー偏差値は上がっているのか」なる見出しの原稿を書いた。サッカー偏差値を構成する要素は、お互い影響し合う。相殺する関係、足を引っ張り合う関係にあると述べた。具体的な要素は、選手、指導者、監督、サッカー協会、Jリーグ、各クラブ、メディア、ファン、審判、育成さらにはスタジアムなどになる。

 前回はスーパーカップのVARが絡むオフサイド判定に5分近くも費やした審判団、そして傾斜角が総じて緩いスタジアムを引き合いに出しながら、サッカー偏差値に付いて述べたが、それから1週間、最も日本サッカー界の足を引っ張る要素は何かと考えてみた。本場と比較して著しい差を感じさせる、いただけないものは何かとの視点で見た時、これだと思ったのが記者会見になる。

 試合後、監督会見を行うことがサッカー界のお約束になっている。監督は会見室のひな壇に座り、陣取った記者から質問を受ける。世界共通のスタイルだ。関与するのは協会、Jリーグ、各クラブ、監督、メディアである。
これが30年間、ほぼ進歩していない。世界との差は著しいままだ。

 いまも30年前も、日本の会見場は緩いムードに支配されている。記者から監督に厳しい質問が飛ぶことはない。両者間には緊張関係が著しく不足しているのだ。欧州取材を通して筆者が実感した感想であることは言うまでもない。イビチャ・オシムにインタビューすれば「日本人はなぜ私を侮辱しないのか」と、オシムの方から切り出し、控え目な日本人ライターに突っ込みを入れてきた。インタビューを行ったのはサラエボのスタジアム近くのカフェで、その周囲には地元の記者もいた。オシムは彼らを眺めながら「こちらの記者なんか酷いもんだよ。遠慮などありゃしない」と、苦笑いを浮かべたが、「それが記者の仕事なんだ」と言うことも忘れなかった。

 チャンピオンズリーグでミランが敗れた試合をサンシーロで観戦した後、記者会見場に足を運べば、ひな壇に座る時のミラン監督、アルベルト・ザッケローニは記者団から集中砲火を浴びていた。「辞任するべきだ」等々、ボロクソに叩かれていた。その何年か後、日本代表監督の座に就いたザッケローニは日本人記者に対し、オシム同様の不満を覚えたに違いない。日本が強くない原因を、記者会見場の風景に見いだしていたと推察する。

 問題はそうしたぬるま湯の中で育った日本人監督だ。批判したことがないメディアと、批判されたことがない監督。その間に漂う独特の空気に会見場は支配されている。その国のサッカー偏差値を構成する要素は、相殺しあう関係にあると先述したが、森保監督と取り巻く記者の関係は、さらにその周辺の要素までレベルダウンに導く力を秘める。

 そうした中で救世主に見えるのはJリーグにいる何人かの外国人監督になる。たとえば先週の土曜日、味スタでFC東京と対戦した浦和レッズの新監督、マチュイ・スコルジャだ。試合後の会見では、サッカーの芯を食うような台詞を耳にすることができた。4-2-3-1の前の3の左を担当する大久保智明と、その1トップ下で先発した小泉佳穂が、試合の途中でポジションを入れた件について、質問が飛ぶとこう答えた。

「小泉と大久保がポジションを入れ替えてプレーしてもいいことになっている。大久保がトップ下に入ると小泉とはまた違ったプレーをします。今日の試合ではミドルゾーンで少し苦しい時にポジションを入れ替わり、違った形を作っていた。私にとってそれは自然なプレーであり、将来的には1トップ、1トップ下、両ウイングの4人がポジションを入れ替えてプレーすることを目指します。前の4人はいずれもオールラウンダーで戦っていきたい」

 それは選手の判断で動くのか、監督の指示で動くのかと更に問われるとこう答えた。

「私の指示で入れ替わることもあれば、選手の判断で入れ変わることもある。重要なのは4つのポジションの役割を全員が理解していることです。それは攻撃のみならず、プレーし終わった後の守り方の話でもあるので、トレーニングキャンプ中もこのポジションではこういう守り方をする、ということを全員が理解できるように話しました。ですから私の指示がなくても、それぞれのルールを理解していれば、自分たちで入れ替わっても問題は全くない」

