1993年に発足したJリーグ。前回のこの欄でも述べたように、その30年の節目を迎えたいま、筆者は特に感慨に浸っているわけではない。発足当時にイメージした30年後の世界に及ばないことがその1番の理由になる。選手の技量は確かに目に見えてアップした。世界のトップの技量も上がっているので、差は思ったほど縮まっていないが、レベルの低さに落胆したくなる試合はJ1レベルでは激減した。Jリーグ発足当初の選手は技量的に30年後の選手に大きく劣っていた。隔世の感を抱くとしたらそこになる。しかし選手の技量は選手の努力だけで向上するものではない。指導者のレベルや周囲の環境と深い関係にある。

 筆者は1ヶ月前、この欄で「日本のサッカー偏差値は上がっているのか」なる見出しの原稿を書いた。サッカー偏差値を構成する要素は、お互い影響し合う。相殺する関係、足を引っ張り合う関係にあると述べた。具体的な要素は、選手、指導者、監督、サッカー協会、Jリーグ、各クラブ、メディア、ファン、審判、育成さらにはスタジアムなどになる。

 前回はスーパーカップのVARが絡むオフサイド判定に5分近くも費やした審判団、そして傾斜角が総じて緩いスタジアムを引き合いに出しながら、サッカー偏差値に付いて述べたが、それから1週間、最も日本サッカー界の足を引っ張る要素は何かと考えてみた。本場と比較して著しい差を感じさせる、いただけないものは何かとの視点で見た時、これだと思ったのが記者会見になる。

 試合後、監督会見を行うことがサッカー界のお約束になっている。監督は会見室のひな壇に座り、陣取った記者から質問を受ける。世界共通のスタイルだ。関与するのは協会、Jリーグ、各クラブ、監督、メディアである。
これが30年間、ほぼ進歩していない。世界との差は著しいままだ。

 いまも30年前も、日本の会見場は緩いムードに支配されている。記者から監督に厳しい質問が飛ぶことはない。両者間には緊張関係が著しく不足しているのだ。欧州取材を通して筆者が実感した感想であることは言うまでもない。イビチャ・オシムにインタビューすれば「日本人はなぜ私を侮辱しないのか」と、オシムの方から切り出し、控え目な日本人ライターに突っ込みを入れてきた。インタビューを行ったのはサラエボのスタジアム近くのカフェで、その周囲には地元の記者もいた。オシムは彼らを眺めながら「こちらの記者なんか酷いもんだよ。遠慮などありゃしない」と、苦笑いを浮かべたが、「それが記者の仕事なんだ」と言うことも忘れなかった。

 チャンピオンズリーグでミランが敗れた試合をサンシーロで観戦した後、記者会見場に足を運べば、ひな壇に座る時のミラン監督、アルベルト・ザッケローニは記者団から集中砲火を浴びていた。「辞任するべきだ」等々、ボロクソに叩かれていた。その何年か後、日本代表監督の座に就いたザッケローニは日本人記者に対し、オシム同様の不満を覚えたに違いない。日本が強くない原因を、記者会見場の風景に見いだしていたと推察する。

 問題はそうしたぬるま湯の中で育った日本人監督だ。批判したことがないメディアと、批判されたことがない監督。その間に漂う独特の空気に会見場は支配されている。その国のサッカー偏差値を構成する要素は、相殺しあう関係にあると先述したが、森保監督と取り巻く記者の関係は、さらにその周辺の要素までレベルダウンに導く力を秘める。

 そうした中で救世主に見えるのはJリーグにいる何人かの外国人監督になる。たとえば先週の土曜日、味スタでFC東京と対戦した浦和レッズの新監督、マチュイ・スコルジャだ。試合後の会見では、サッカーの芯を食うような台詞を耳にすることができた。4-2-3-1の前の3の左を担当する大久保智明と、その1トップ下で先発した小泉佳穂が、試合の途中でポジションを入れた件について、質問が飛ぶとこう答えた。

「小泉と大久保がポジションを入れ替えてプレーしてもいいことになっている。大久保がトップ下に入ると小泉とはまた違ったプレーをします。今日の試合ではミドルゾーンで少し苦しい時にポジションを入れ替わり、違った形を作っていた。私にとってそれは自然なプレーであり、将来的には1トップ、1トップ下、両ウイングの4人がポジションを入れ替えてプレーすることを目指します。前の4人はいずれもオールラウンダーで戦っていきたい」

 それは選手の判断で動くのか、監督の指示で動くのかと更に問われるとこう答えた。

「私の指示で入れ替わることもあれば、選手の判断で入れ変わることもある。重要なのは4つのポジションの役割を全員が理解していることです。それは攻撃のみならず、プレーし終わった後の守り方の話でもあるので、トレーニングキャンプ中もこのポジションではこういう守り方をする、ということを全員が理解できるように話しました。ですから私の指示がなくても、それぞれのルールを理解していれば、自分たちで入れ替わっても問題は全くない」

 目からうろこが落ちるほど特別な台詞ではないが、森保監督の口からは、まず出てこない種類の話だ。浦和の新監督の方が高いレベルにあることが一目瞭然となる納得度の高い台詞だった。

 対するFC東京のアルベル監督も、選手交代5人制について意見を求められると、待ってましたとばかり持論を明瞭な言葉で展開した。

「サッカーをエンターテインメントと捉えたとき、5人と言わず6人にした方がいい。ベンチ入りのメンバーも現状の18人では選択肢が限られるので、更に増やすべきである」

 Jリーグの監督が正式な会見の場で述べる台詞にはそれなりの重みがある。波及効果が期待できる。サッカーについて考えるいい機会になるのだ。耳にしたファンの造詣は自ずと膨らむ。すなわち日本のサッカー偏差値は上昇する。

 筆者はそこに一国の代表監督に欲したくなる資質を見る気がするのである。