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コメント

 コメント一覧 (5)

    • 1. 焼き芋
    • November 09, 2015 22:49
    • おぉー! 主砲のダズル迷彩がこんなに綺麗に見れるとは!
      ありがたやありがたや…

      しかし後ろの山は農地になっている?これでは船の偽装にいくら草木をつけても目立ってしまいそうですね。
    • 2. 通りすがり
    • November 09, 2015 22:57
    • 上の方、そもそもダズル迷彩は主に洋上で効果を出すもの。榛名に草木などの偽装はされていなかったと記憶しています。
      呉湾防空の役割を担う船は必然的に位置も明白(相手が撃てる=自分も撃たれる)なので、わざわざ迷彩を施す必要もなかったのでしょう

      憶測ですが、軍港に近い山は軍が管理しているので農地ではないと思いますよ。戦艦武蔵建造にあたっても、付近を一望できる山はほぼ立ち入り禁止だったそうですから、尚更軍港呉を一望できる場所に民間の農地があるとか考えにくいです。
    • 3. 通りすがりB
    • November 10, 2015 16:02
    • 榛名が着底した場所からして後ろの山はどうやら江田島の飛迫山付近のようですね。
      近くには防空砲台があったらしく榛名の高角砲と合わせて対空砲陣地としたのでしょうか?
      一応近くには秋月という地区があり、民間の農地の可能性は完全には排除できないかと。
      ただ呉軍港のちょうど向かいにあるので海軍が買い取っていた可能性は高いですが・・・
      でも後ろはみかん畑のように見えますね。
    • 4. irootoko_jr
    • November 11, 2015 00:29
    • この時の榛名は写真がたくさん残されていますので、いくつか確認してみました
      ネットで見られるものだとwikiの呉軍港空襲の記事に二枚の榛名の写真があります
      これ以外でも、どうも畑みたいですね。江田島だと呉港とすこし距離がありますし、この榛名の写真のすぐ左が海軍の敷地なのでおっぴらなスパイ活動は難しかったかもしれませんね
    • 5. 江田島在住
    • July 13, 2021 22:12
    • 近くに住んでます。榛名の擱座場所は小用港のすぐそばです。
      小用港は民間桟橋で「兵学校」から公用私用を問わず呉へ行くためにはここから渡船です。
      近くの繁華街は呉しかなく、遠くへ行くときも呉を経由する必要があります。
      島の唯一の産業であり住民はきわめて協力的で、毎朝大音響でラッパを鳴らしても苦情はなく、
      脱走兵が出ても住民は容赦なく通報します。
      1946年は兵学校は既に米軍に接収されています。
      所有があいまいな土地を勝手に使うのは、(今でも)住民は得意なので畑は戦後に作られた可能性もあります。
      占領した部隊も島から出るにはここから船に乗るため、そのうちの誰かが一枚撮ったのでしょう。

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