 目からうろこが落ちるほど特別な台詞ではないが、森保監督の口からは、まず出てこない種類の話だ。浦和の新監督の方が高いレベルにあることが一目瞭然となる納得度の高い台詞だった。

 対するFC東京のアルベル監督も、選手交代5人制について意見を求められると、待ってましたとばかり持論を明瞭な言葉で展開した。

「サッカーをエンターテインメントと捉えたとき、5人と言わず6人にした方がいい。ベンチ入りのメンバーも現状の18人では選択肢が限られるので、更に増やすべきである」

 Jリーグの監督が正式な会見の場で述べる台詞にはそれなりの重みがある。波及効果が期待できる。サッカーについて考えるいい機会になるのだ。耳にしたファンの造詣は自ずと膨らむ。すなわち日本のサッカー偏差値は上昇する。

 筆者はそこに一国の代表監督に欲したくなる資質を見る気がするのである。

2050年までにW杯優勝を本気で狙うのなら。見逃しがちな日本の弱みとは

 Jリーグの覇者(横浜F・マリノス)と天皇杯の覇者(ヴァンフォーレ甲府)が国立競技場で対戦したスーパー杯は、カタールW杯後、初めて現場で見る大きな試合だった。

 30回目を迎える記念大会である。発足当時を知る者にとっては隔世の感であったと言いたいところだが、実はそれほど感激したわけではなかった。1993年当時、30年後の日本サッカー界に筆者はもっと期待していた。本場欧州にグッと近づいているものと思っていた。

 スーパー杯。横浜FMが1-0リードで迎えた前半終了間際だった。甲府のエース、ピーター・ウタカがゴールを決めると、副審はオフサイドフラッグを掲げた。対象はその前のワンプレー前で、CBのエドゥアルド・マンシャが縦パスを送ったとき、前線を走ったウタカのポジションがオフサイドではなかったかと言うものである。

 VARの結果、無事ゴールが認められ、試合は1-1の振り出しに戻った。甲府のファン、接戦を期待するファンには歓迎すべき判定である。筆者もその1人に属するが、現場の記者席では喜ぶどころか、こみ上げる苛立ちをこらえきれずにいた。その間5分弱。判定が下るまで遅すぎなのである。

 国立競技場の電光掲示板は「オフサイド判定の確認中」という文字こそ遠目からも目視できる大きさで表示されていたが、具体的な映像は画角が小さすぎて判らず終い。

 オフサイドか否か。それは極めてシンプルな問題である。その判定になぜ5分近くも費やすのか。カタールW杯でも幾度となくVARに遭遇したが、判定は実にスピーディーで、ストレスを抱くことはなかった。カタールW杯のレベルに日本のシステムは遠く及ばなかった。月とスッポン。日本の恥部を見せられた気がした。

 時代から遅れる姿そのものだった。電光板には先述の通り、これまでより多くの情報が掲示された。それがJリーグの今季の新たな試みであることを後の報道で知ることになったが、前に述べたようにそれは極めて見づらく、絵に描いた餅というか、企画倒れもいいところだった。にもかかわらず、日本のメディアは大本営発表そのままに報道をした。この姿もまた情けなかった。

 よいものを外から積極的に取り入れようとしなければ、本場との差は何年経っても縮まらない。日本人選手はなぜ欧州に行きたがるのか。関係者は考えなくてはならない。レベルの高い場所でプレーしたい。上手くなりたい。限界に挑戦したい。欧州組を重視する現日本代表監督の影響もあるだろう。

 だが、単純に欧州へ行きたい。本場でプレーしたいと願う選手も少なくない。日本とは異なるサッカー文化の中で自分を試したい。とにかくドメスティックな日本から飛び出したいという選手もいるだろう。

 筆者はかつて年間200日程度、欧州取材に費やしていた時期があったが、その理由はなによりカルチャーショックを味わいたかったからだ。ハイレベルの好勝負を見たかっただけではない。そこに漂う非日本的な常識に触れたかったからだ。日本在住の日本人には刺激的かつ魅力的に映った。高揚感に溢れる毎日を過ごすことができた。

 わかりやすい例を挙げればスタジアムだ。視角鋭い急傾斜のスタンドからピッチを眺めれば、よいものがよりよいものとして目に飛び込んできた。しかし、Jリーグが発足して30年経っても、よいスタジアムの数は思いのほか増えていない。世界との比較でいえば、スタジアム貧国ぶりはいっそう顕著になっている。

