実況アナウンサーは、2−0のスコアになると「実はサッカーでは、2−0というスコアは〜」と、お約束のようにぶつ。「リードされている側が1点返せば、リードされている側はお尻に火がついた状態になる。試合はどうなるか分かりません」と、緊迫感を煽る。

しかし、2−0のチームが1点を返され、パニックに陥り逆転を許した試合を、僕はもう何年も見ていない。古いノートを探らない限り、特定することはできない。

アナウンサーの指摘通りの展開になることは滅多にない。にもかかわらず、さもありがちな例として紹介する。理屈的にはそうした考え方は成立するかもしれないが、2−0は一方で波乱の起きにくいスコアだ。先制点を奪い、追加点を奪って、相手を0に抑える。これは完勝だ。理想的な勝利であるにもかかわらず「リードされている側が1点返せば、リードされている側はお尻に火がついた状態になる。試合はどうなるか分かりません」と、アナ氏は言う。マニュアルに則した言葉、つまり常套句のように。

匂いを感じるか否か。0−2でリードされている側に可能性を抱けるなら、積極的に言えばいい。スコアと内容が一致しないゲームというのはよくある話。実際のスコアは1−0でも、内容的には3−0と言いたくなる試合もあれば、その逆もある。

思い出すのは98-99シーズンのチャンピオンズリーグ決勝。カンプノウで行われたマンU対バイエルン戦だ。89分まで1−0でリードしていたバイエルンが、最後の最後に連続ゴールを奪われ、大逆転負けした一戦だが、89分までの試合内容はほぼ一方的だった。3−0ぐらいの内容でバイエルンが勝っていた。最少得点差とはいえ、バイエルンのリードは盤石のように見えた。マンUの逆転劇には、だからこそビックリ仰天させられた。普通の逆転劇とは違ったのだ。

逆に3点のリードでも危なさを覚えた試合がある。03-04シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝、デポルティーボ対ミラン。デポルは初戦のアウェー戦を1−4のスコアで落とした。ミランは優勝候補の筆頭。格下のデポルが番狂わせの主役になることは、あり得ない話のように見えた。少なくとも世間的にはそうだった。だが、自慢するわけではないけれど、僕は違った。デポルに脈ありと踏んでいた。

理由は分かりやすい。第1戦の4−1というスコアが、その試合内容と一致していなかったからに他ならない。ミランの4ゴールはいわば固め取り。ある限られた時間帯に立て続けに奪ったものだった。その他の時間帯ではデポルが優勢で、試合の終わり方にも可能性を感じた。

第2戦を前に「この試合は終わった」的なムードが流れる中で、僕は1人波乱を予想した。5−4という通算スコアにはもちろん驚いた。それと同じくらい、自分の読みの鋭さに感動した。

サッカーは最後の最後まで目が離せない。何が起きるか分かりません。アナウンサーはそう言う。2−0になると、かなりの確率で「2−0話」を披露する。ピッチ上に目を凝らしましょう。漂う匂いを探りましょう。洞察力を発揮しましょう。形から入らないでと僕は言いたい。
 
試合の中身に関係なく、お決まりの台詞を吐き続けるアナウンサーは、喋りを聞いていて辛い。解説者とコミュニケーションをかわすことなく、一人勝手に歌い上げてしまうタイプにも嘘っぽさを感じるが、それはともかく、主役はあくまでもゲームそのものなのである。サッカーの魅力を伝える語り部として、そこのところに素直に熱中してほしい。(了)