国内リーグのレスター戦に続き、FAカップ(4回戦)のリバプール戦でも劇的なスーパーゴールを決めた三笘。2週連続の快挙にサッカー界は湧いた。筆者も呼応するように三笘の原稿を書いているが、その活躍に触れようとした時、引き合いに出さざるを得ないのが、森保ジャパンでのプレーぶりだ。カタールW杯を戦った日本代表としてプレーする三笘と、ブライトンの一員としてプレーする三笘との違いが否応なく目に飛び込んでくる。それぞれのポジションあるいは布陣の構造的な問題と、三笘のプレーは深く関わっていることがわかる。

 難しい話では全くない。見晴らしのよいスタジアムで観戦すれば、そのからくりは素人にも十分理解できるはずだ。構える高さの違い。左ウイングと左ウイングバックの違い。攻撃的な4バック(ブライトン)と守備的な5バック(森保ジャパン)の違いと言ってもいい。三笘の力を最大限引き出そうとすれば、どちらが相応しいか一目瞭然だ。

 日本のサッカーを語る時、三笘はまたとないサンプルになる。しかしネットの記事は、それはそれ、これはこれなのか、大半が活躍を伝えることに止まっている。森保ジャパン、カタールW杯の話には及んでいない。ニュース記事、速報記事のレベルに、あえて止めている感じだ。

 その傍らで森保監督は数日前から、欧州へ視察に出向いている。ブライトン対リバプール戦を実際に現地で観戦したのかどうか気になるところである。

 日本代表監督が続投すれば、そのサッカーに大きな変化はないと考えるのが自然だ。しかし森保監督はご承知の通り、カタールW杯本番で、それまでとは異なるサッカーを披露している。5バックになりやすい守備的サッカーで長い時間戦った。続投会見で今後の方向性について何か言及するかと思いきや、4年半前に行われた新監督就任会見の際と同様、黙りを決め込んだ。

 カタールW杯同様守備的サッカーで行くのか、攻撃的サッカーに戻すのか、続投にもかかわらず、先が読めない状態にある。なんのための続投なのか。これを異常事態と言わずなんと言おう。

 三笘の2週連続のスーパーゴールは、そうした中で生まれた産物だった。そうした背景を無視し、三笘のゴールのみにニュース性、速報性を求めようとする姿に、筆者は違和感を覚えずにはいられない。

 大袈裟ではない。日本サッカーが岐路に立たされていることを忘れてはならない。2006年に誕生したオシムジャパン以降、攻撃的サッカーに収まる概念の中で、日本サッカーは推移してきた。攻撃的サッカーにとって対立軸は守備的サッカーとなるが、サッカー史を辿れば、プレッシングが台頭した1990年代初頭から、守備的サッカーは常に少数派だ。攻撃的サッカーはオーソドックスなサッカーと言い換えてもいいほどだ。

 守備的サッカーが巻き返したケースは2度ある。1度は1990年代の中頃だ。プレッシングの反動からイタリアでカテナチオが流行すると、ドイツや東欧の一部が追随。欧州では3分の1ほどのシェアを占めるまでになった。しかし、1997-98シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)の決勝で守備的サッカーの旗手であるユベントスが、レアル・マドリーに敗れると、守備的サッカーの波は衰退。1割に満たない程まで落ち込んだ。まさに天下分け目の決戦において、守備的サッカーは敗れることになった。

 2度目の流行は現在だ。ユーロ2020そして今回のカタールW杯でのシェアは3割近くまで上昇した。選手交代5人制の採用とそれは深い関係にある。守備的になりやすい理由は、運動量の多い両ウイングバックが、時間の経過とともに疲弊し、後方待機に陥ることが大きな理由だ。しかし、交代枠が3人から5人に増えると、ウイングバックを入れ替える余裕が生まれた。5バックになりやすいという構造的な問題を、選手交代で解消することが可能になったのだ。長友佑都に代わり三笘を投入したカタールW杯の森保ジャパンを見れば、それは明らかになる。

 だが交代カードをウイングバックの入れ替えに使えば、前線は入れ替えにくくなる。プレッシングは時間の経過とともに鈍りがちになる。守備的サッカーの色は残りやすい。

 日本の場合は、ウイングバックは身体が元気なうちから後方待機を決め込んでいた。森保ジャパンは守備的サッカーの概念に収まる、オーソドックスとは言い難いサッカーを展開した。今後どうなるか。三笘はどこでどう使われるのか。誰もが抱く素朴にして重大な疑問は、放置されたままだ。

 森保監督は、日本代表の新監督に就任した当初、何試合か5バックになりやすい3バックで戦っている。五輪チームでは東京五輪の割と直前まで同様のスタイルで戦っていた。サンフレッチェ広島で監督を務めている頃は「3バックはこれから流行ると思いますよ」と、その旗振り役のようなスタンスを取っていた。

 影響を受けた人物は、森保氏が同チームのコーチ時代、監督を務めていたミハイロ・ペトロビッチだ。そのサッカーを、監督に就任してもそっくりそののま引き継いだのである。こう言ってはなんだが、守備的な3バック(5バック)の世界的な流れや、攻撃的サッカーとの関係、それにまつわる欧州史を学んだ後、満を持して守備的サッカーを選択したわけではない。研鑽を積んだ場所が国内に限られているその引退後の足跡を辿れば、目の前にあったミシャ式サッカーを、そのまま借り受けた印象は免れない。そのインターナショナルではない振る舞いや言動に、なにより日本代表監督として足りない要素が見て取れる。

 現在、欧州を視察して回っている森保監督には、可能な限り現地に止まっているべきだと考える。代表選手の8割以上が欧州組という現実を踏まえると、国内組の様子はスタッフに任せ、欧州組とともに代表監督としての感覚を現地で磨くべきだと。現地に滞在していれば、評論家、解説者、監督、新聞記者などと交流を深める機会が持てるだろう。知識を膨らませる環境は日本よりはるかに整っている。日本の進路はそうした過程を踏んだ上で決めていただきたい。

 ブライトンに出向いたら、三笘とコミュニケーションを交わすだけではなく、先進的な攻撃的サッカーを展開するロベルト・デツェルビ監督とも話し合う機会を探るべきなのだ。その答弁に象徴されるように、あまりに土着的な日本人監督に丸8年も下駄を預ければ、本場から感覚的に遅れることは見えている。選手の足を引っ張る恐れがある。三笘のスーパーゴールはなぜ生まれたか。森保監督には大真面目に考えてほしいものである。