 欧州へ行きたがる選手の気持ちは分かっているつもりである。三浦カズがポルトガルの2部に移籍したことに懐疑的になる人は少なくない。筆者もその1人かもしれない。通じるはずがない場所になぜ出かけていくのか。単なる話題作りではないかと突っ込みたくなるが、一方で単純にもう一度欧州に出かけ、本場の空気を吸ってみたいとの欲求に駆られた末の決断であることも推測できる。試合に出場すること以前に、ポルトガルを訪れ、その空気に触れることに価値を見いだしているのではないか。

 岡崎慎司はより活躍が見込める日本になぜ帰ってこないのか。長谷部誠しかり。それはサッカー選手にとって、日本より居心地がいいからである。オフサイドか否かのVAR判定に、延々5分近くも費やさないところに魅力を感じているのだと推測する。かつて日曜日の午前中のテレビ番組に、ご意見番として出演していた張本さんは、活躍の機会を減らしているメジャーリーガーに必ずと言っていいほど、日本に帰ってきなさいと意見していた。本場の魅力について、どう考えているのだろうか。

 W杯に筆者が11回連続で通っている理由は、その現場に漂う空気感にやられてしまったからである。日本代表を応援するためにではない。観戦自慢をすれば、チャンピオンズリーグも300試合以上の観戦取材歴がある。観戦中毒を起こしたからに他ならない。

 なので、森保監督がカタールで日本代表が敗退するや、チームとともに即、帰国した理由が理解できないのだ。続投を希望するなら、現場でもっと空気感を共有しようとは思わなかったのか。森保監督はちょうど昨日、約半月間の欧州視察を終え帰国の途についた。なぜ本日(2月14日)から始まるチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦を観戦しようとないのか、不思議である。日本人選手の動向だけチェックしても、本場の空気感を味わうことができない。

 2050年までにW杯優勝するぞと言われても、ならばその前に、日本は本場らしくなっている必要がある。そちらの整備は誰がするのか。日本代表のレベルはベスト16に近づいているが、本場らしさはそれに全く追いついていない。見逃しがちな日本の弱みだと筆者は思う。

欧州組を客寄せパンダにする時代は終わった。代表の強化指針は選手ファーストで考えよ

 日本代表は3月24日と28日に森保監督続投決定後、初めてとなる国際試合を行う。28日の試合(ヨドコウ桜スタジアム)は、対戦相手がコロンビアに決まったが、24日の試合(国立競技場)は依然、未定だという。

 4年半前の日本代表は、その就任直後からチリ(地震の影響で中止)、コスタリカ、パナマ、ウルグアイ、ベネズエラの順で親善試合を組んでいた。相手は南米、中米の国々である。任期中に組まれた親善試合の総数は26。そのうち中立地の試合は5で、ホーム戦は21試合。純然たるアウェー戦はつまり0だった。このホーム戦過多という平衡感覚を欠く異常事態はもう何年、何十年と続く傾向で、もはや常態化している。自らの引きこもり、出不精に気付けなくなっている。病の程はより深刻になっている。

 しかし、ここに来て事態はさらに重たくなっている。欧州組はこの間に徐々に数を増やし、メンバーの8割方を占めるに至った。その度に帰国すれば、疲労は蓄積する。代表戦のギャラは本当に微々たるものなので、欧州組は名誉のために重労働を強いられている状態にある。

 日本は欧州から最も離れた、まさに極東に位置する。日本代表の欧州組は世界で最も長距離移動を強いられている選手になる。

 コンディションを維持することが最も難しい選手でもある。「インターナショナルマッチデー」明けに、世界で最もポジションを失いやすい選手と言い換えることもできる。

 インターナショナルマッチデーになると、各国の代表チームから招集された選手の拘束を解かなくてはならない所属クラブにとって、日本人選手は世界で最もリスクを抱えた選手になる。その商品価値に影響が及んだとしても不思議はない。

