少なくとも決勝戦、男子と女子と、どちらが高揚感を抱かされたかといえば後者。女子になる。アジア大会サッカー競技の話なのだけれど、男女アベック優勝を見るのはテレビ画面越しとはいえ初体験。それは思いがけない体験だった。

どちらの方により拍手喝采を送りたくなったか。つまりその瞬間、どちらの方が喜べたかを、無意識のうちに比較する機会が訪れたわけだ。男子の決勝を見ながら、僕は気がつけば女子の決勝を思い出していた。「女子の方が良いサッカーしてる」とは、まさしくフェアであり率直な感想になる。同じ「金」でも、女子の方が輝いていた。

何を隠そう、僕はしばらく前まで、女子サッカーが苦手だった。日本代表でさえ好んで観戦しようとする気が、なかなか湧かずにいた。男子に比べ、いろんな点で劣っていたからだ。一言でいえば、それはエンタメ性になるが、僕が考えるサッカーの真髄に迫れていなかったからという言い方もできる。

認識を新たにしたのは2年前、ベスト4入りした北京五輪になる。男子サッカーとほぼ同じ理屈が反映されていたからだ。プレッシングは、時の岡田ジャパンよりうまく決まっているようにも見えた。同じ競技には見えなかった過去は、もはやどこへやらだ。

今回の優勝がそれに輪を掛ける。決勝では、強いといわれた北朝鮮より明らかに良いサッカーをしていた。さらに繰り返し言うなら、「関塚ジャパン」よりも。好チーム度で上回っていた。

今回はテレビ観戦だから、偉そうなことを言える立場にないのだが、テレビ観戦には、現場観戦にはない特典があることも事実。解説付きだということだ。男子決勝の解説は金田サンだった。彼はそこで関塚ジャパンの問題点を、的確に伝え、浮き彫りにしてくれた。「うまく戦えていない現状は戦術にあり」とし、関塚采配についてまでしっかり踏み込んでいた。

こうした解説を、僕はほとんど聞いた試しがない。日本代表戦をテレビで見る機会が少ないことも手伝うが、概して日本の解説と実況は、応援団風になりがちだ。ファンの代表のような立ち位置で、変に熱く喋ろうとする。優勝すればアジア大会初制覇。快挙達成である。アベック優勝の瞬間でもある。そこで冷静になって批判精神を発揮する日本人解説者は少ない。

だが本来、解説者は評論家でありジャーナリストだ。中立性やフェアな精神は欠かせないものであるはずだ。さらに言えば、そこでの見方によっては、次期監督候補にも浮上する。的確な分析をする解説者には、監督としての素養があると考えるのが自然。今回の金田サンの解説にも、そうした魅力を感じずにはいられなかった。関塚さんよりピッチで起きている現状が、キチンと掴めている様子だった。その口調は、確信ありげだった。

関塚サンはメンバー交替も巧くなかった。3度の交替はすべて事実上の時間稼ぎ交替。前五輪代表監督も、アジア予選の最終戦でメンバー交替を1人も行わずに戦ったと記憶するが、やはりそれはマズイ。監督のビビる姿そのものになる。メンバー交替を綺麗に行えるか否かは、つまり、良い監督か否かを見分ける大きなポイントだと僕は見ている。その点でも関塚サンには不満が残った。ロンドン五輪での采配に、不安を覚えずにはいられない。選手よりもむしろ、だ。それこそが、ザック・ジャパンとの最大の違いになるが、それはともかく、金田サンが監督をした方が良いんじゃないかと、僕はそのとき感じることになったわけだ。

しかし、解説者が潜在的に監督より優位なポジションにいることもまた確かだ。スタンドの上階からの目線、つまり俯瞰でピッチを眺めることができるからだ。ベンチ脇からの目より、ピッチ上の様子は、こちらの方が遙かに良く見える。

僕は現日本サッカー協会技術委員長に訊ねたことがある。「ベンチ脇からは見えにくいんじゃないですか」と。すると案の定「スタンドからの方が、良く見える」と返ってきた。「解説者の立場で見た方が、監督より良く見える」と。「現場に復帰したとき、その解説者の上からの目線を大切にしながら、試合に臨もうとするのだけれど、ベンチ脇から長く試合を見ていると、その感覚は気がつけばどこかに消えている。再度、解説者に復帰するまで蘇らない」とも言っていた。

僕は、何人かの欧州の指導者にも同じ質問をしてみた。すると「優秀な監督とは、ベンチ脇からでも、上からの目線を携えている人」という答えだった。これは、常識としてすっかり浸透しているようだった。「スタンド目線はベンチ目線に勝る」。言い換えれば、そうなる。

解説者は監督より見える立場にいる。というわけで、スタンド目線で気が利いたことを言えない人は、ベンチ脇からの目線、采配にも期待が持てない。監督候補としての評価は下がらざるをえない。

逆に言えば、自己をアピールする絶好のチャンスだ。アジア大会の次はアジア杯。そこで活躍する解説者は誰なのか。金田サンは再び登場するのか。個人的には、エスパルスの監督を辞める長谷川健太氏に、上から目線の喋りでも頑張って欲しい。お茶の間観戦の娯楽性は、解説者の力量に委ねられている。僕はそう信じて止まないのだ。