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IMG_3187_12006年11月、メルシャンと麒麟麦酒(現・キリン・ホールディングス)は両者合意の下、資本・業務提携を発表し、メルシャンは同社の子会社となった。ウィスキー愛好家の方には、軽井沢蒸留所を所有するメルシャンとして認識されているかもしれない。そのメルシャンこそ川崎の地でグレーン・ウィスキーを製造する蒸留所を建設した会社である。

振り返るとメルシャンという会社には、社名変更と吸収合併を繰り返してきた歴史がある。その沿革をさかのぼれば、1934年12月に「昭和酒造」としてスタートし、翌1935年には同社初の生産拠点として川崎工場を竣工し、アルコールの製造を開始している。川崎は同社にとっても、思い出の地であるはずだ。

1935年当時、この時点で「昭和酒造」(現・メルシャン)はまだウィスキーを製造していない。造られていたのは同社のブランド「三楽」という合成清酒であろう。同社はその後、その発展とともに次々と生産拠点を増やしていくが、後に「川崎工場」を手放すこととなる。現在も川崎に残る同社の遺産は、イトーヨーカドーに隣接する「ロジスティックス・コール・センター」だけとなった。同社の歴史にウィスキーが登場するのはまだまだ先、戦後のことである。

時代とともに幾たびもその社名を変えた同社だが、「オーシャン」という同社のブランド名に注目していただきたい。それは、同社のウィスキー造りを象徴するキーワードである。その看板に「オーシャン」の名がある限り、同社はウィスキー事業をひとつの主軸事業としようとして来た。


そもそも、国産ウィスキー・メーカーは、どのような経緯でウィスキー造りを目論んだのだろう?そこに「情熱と信念」があったことを、僕はまったく否定しないが、巨額の設備投資を必要とするのがウィスキー造りである。もしも、それらが売れる見込みのない商品なら、国産ウィスキーを造りたいという「情熱と信念」は勇気ではなく筋違いな蛮勇となる。それはまだ、「オーシャン」が生れる前、日本のウィスキーの始まりの頃の話である。

日本初の国産ウィスキー・メーカーであるサントリー。創業者である鳥井信治郎は、国産ウィスキーの父とも呼ばれる。彼もまた「情熱と信念」を持って1923年に山崎蒸留所を建設し、日本初の国産ウィスキー製造をスタートさせる。しかし当たり前だが、当初から彼の周囲に理解者が集まった訳ではない。彼は周囲からの大きな反対を押し切って蒸留所建設を計画した。

戦後の日本のウィスキー事情を振り返るなら、鳥井信治郎の先見性が正しかったことは明らかだ。彼が夢見た通り、現代の僕らはウィスキーに夢中だ。彼は将来ウィスキーが売れる時代を予見した。「情熱と信念」を持ってその周囲を説得し、多くの賛同者を集め、その力をウィスキー造りへと収斂させた。しかし、彼が空回りしない積極性を持てたのは何故だろう。先見性と情熱と信念だけでは、動かせない事態は数多くあったはずだ。

鳥井信治郎には実績と資金があった。
それは、彼がまだウィスキーを作り始める前のことである。

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