 プレーヤーファーストで考えるならば、親善試合の相手は常時、コロンビア級でなくてはならない。同国のFIFAランキングは現在17位。日本は20位なので、同ランキングを信じるならば20位以内、せいぜい30位、最悪でも40位ぐらいのチームと対戦させることが欧州組に対する礼儀になる。だが実際、そうしたケースは何度もない。第1次森保ジャパンで言えば、その4年半の間に最大限見積っても、コロンビア、ウルグアイ、セルビア、パラグアイ、ブラジル、チュニジア、ガーナ、韓国の8試合程度だった。彼らを招集するに値する親善試合は、せいぜい年に2試合程度だった。

 アジア予選もこれに加えることができる。前回ミャンマー、モンゴル、キルギス、タジキスタンと同じ組になったその最初のステージ(アジア2次予選)では、いくら絶対に負けられない公式戦とはいえ、欧州組をベースに最強メンバーを編成する必要はない。いかにうまく手を抜くか。それは日本という国の代表チームを強化する際に欠かせない思考法になる。

 2026年W杯を展望したとき、特にその点を強調したくなる。ご承知の通り、本大会出場国の32から48への増大に伴い、アジア枠も現状の4.5から8.5にほぼ倍増した。他のどの大陸より高い増加率だ。それは中国、インドという巨大市場を意識してのものであると考えるのが自然である。

 振り返れば、1998年W杯を機に本大会出場国がそれまでの24から32に増えた理由は、日本という市場を少なからず意識してのものだった。1994年W杯のアジア枠は2。日本はその最終予選でイラクと引き分け3位に終わり、本大会出場を逃した。現在も本大会出場国が24で、アジア枠が2のままなら、日本が1998年以降、本大会出場を7回続けているとは思えない。そうした経緯を踏まえると、32から48への増加も迷惑がらず、受け入れる必要がある。

 だがそうなると、本大会出場枠が4.5から8.5にほぼ倍増したアジア予選は、世界で一番低レベルになる。4.5枠でもプレーオフに回った経験がない日本にとって、それはユルユルの設定になる。実力と出場枠の関係で見た時、世界で最も代表強化に余裕がある国になる。

 欧州組を送り込まなくても予選は突破できる。近い将来、欧州組に昇格しそうな国内組、あるいは五輪チーム(U-23)を筆頭とする年代別の選手で臨んでも、特段、問題にはならないはずだ。

 世界における日本の特殊性はいっそう高まることになる。そうした環境の中で、サッカー協会は代表強化とどう向き合うつもりなのか。これまで以上に「欧州組ファースト」の視点に立たないと、いろいろが本末転倒になる。大袈裟に言えば、ベストメンバーは本大会が近づくまで編成する必要はないのだ。欧州組は少なくともギリギリまで、個人的な戦いに専念すべし。所属クラブで活躍することを一番に考えるべき。それこそが代表強化の近道だと、筆者は考える。

 焦点は3年半後に行われるW杯本大会1本に絞るべき。本番でいかにマックス値を発揮するか。代表監督はそれだけを考えればいい。予選突破のハードルが大きく下がり、代表チームを取り巻く特殊性が一段と増した日本は、その強化方針をどの国より大きく見直す必要に迫られている。従来通りでは肝心の選手に負担がかかりすぎる。所属クラブのプレーに専念させた方がいい好選手を客寄せパンダよろしく国内で行われる、ユルい設定の親善試合や、アジアの弱小国と戦う予選のためにわざわざ招集する必要はないのである。

三笘のスーパーゴールはなぜ生まれたか。岐路に立つ日本が学ぶべきもの

 国内リーグのレスター戦に続き、FAカップ(4回戦)のリバプール戦でも劇的なスーパーゴールを決めた三笘。2週連続の快挙にサッカー界は湧いた。筆者も呼応するように三笘の原稿を書いているが、その活躍に触れようとした時、引き合いに出さざるを得ないのが、森保ジャパンでのプレーぶりだ。カタールW杯を戦った日本代表としてプレーする三笘と、ブライトンの一員としてプレーする三笘との違いが否応なく目に飛び込んでくる。それぞれのポジションあるいは布陣の構造的な問題と、三笘のプレーは深く関わっていることがわかる。

 難しい話では全くない。見晴らしのよいスタジアムで観戦すれば、そのからくりは素人にも十分理解できるはずだ。構える高さの違い。左ウイングと左ウイングバックの違い。攻撃的な4バック(ブライトン)と守備的な5バック(森保ジャパン)の違いと言ってもいい。三笘の力を最大限引き出そうとすれば、どちらが相応しいか一目瞭然だ。

