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IMG_3187_1「大黒葡萄酒」という会社があった。戦後まもない時期から「オーシャン・ウィスキー」の名でウィスキーを製造・販売。そのブランド名でもある「オーシャン」と社名変更してすぐ、1962年に同様に「サンラック」というウィスキーを製造・販売していた「三楽」と合併し、その社名を「三楽オーシャン」とすることとなる。

「大黒葡萄酒」というその社名から多くのことを想像できるかもしれない。同社もまた、「日本型ポートワイン」がもたらした利益によって、巨額な資本を必要とする本格的なウィスキー事業へと乗り出して行った会社であった。現在は「キリン・ホールディングス」の所有となる軽井沢蒸留所。日本で初めてモルト・ウィスキー瓶詰販売し、2001年「IWSC:金賞」受賞、2004年、「ISC:金賞」受賞の系譜にある軽井沢蒸留所は、元来「大黒葡萄酒」の蒸留所であった。

そもそも山崎より以前から、日本のウィスキーは「模造ウィスキー」として存在した。日本の洋酒全般は外国の模倣から始まっている。背景にあるのは、常に「新しいモノ」に興味を欠かさない日本人の特徴とも言えるだろう。「欲しいモノ」、「好奇心をそそるモノ」を自分で作ってみたくなるのが日本人なのだ。サントリーも山崎蒸留所より以前の、自社製の原酒を持つはずがない時期に、「ヘルメス・ウィスキー」という商品を販売している。もちろん、生涯ウィスキーを愛した鳥井信治郎は、やがて山崎蒸留所を手に入れることになる。

好奇心旺盛な日本人による「模造ウィスキー」造りは、既に明治初期から始まっている。当初それらは、目端を利かせた薬酒商たちによって始まった様子だ。輸入された外国産の蒸留酒を薄め、砂糖や香料、色素類を調合して造られた。その外国産の蒸留酒がウィスキーであるとは限らず、その蒸留酒は国産の焼酎ですらあっただろう。その製造手法は、いかにも「日本型ポートワイン」的である。

各方面の資料からも「模造ウィスキー」造りを垣間見ることができる。そもそも、外国製品全般に興味が高かったのだろう。既に明治初期の日本にもウィスキーにはそれなりの需要があり、関心も高かったらしい。当時の日本にも、少なからずスノッブな連中がいたということだ。

日本のウィスキーは明らかにスコッチ・ウィスキーをそのひとつのモデルにしている。前述した通り、不完全ながら日本に本格的な国産ウィスキーが製品として登場するのは、山崎蒸留所の「サントリーウィスキー白札」の登場以降である。しかし、「模造ウィスキー」も入り乱れ、混乱の幕開けとなった国内ウィスキー市場は、法整備によっても徐々にその形を整えられて行く。

1939年に「酒類級別決定に関する告示」により、ウィスキーを甲・乙・丙類に分類し、アルコール度数と原酒含有率を規定している。1989年まで続いた特級・一級・二級の始まりはそこにある。翌1940年には「商工省大蔵省告示第7号」により、スコッチ・ウィスキーの製法に準じたウィスキーを「本格ウィスキー」と称し、「模造ウィスキー」と明確に区分し規定された。

戦後の1953年、「酒税法改正」により特級・一級・二級の分類が確立。以降、国産二級ウィスキーの躍進が始まる。1955年にはその出荷量を3年間で約7倍に増やし、ウィスキーは明るい将来の見込める急成長を遂げている。

元来、スコッチ・ウィスキーの製法に準じ「3年以上の熟成」を規定された「本格ウィスキー」であったが、拡大する二級ウィスキー市場は酒税法の「3年以上」という法定熟成条項を削除させている。つまり、「3年以上の熟成」を行うことなく「本格ウィスキー」を名乗ることが可能になったのである。多くのメーカーがそれをビジネス・チャンスと見たことだろう。

酒税法によって、当初の二級ウィスキーの「ウィスキー混和率」は3%までと定められていた。後に5%、7〜10%とその上限を上げて行くが、つまり、当初の二級ウィスキーはモルト原酒を3%までしか調合できず、原材料の大半に醸造用アルコールを使用していた。「オーシャン・ウィスキー」の品質の向上とは、つまり、「ウィスキー混和率」の上限である3%を目指すことでもあった。

伸張する国内ウィスキー市場。「混和率3%」、そして、削除された「法定熟成条項」は、国産ウィスキー・メーカーに低コストでの「本格ウィスキー」製造を可能にした。業界も、そして、「大黒葡萄酒」も動き始める。「オーシャン・ウィスキー」ブランドを立ち上げ、「大黒葡萄酒」は徐々にその販路を拡大することになる。

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