多くの皆様の認識は少々違うものかもしれない。「川崎」と言えば、京浜工業地帯だろうか。あるいは公害訴訟の街。競馬場と競輪場のあるギャンブルの街。それとも堀之内に代表される風俗街?いづれにしても、川崎に良いイメージを持っている人は少ないだろう。
しかし、池袋から新川崎駅まではJR湘南新宿ライン(快速)で27分。実は川崎は昔から、公共交通機関が発達しその利便性が高い。ここ数十年で東京との近さから一気に近代化し、若者の街と言われるようになった。年齢別の人口分布を見ても、全国平均と比べ20〜40代の人口が多く、中でも男性が多いことが特色である。
昭和初期から始まった臨海部の埋め立ては、数々の大企業を誘致して来た。日本鋼管(現JFEスチール)、富士通、日本電気、東芝、日立、味の素、キャノン、花王などが本社や生産拠点を置き、それらに関連する中小工場が多数建設され現在に至っている。企業は労働力を欲し、就労可能な年齢の人口が集まるという流れは、現在も変わらないものがあるのだろう。
それらの人々は良く働き、良く食べ、良く飲み、良く遊んだのだろう。彼らにはその場所が必要で、いくつかの繁華街が形成された。川崎市に20〜40代の男性の人口が多いことは先ほど説明した。風俗街が必要とされる理由もそこにあるのだろうか?いづれにしても、川崎という街が複合的に日本の高度経済成長を支えたことは確かだろう。
働き盛りの男たちを抱える川崎は、スポーツが盛んなことも特徴。社員の福利厚生、結構増進を目的とした、「企業スポーツ」に端を発しているという側面があるのかもしれない。都市対抗野球では数多くのチームが活躍し、かつては大洋ホエールズ、ロッテ・オリオンズが川崎球場に本拠を置いた。Jリーグの初代年間王者もヴェルディ・川崎である。
公害反対運動以来、革新市政を貫く川崎市は「企業スポーツ」と乖離して行ったのだろうか。1960年に日本一に輝いた大洋ホエールズは1978年に横浜へ、その後を引き継いだロッテ・オリオンズは、川崎球場で張本の3000本安打、落合の2年連続三冠王を達成させる。そして、1988年には近鉄バッファローズのリーグ優勝をかけた「10.19決戦」の注目カードを開催させるも、1992年のシーズンからその本拠を千葉マリンスタジアムに奪われる。川崎は人気がない。
Jリーグの初代年間王者のヴェルディ・川崎も、実は当初から「本来なら東京で」。それが彼らの本音だっただろう。また、「ヴェルディとぶつかっては人気で勝てない」と危惧した東芝のサッカー部には札幌へと逃げられる。元来やむなく川崎市の等々力を本拠としたヴェルディには、東京の味の素スタジアムに逃げられる。そんなに川崎が嫌いか?
名立たる製造業とそこで働く人々が、日本の高度経済成長を支えた時代が川崎にはあった。そこで造られたモノは、日本のみならず世界へと出て行った。造ったモノを売ることで、日本は外貨を稼いだ。公害も風俗街にも、企業や人々が生々しく動いた記憶が刻まれているかもしれない。
最先端の情報発信地「東京」、異国情緒溢れる「横浜」。僕らのイメージの中での「川崎」は、その2つの街に挟まれて埋もれてしまっているだろうか。しかし、川崎は変わりつつある。僕らの悪しきイメージは、どうやらその実態に追い付いてない。
いくつかの人気球団を取り逃がした行政は、芸術関係での産業振興に力を入れている。日本映画学校、昭和音楽大学を麻生区新百合ヶ丘に誘致し、映画祭や音楽祭の開催にも積極的だ。東京湾アクアラインは千葉へと向かい、川崎駅前には国内最大規模の地下街が建設されている。富士通サッカー部と地元の主導の下に、市民クラブとして誕生した川崎フロンターレは現在も健在だ。地名の由来を「多摩川の川の先」とする「川崎」は、ゆっくりと確実に変わりつつあるのだろう。
そんな川崎にかつて、国産ウィスキーの蒸留所があった。多くの人にとってそうであったように、もちろん、僕もその存在すら知ることのなかった蒸留所。その川崎蒸留所で生れたグレーン・ウィスキーは、山梨の貯蔵庫でさらに熟成を重ね、秩父のボトリング・ルームへと運ばれる。いくつかの樽を手に入れた肥土伊知郎氏は、その中から今回は2つの樽を選んで瓶詰を行う。
川崎大師や川崎球場にもほど近い京急大師線の鈴木町駅の目の前に、今はなき川崎蒸留所は存在した。現在、その跡地はイトーヨーカドー川崎港町店になっている。隣接する味の素川崎工場、メルシャン物流管理センターにも、もうかつての面影を残すことはないだろう。多摩川沿いと言っても良いだろうその場所に、国産グレーン・ウィスキーを造る蒸留所があったのだ。
肥土伊知郎氏はどんな経緯で、どのような思いで、そのグレーン・ウィスキーを手に入れたのだろう。そして、どのような時代の要請を受け川崎蒸留所のグレーン・ウィスキーは生まれ、どんな時代を背景にその舞台から立ち去ったのだろう。
かつて、肥土伊知郎氏のウィスキーは「何故か埼玉」と揶揄されていた。彼のウィスキーに何かを感じた僕は、僕なりにそんな状況をひっくり返そうと必死だった。ゆっくりと、彼のウィスキーに対する根拠のない悪評は少なくなったと思う。
結局、ウィスキーは「好き/嫌い」でしかない。だから、彼のウィスキーを「嫌い」だと思う人がいることを僕はまったく不服に思わない。ただ、悪意によってのみ構成された評判に、異議を申し立てたいだけだ。
さて、今回の肥土伊知郎氏は「あえて川崎」である。その裏側にどんな思いがあったのだろう?「川崎」が「山崎」の誤植でないことだけは、皆様も十分にご承知のことであると思う。
あなたは川崎蒸留所のグレーン・ウィスキーをどう感じるだろう?