 日本のサッカーを語る時、三笘はまたとないサンプルになる。しかしネットの記事は、それはそれ、これはこれなのか、大半が活躍を伝えることに止まっている。森保ジャパン、カタールW杯の話には及んでいない。ニュース記事、速報記事のレベルに、あえて止めている感じだ。

 その傍らで森保監督は数日前から、欧州へ視察に出向いている。ブライトン対リバプール戦を実際に現地で観戦したのかどうか気になるところである。

 日本代表監督が続投すれば、そのサッカーに大きな変化はないと考えるのが自然だ。しかし森保監督はご承知の通り、カタールW杯本番で、それまでとは異なるサッカーを披露している。5バックになりやすい守備的サッカーで長い時間戦った。続投会見で今後の方向性について何か言及するかと思いきや、4年半前に行われた新監督就任会見の際と同様、黙りを決め込んだ。

 カタールW杯同様守備的サッカーで行くのか、攻撃的サッカーに戻すのか、続投にもかかわらず、先が読めない状態にある。なんのための続投なのか。これを異常事態と言わずなんと言おう。

 三笘の2週連続のスーパーゴールは、そうした中で生まれた産物だった。そうした背景を無視し、三笘のゴールのみにニュース性、速報性を求めようとする姿に、筆者は違和感を覚えずにはいられない。

 大袈裟ではない。日本サッカーが岐路に立たされていることを忘れてはならない。2006年に誕生したオシムジャパン以降、攻撃的サッカーに収まる概念の中で、日本サッカーは推移してきた。攻撃的サッカーにとって対立軸は守備的サッカーとなるが、サッカー史を辿れば、プレッシングが台頭した1990年代初頭から、守備的サッカーは常に少数派だ。攻撃的サッカーはオーソドックスなサッカーと言い換えてもいいほどだ。

 守備的サッカーが巻き返したケースは2度ある。1度は1990年代の中頃だ。プレッシングの反動からイタリアでカテナチオが流行すると、ドイツや東欧の一部が追随。欧州では3分の1ほどのシェアを占めるまでになった。しかし、1997-98シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)の決勝で守備的サッカーの旗手であるユベントスが、レアル・マドリーに敗れると、守備的サッカーの波は衰退。1割に満たない程まで落ち込んだ。まさに天下分け目の決戦において、守備的サッカーは敗れることになった。

 2度目の流行は現在だ。ユーロ2020そして今回のカタールW杯でのシェアは3割近くまで上昇した。選手交代5人制の採用とそれは深い関係にある。守備的になりやすい理由は、運動量の多い両ウイングバックが、時間の経過とともに疲弊し、後方待機に陥ることが大きな理由だ。しかし、交代枠が3人から5人に増えると、ウイングバックを入れ替える余裕が生まれた。5バックになりやすいという構造的な問題を、選手交代で解消することが可能になったのだ。長友佑都に代わり三笘を投入したカタールW杯の森保ジャパンを見れば、それは明らかになる。

 だが交代カードをウイングバックの入れ替えに使えば、前線は入れ替えにくくなる。プレッシングは時間の経過とともに鈍りがちになる。守備的サッカーの色は残りやすい。

 日本の場合は、ウイングバックは身体が元気なうちから後方待機を決め込んでいた。森保ジャパンは守備的サッカーの概念に収まる、オーソドックスとは言い難いサッカーを展開した。今後どうなるか。三笘はどこでどう使われるのか。誰もが抱く素朴にして重大な疑問は、放置されたままだ。

 森保監督は、日本代表の新監督に就任した当初、何試合か5バックになりやすい3バックで戦っている。五輪チームでは東京五輪の割と直前まで同様のスタイルで戦っていた。サンフレッチェ広島で監督を務めている頃は「3バックはこれから流行ると思いますよ」と、その旗振り役のようなスタンスを取っていた。

 影響を受けた人物は、森保氏が同チームのコーチ時代、監督を務めていたミハイロ・ペトロビッチだ。そのサッカーを、監督に就任してもそっくりそののま引き継いだのである。こう言ってはなんだが、守備的な3バック(5バック)の世界的な流れや、攻撃的サッカーとの関係、それにまつわる欧州史を学んだ後、満を持して守備的サッカーを選択したわけではない。研鑽を積んだ場所が国内に限られているその引退後の足跡を辿れば、目の前にあったミシャ式サッカーを、そのまま借り受けた印象は免れない。そのインターナショナルではない振る舞いや言動に、なにより日本代表監督として足りない要素が見て取れる。

