1960年代に入ると、「オーシャン・ウィスキー」も自社製である軽井沢蒸留所のモルト原酒が安定生産期に入り始める。ようやく、サントリーに追い付こうという希望が見え始めたというところだろうか。しかし、黙っていたらこのままサントリーのひとり勝ちは確定してしまう。「もはや、戦後ではない」と言われて以降も日本は経済成長を続け、戦後の混乱は安定期に入り、日本のウィスキー市場にも次第に高級志向が台頭する。好奇心旺盛な日本人は、ただそれだけではない。刺激を受けると購買意欲が高まるのは確かに事実だろうが、全般的に日本人の味覚は繊細で優秀だと思う。その味わいを知った後は「よりおいしいもの」を求めるようになり、不出来な商品は市場からその姿を消す。確かに、商品への関心を高めることも重要だが、「その次の品質」を提案することがなければ、消費者の関心すら失うことだろう。
しかし、それは危機ではなくチャンスだ。
彼らは皆、そう思ったのではないだろうか?
差を詰めるチャンス。サントリーの弱点を知った彼らは動き出したのだ。
国産ウィスキー・メーカー各社も「ポスト・二級ウィスキー」を模索し始める。ニッカが西宮に工場を持ち、その地でいち早くグレーン・ウィスキーを生産し始めたのは1963年。ニッカは消費者のニーズに、その品質で応えようとした。当時の日本の瓶詰されたウィスキーは、自社製のモルトと醸造用アルコールをブレンドしたタイプであった。恐らくは、彼ら自身でさえ、それらを「本物」と思わなかったであろう。そして、まず、ニッカは「その次の品質」をグレーン・ウィスキーに求めた。
だから、
グレーン・ウィスキーは夢だったのだと思う。
1960年代に入ると、国産ウィスキー・メーカーは「サントリー」「三楽オーシャン」「ニッカ」のビッグ3の台頭が著しい。国産ウィスキーがスコッチ・ウィスキーをモデルとしてきたことは明らかだ。結果として生き残ったビッグ3は、それぞれに、スコッチを手本に本物に近付こうと努力をして来たのだと思う。
ウィスキーをウィスキーらしくするものが、シングル・モルトであるという見解は僕も変わらない。「スコッチの秘密」はシングル・モルトにあり。だからこそ、彼らはまず最初にシングル・モルトの蒸留所を手に入れたたのだろう。そして、曲りなりにも「スコッチの秘密」を手に入れた彼らは、次なるチャレンジへと駆り立てられて行った。本物のブレンデッド・ウィスキーのために、彼らは自社製のグレーン・ウィスキーを必要としたのだ。
1989年の酒税法改正まで永らく続く、「特級」「一級」「二級」という級別表示は、日本のウィスキー市場の発展にそれなりの貢献をしたと思う。「二級」ウィスキーは庶民のウィスキー消費を拡大し、「ひとつ上の級」はウィスキー・メーカーにとって、「その次の品質」を求める動機となっただろう。
「ウィスキー混和率3%」。その条項さえクリアすれば「二級」として、「本格ウィスキー」を名乗ることができたのは前述した通り。結果として、「模造ウィスキー」とは明確に区分されるようになったのは確かだ。しかし、彼らは皆、その「本格ウィスキー」が3%しか本物ではないことを知っていただろう。本物のブレンデッド・ウィスキーを造るため、モルト・ウィスキーと調合するために、しっかりと熟成を重ねたグレーン・ウィスキーが必要だった。
「オーシャン」も次の時代の消費者のニーズに応えようと動き始める。1961年に川崎のシングル・モルト製造設備を、山梨に移設したことは前述した通り。つまり、その遊休地であった川崎にスコットランドから輸入したコフィ・スティルを設置。グレーン・ウィスキーの製造をスタートする。「オーシャン」は一度は逃げ出した川崎の地を、再び、今度はグレーン・ウィスキーのフランチャイズとした。
最初に動き出したニッカに、「オーシャン」が続いた。
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