 現在、欧州を視察して回っている森保監督には、可能な限り現地に止まっているべきだと考える。代表選手の8割以上が欧州組という現実を踏まえると、国内組の様子はスタッフに任せ、欧州組とともに代表監督としての感覚を現地で磨くべきだと。現地に滞在していれば、評論家、解説者、監督、新聞記者などと交流を深める機会が持てるだろう。知識を膨らませる環境は日本よりはるかに整っている。日本の進路はそうした過程を踏んだ上で決めていただきたい。

 ブライトンに出向いたら、三笘とコミュニケーションを交わすだけではなく、先進的な攻撃的サッカーを展開するロベルト・デツェルビ監督とも話し合う機会を探るべきなのだ。その答弁に象徴されるように、あまりに土着的な日本人監督に丸8年も下駄を預ければ、本場から感覚的に遅れることは見えている。選手の足を引っ張る恐れがある。三笘のスーパーゴールはなぜ生まれたか。森保監督には大真面目に考えてほしいものである。

森保「続投」に次ぐコーチ人事に期待感を持てない理由

 続投する森保一監督のもとでコーチを務めることになった名波浩と前田遼一の両氏は、言わずと知れた元日本代表選手である。だが、名波が50歳で前田が41歳という年齢が示すとおり、活躍した年代には10年ほど開きがある。指導者としてのキャリアも名波の方が長い。ジュビロ磐田で6年、松本山雅で2年、監督業を計8年間、務めた名波に対し、前田は昨年1シーズン、磐田U-18のコーチを務めただけだ。

 実績の浅い前田をあえてコーチとして雇った理由は、現役を引退して日が浅い元技巧派ストライカーに、半ばデモンストレーター役を期待してのものと考えるのが自然だ。

 名波にも監督としての華やかな実績はない。パッサーとして一時代を築いた左利きの元名手だが、監督としての名声は現役時代に遠く及んでいない。「名選手名監督にあらず」を地で行く人物だ。現役時代、地味な存在だった森保監督と対照的な関係にある。

 いわゆるコーチは大きく、教えることが巧いコーチと、作戦を立てるのが巧い参謀タイプのコーチとに大別できる。とりあえず前者としてスタートするはずの前田に対し、名波はどんな立ち位置になるのか。監督としての実績では森保監督に劣るが、キャリアに関しては4歳年上の森保監督と拮抗している。

 名波は若い頃は攻撃的MFで、年齢とともにポジションを下げ、守備的MFに収まった経緯がある。日本代表で、ラモス瑠偉の影武者的な役割を演じた森保監督がそうだったように、その昔、守備的MFは地味なポジションだった。そのイメージを変えたのが名波で、森保に足りない要素を備えた選手だった。両者の間にはボール操作術に関して著しい差があった。その違いは日本代表でどのように反映されるのか。

 もっとも監督としてのスタイルは森保監督に似ていた。一言でいえば守備的である。5バックになりやすい3バックを好むという点で一致する。名波はイタリア・セリエAに昇格したベネチアでプレーした時「ボールが自分の上を通過していく」と、後ろを大人数で固め、少ない人数でロングボールを多用するカテナチオスタイルのカウンターサッカーを嘆いていた。監督になれば、てっきり攻撃的サッカーを標榜するものと思っていた。方向性においては森保、名波両者は馬の合う間柄となる。

 その一方で何の因果か、サンフレッチェ広島時代から森保監督とコンビを組んできた日本代表前コーチ、横内昭展氏は、今季から名波、前田の古巣であるジュビロ磐田の監督に就任する。その経緯について思わず詮索したくなる。反町康治技術委員長と名波も近すぎる関係にある。ともに最近、松本山雅の監督を務めた過去がある。反町技術委員長が退任した1年半後(2021年)、名波がその座に就いている。こちらについても詮索したくなるが、やはり筆者がそれ以上に正したくなるのは名波の役割になる。

 作戦参謀的なコーチとなれば、守備的な色はより強まりそうで怖い。少なくとも筆者としては歓迎できない選択になる。一方、技巧的なプレーを教える実技中心のコーチであっても、それはそれで問題になる。前田コーチにも同様なことがあてはまるが、代表チームは年間を通して活動するクラブチームではない。試合のだいたい3日前に集合し、試合が終われば即解散だ。トレーニングによって選手を育て、能力の向上を図る場ではない。パッと集まってパッと解散する。それが代表チームの現実だ。

 代表チームに欧州組の占める割合が増えるほど、チームとしての練習時間は減る。誰をどのように起用するか。誰と誰をどう組み合わせるか。招集メンバーを発表した際に、構想をあらかた決めておく必要がある。

 名波、前田を代表チームのコーチに招いて何をする気なのか。どのように活用するつもりなのか。森保監督に必要不可欠なコーチは参謀タイプの戦術家だ。カタールW杯の反省に基づけば、森保監督に足りない能力は、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦がそうだったように、土壇場で策が打てなかったことにある。交代枠を使い切らず、次第に相手に傾いていく試合の推移を、PK戦に逃げるように傍観した。

 布陣を攻撃的な4バックに変更し、左ウイングバックとして先発させた三笘薫を左ウイングに一列上げ、攻撃を強化するとか、挑戦者の監督として森保監督はもう少しジタバタしなければいけなかった。ベスト8と言いながら、それをたぐり寄せる采配ができなかった。土壇場で思考停止の状態に陥ることになった。不足している要素はわかりやすいはずなのだ。

 守備的サッカーの誘惑にはまり混み、そこから抜け出すことができなくなったとも言える。森保ジャパンに足りないパーツは、正統派の攻撃的サッカーを実践できる戦術家だと筆者は固く信じるが、名波コーチがとてもそれに相応しい人材には見えない。前田コーチはもちろんである。

 そもそも両コーチの招聘は誰の発案か。森保「続投」に次ぐこの人事。こちらの心には響かないのである。 

日本サッカーの偏差値は上がっているのか?

 日本のサッカーは強くなっているのか。強くなっているとすれば、どの程度なのか。カタールW杯でクロアチアにPK負けしたことで、それはより分かりにくい混沌としたモノになっている。

 勝利していれば自己最高位であるベスト8だったが、ベスト16は2002年日韓共催W杯、2010年南アフリカW杯、2018年ロシアW杯に続く4度目の成績だ。開催国特権に恵まれた2002年を除けば3度目となる。それらと比べたとき、日本のレベルは上がっているように見えるが、この話をするときには複合的な目が不可欠になる。

 この欄でも述べてきたように、競技力が常に右肩上がりを続けるサッカー競技の特性に従えば、自らの過去と比較したとき、現在は常に勝る。いつでも現在が最強だ。ボールを操作するのは足なので、手でボールを扱う球技に比べて競技性に伸びシロがある。技量的に改良の余地が残されている。プレッシング戦術の浸透で、プレッシャーのきつい環境設定になっていることも、技術の向上に拍車が掛かる原因となっているが、いずれにせよ、日本だけが巧くなっているわけではないのだ。比較対象をその過去に求めることは、サッカー競技の本質から外れる行為になる。

 問われているのは伸び率だ。冒頭で分かりにくい要因として引き合いに出したクロアチアだが、視点を変えると、日本の現在位置を探る上で貴重な対象として浮かび上がる。同国とはW杯本大会で今回のカタールW杯を含めて過去3度、対戦している。これはベルギー、コロンビアの各2回を抑えて最多の数になる。

 初回は1998年フランス大会(0-1)。2回目は2006年ドイツ大会(0-0)、そして2022年のカタール大会(1-1、延長PK負け)だ。基本的に毎度、接戦だが、試合内容は過去2戦が40対60だったのに対し、今回は45対55の関係だった。先制点を奪い、少なくとも前半は53対47ぐらいの関係で勝っていた。それが、90分の戦いで50対50の関係に引き戻され、延長で45対55に引き離され、終盤は日本がPK戦に逃げた格好だった。

 PK戦には敗れても、内容が50対50以上ならば、過去との比較で日本の進歩は明らかになっていた。しかし、その弱々しい終わり方を見ると、差は詰まったと胸を張ることはできない。

 だが、この展開は必ずしも選手の力量を反映したものではない。延長PKに逃げるような、チャレンジャー精神に欠ける守備的サッカーの旗振り役を演じていたのは他ならぬ森保監督だ。交代枠を使い切らず、後方を固める5バックを採用したことと45対55の展開は、深い関係にあった。

 過去2回のクロアチア戦(1998年と2006年)は、監督が誰であれ、勝利を収めることは難しそうだったが、今回は上手く戦えば、少なくとももっとよい終わり方ができたと考える。日本がレベルアップしたか否かを語る時、監督采配が欠かせぬ要素であることが、2018年ロシア伊大会に西野采配に続き、明らかになった。

 選手、監督だけではない。監督を招聘した人物(田嶋会長)、監督を評価する人物(反町技術委員長)しかりだ。日本サッカーの世界的な偏差値は様々な要素から構成されている。サッカー協会、Jリーグ、各クラブ、メディア、ファン、審判、育成、さらにはスタジアムなどもその大きな要素の一つだと考える。そして各要素は影響し合う関係、悪く言えば、お互いがお互いを相殺する関係にある。今回のクロアチア戦ではないが、選手の最大値が監督采配によって発揮されないケースがある。

 日本人選手と日本人監督、レベルが高いのはどっちという問題で、監督は選手を超えていないと筆者は確信しているが、その統括をしている協会側にその自覚は薄い。日本のサッカー偏差値を押し下げている要素であることに気付けずにいる。

 1994年アメリカW杯出場を逃したとき、日本のレベルは世界の真ん中より若干、後方に位置していた。サッカー偏差値で示すならば49となる。それがW杯初出場となった1998年フランス大会で、世界の真ん中より少し上、サッカー偏差値で言うなら51に浮上した。

 2002年日韓共催、2006年ドイツW杯も51で変わらず。ベスト16入りした2010年南アフリカ大会で52に上昇した。2014年ブラジル大会は52で変わらずも、ベスト16入りした2018年ロシアW杯で53.5に大きく上昇させる。そして今回のカタールW杯だ。クロアチア戦の終わり方がよければPK戦で勝とうが負けようが55としたかったが、森保采配が足を引っ張り54.5という結果に終わった。

 日本が着実にサッカー偏差値を上げていることは間違いない。世界でも1、2を争う伸び率だろう。しかし1994年が49で、2022年が54.5だ。28年間で、5.5ポイント増えたに過ぎない。同じレギュレーションで次回を戦った時、ベスト16入りできるかと問われれば、可能性は50%あるかないかだ。

 日本サッカーをリードする選手たちでさえ、チャンピオンズリーガーは数人のみだ。その数が最低でも2桁にならないとサッカー偏差値60台は望めない。

 代表チームで言うならば、ベスト16を8割方、狙えるレベルが60。コンスタントにベスト8が狙えるレベルが65。最近のフランスのようにベスト4をコンスタントに狙えるようになると70超となる。

 この設定に基づくと、「2030年までにW杯でベスト4に入る」「2050年までにW杯優勝」という田嶋会長の掲げる目標なのか、約束なのか定かではないが、浅はかに思えて仕方がない。世界のサッカー界を甘く見ている証拠というべきだろう。サッカー偏差値の低い証拠といわれても不思議はない。

 ベスト8、ベスト4、優勝。目指すものは成績ばかりだ。しかしベスト8を掲げて戦った今回がそうであるように、達成できなくても、世の中は何も関わらない。代表監督は続投するという。会長、技術委員長も安泰だ。言葉に重みが感じられない。彼らに信頼は寄せにくい。2030年までにベスト4入りできなくても、2050年までに優勝できなくても特段、大きな問題にはならないはず。

 田嶋会長の口から出てくるのは成績の話ばかり。サッカーの中身についてはほぼゼロだ。ファンは自らのレベルを維持するためにも、もっと詰め寄るべきだし、メディアもその代弁者としての役を、同様の意味で果たさなければならない。

 現在54.5のサッカー偏差値が、3年半後、60になっていることは絶対にない。万が一、ベスト8の座に就いても2大会連続は不可能だろう。世界が広いことを伝える人が、日本には決定的に不足している。ベスト8、ベスト4、優勝を目指すなら、その難しさを解く人が不可欠になる。簡単ではない目標を簡単に立てるところに、日本サッカー界の根本的な問題を見る気がする。



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